第76話 かよさんの母ちゃん――灯火管制②
ところが、そこに思いもよらない魔物が立ちはだかったのです。
家族としてともに暮らしていた犬を、国が強制的に召し上げる。
――犬の供出命令。
全国の家庭で、今生の別れが繰り広げられることになりました。
いのちより大事なユキを、かよはけんめいに隠そうとしました。
けれど、ある日、わが家にもおまわりさんがやって来たのです。
――おまわりさん、お願いします。
この子を連れて行かないで!
泣きすがるかよをよそに、ユキの首に巻いた縄をひっぱるおまわりさん。
でも、わたしは見てしまったのです、無骨な頬に光るものを……。(;O;)
――ユキちゃん。ごめんね、ごめんね。
助けてあげられなくて、ごめんね!
泣きじゃくるかよの絶叫と、ユキの悲鳴がかさなりました。
この世に地獄があるなら、あの晩秋の庭の光景こそは……。
*
ユキが連れ去られてからのかよは、うつろな表情で黙りこくってばかり。
もともと細かった食がいっそう細くなり、すっかりやせてしまいました。
相変わらず苦手な学校から帰ると、かよはすぐ近所の神社へ向かいます。
ユキとあそんだ思い出の神社で、けんめいに神さまにお願いするのです。
――神さま、どうかわたしの大事なユキをおかえしください。
ユキが元気にかえってきますように、どうかどうか……。
*
棚の上の雑音混じりのラジオが「東部軍管区情報。敵大型機、帝都上空を接近中。警戒を要す」と告げ、サイレン音が聞こえ始めると、大急ぎで電灯を笠で覆います。
わが家の笠はボール紙製でしたが、鉄製の丈夫なものは高価で手が出せません。
高い空の上からこんなに小さな灯りが見えるだろうかと、内心では思いましたが、ご近所から「お宅のおかげで、このまちが目標にされる」と言われては困ります。
かよが村八分にされないよう、どんな無意味なことにも、よろこんで従いました。
――まもれ大空 もらすな一灯
もれた一灯 敵機をまねく
窓は黒いカーテンや雨戸で隙間なく、車のライト、煙草に至るまで油断するな。
臆病な小動物のように、じっと息をひそめたまちは、どこもかしこも真っ暗闇。
ひとのこころのなかも真っ暗闇で、ギスギス、トゲトゲ、かさついています。💦
*
なのに「防空法」の根っこにある考え方は「原則、避難を禁ず」なのです。
たとえ焼夷弾が降ってきても、逃げずに帝都を守るのが市民のつとめだと。
――国民のいのちより国が大事。
それが基本精神だったことを知ったのは、戦後になってからのことでした。
*
昭和20年8月15日、明るい夜がかえってきました。
でも、わたしとかよは、ただぽかんとするばかりです。
なにからなにまで、がんじがらめにしばりつけておきながら、いまさら、これからは自由だとつきはなされても、夫も息子もユキも二度とかえって来ないのですから。
****
のち、こちらの世界に昇って、戦死した夫や息子と再会したわたしは、半世紀ぶりにかよがユキ(本当はそっくりの子)と再会した場面を、雲の上から見ていました。
神さま、遅ればせにもかよの願いを聞き届けてくださってありがとうございます。
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