三十三 山口
毛利元就は粟屋元秀を山口に向かわせ、大内の宰相、陶興房へ面会の意志を伝えさせた。
一両日中に戻ってきた元秀は、興房の快諾の返答を伝えた。
「さらば行かん」
元就は単身、山口へと発った。
宿老の志道広良あたりからは苦言を呈されたが、何しろ出雲は塩冶興久の乱で不安定で、安芸もまた、尼子派、塩冶派、大内派と入り乱れている。
この状況で、元就以外の家臣が山口へ行くのは憚られた。今や、毛利は安芸の柱として諸勢力から調整を期待される立場である。その手を抜くことは、寸毫たりとも許されない。
「すぐ戻る。それまで、広良と妙玖に任せる」
それでも手に余る場合は、元秀が山口へ駆けつけて伝える、という手筈を確認し、元就は山口へと向かったわけである。
*
山口。
戦国時代のそれは「西ノ京」と称され、条坊制の街並みが整えられ、大内家の重代の財貨の投入の下、華やかな伽藍や、賑々しい小路、そして何よりも大内館と呼ばれる、この大内家の「御所」ともいうべき豪奢な居館が、山口を「西ノ京」たらしめていた。
その大内館に到達した毛利元就は、かつて共闘した弘中興勝の案内を受けた。
「よう、おざった」
「石見以来でござる」
興勝は寡黙な男らしく、最低限の挨拶