三十五 対面
塩冶興久の乱は、尼子詮久の手により鎮圧された。
興久は、大内家の支援を求め、何度も書状や使いを送ったが、それらはすべて、「詰めてから」の一点張りで返されてきた。
「話がちがう」
興久は故・大内義興との密約を主張したが、知らぬ存ぜぬで通された。他ならぬ、その密約の窓口であった陶興房から。
さすがの興久も、自分が見捨てられているということに気がついた。
これでは、興久――塩冶家は、大内家と尼子家に挟み撃ちを食らうことになる。
否、大内家は飽くまで、壁だ。
そして尼子家は、その壁まで、興久を追い詰める狼となろう。
「く、食われて、なるか」
実際、興久はよくやった。寺社については出雲大社や鰐淵寺、大名国人については三沢、多賀、真木、備後の山内、但馬の山名といった勢力を味方につけ、一時は尼子経久を圧倒する勢いであった。
だが、大内家が静観したことと、尼子経久の側に粒よりの武将が揃っていたことにより、次第に次第に興久はその優勢を覆されていった。
そうなると、大内家は露骨なまでに経久の方に色好い態度を見せ、ついに大内家と尼子家は和睦を成立することになる。
「こ、こんなことが」
こうなると、壁であったはずの大内家も、その爪牙を興久に向けて繰り出してくるであろう。
そして。
「毛利が敵に回る」
毛利家と大内家の誼は、今や公然の秘密である。つまり興久は、大内・毛利・尼子という三大勢力を同時に相手取るという深みに嵌まってしまったというわけである。
「た、たまらん」
実際には毛利と大内は静観を貫いたが、その不気味な沈黙と、尼子詮久による苛烈な攻勢により、興久は出雲を脱し、備後へと落ち延びた。
だが、なおも詮久の攻勢は已まず、ついに興久は備後にて自害。こうして、塩冶興久の乱は終結を見た。
詮久からの捷報に接した経久はいたく喜び、備後から興久の首を送るように命じた。
「首実検じゃ」
亀井秀綱と尼子久幸は眉をひそめた。
これでは――かつて、鏡城で見せた、一族の叔父甥で相争い、首となった蔵田直信と同じような仕打ちを、塩冶興久に与えることになる。
一族の者とは言えずとも、せめて武士として丁重に葬るよう、秀綱は諫言したが、経久は聞き入れなかった。
「叛賊の首魁ぞ。首実検をせんで、どうする」
このあたり、さしもの雲州の狼・尼子経久といえども、寄る年波により、依怙地になっているきらいが見受けられた。
しかし、経久は経久で言い分がある。折角の天下取りの野望を、このような内輪揉めで、潰えるまではいかないまでも、停滞させるなど、許しがたい背信としか言えなかったのだ。
「尼子に仇なす獅子身中の虫。首を見ずば、腹の虫が、治まらぬ」
とうとう根負けした久幸は、ならばせめて自分がと備後へ赴き、詮久が塩漬けにした興久の首を持ち帰ってきた。
経久は久幸の手を取らんばかりに迎え、城主の間にて、久幸の持つ木箱を今や遅しと受け取ろうとした。
「でかした。ようやった。詮久を褒めてやらねばのう」
だが、久幸はそのがっしりとした手で木箱をつかみ、離さない。
「……兄者。本当に首を検めるのか」
「……当り前じゃ」
「悪いことは云わん。止せ」
「くだらん!」
「…………」
経久の一喝に、久幸はため息ひとつついて、ついに木箱を差し出した。
「最初からそうしておれば良いのじゃ……どれどれ」
経久は嬉々として木箱の蓋を取った。
内部の塩漬けにされた、それを見た。
それは、まごうことなき塩冶興久の首であったが、経久には何か違うものの顔が重なって見えた。
「はて……?」
そのとき、経久に語りかける者がいたように感じた。
――何故、殺した。
「……何?」
それは、目の前の首であった。
首はかっと目を見開く。
――何故、殺した。
「何?」
――答えよ、何故、殺した!
「わしを誰と心得る……無礼な物言い、許さぬぞ」
――知っておるわ、たわけ。
「貴ッ様……もしや蔵田直信か」
――ようやっと思い出したか、胡狼めが。
「胡狼じゃと」
――応よ。腐った死肉を食らう、胡狼じゃ。
「この雲州の狼に向かって、ようも言うた。そこへ直れ。殺してやる」
――言われずとも死しておる、胡狼。『殺す』は、飽いたわ。
「…………」
――貴様が自身の子を殺したとて、化けて出てやったが……どうだ? 己が相剋をした気分は?
「……相剋ではないわ、家臣を無礼討ちしたまでよ」
――まあ良い。そう言いたいなら、そう言え。ただ……。
「ただ……何じゃ」
――貴様の今の心こそ、貴様が今まで謀ってきた者の思いじゃ。思い知れ! 思い知れ! 思い知れ!
*
「ふ、巫山戯るな! 思い知れだと! わしはそのような思いを……」
「兄者、落ち着きあれ! 兄者!」
気がつくと、尼子経久は首を垂れて、子の塩冶興久の首に見入っているかたちで、自失していた。
尼子久幸は、兄の経久がじっと固まったまま動かないのを見て取り、その体を揺すって、回復を促していた。
「兄者、気づかれたか」
「……久幸」
経久は、この場に弟と二人きりであることを感謝した。
かような醜態、兄弟であり年来の腹心である久幸以外に、見られてたまるものか。
「――いかがされたので?」
「……何でもない」
目を閉じて首を振る経久に、久幸は常ならぬものを感じたが、兄がこのような態度を取る時は、決まって何も答えてくれないことを知っていた。
「…………」
経久は、興久の首の入った木箱に蓋をして、久幸に返して寄越した。
「大儀。たしかに、わが子、塩冶興久の首であった」
「恐悦至極」
「死してみれば、もはやこれまで。丁重に弔えい」
「承知」
久幸は、経久が興久を「わが子」と認めたことに嬉しさよりも訝しさを感じた。それは、まるでこの首が、塩冶興久のものであり、他の何かではない、と決めつけるような口ぶりであった。
いずれにせよ、不幸な甥を弔う許しが出た。同時に、ひとりにしてくれという言外の経久の希みを知り、久幸は恭しく頭を下げて、木箱を抱え、城主の間を出るのだった。
*
あとに残された尼子経久は、ひとり、ぼうっとした時を過ごしていた。
「…………」
先ほどのあれは、妖魔の類か、気の迷いか。
いずれにせよ、相剋の謀略を為す以上、いつかはこういう時が来るとは思っていた。
策に溺れれば、いつかはその策に嵌めた者らから、恨みを買い、呪いを受けることになるとは思っていた。
何ほどのことがあろう、と当初は考えていた。
だが。
今、こうして謀略を重ね、大大名へとのし上がったのちに、数多の人々からの怨恨が、尼子経久へと降り注いで来ている。
先ほどのあれは、少なくとも死者であった。
しかし、生者から、あのような真似をされたらどうだ?
しかも、経久と同等、あるいはそれ以上の謀略を巧みにする人間が。
「毛利……」
自然と口に出てくるのは、その名だ。
もし、尼子を滅ぼすとしたら、あのような油断ならぬ、しかも戦えば勝つという男だろう。
経久の思考は巡る。
先ほどのあれが気の迷いだとしても、それは経久自身の心の衰えが理由だ。
「もう、潮時か」
隠居することは、前から考えていた。
いいかげん、年齢が年齢だ。
かようなモノを見るくらいなら、いっそ隠居して、心身共に充実した青年である、孫の詮久に家督を譲った方が良い。
そうなると、やはり毛利とのことが気にかかる。
自分が直接携わる最後の働きが、これか。
「埒もないわ……」
自嘲しながらも、経久は近侍を呼び、急ぎ亀井秀綱を来させるよう、伝えた。
「謀略を旨として生きてきたこのわしが、人に頭を下げ、孫の義兄弟になってくれと頼む……それも、何の嘘もなく、赤心から……」
何とも言えぬ可笑しみを感じ、経久は笑った。
その笑いはいつまでもつづき、秀綱が城主の間に参じるまでつづいた。
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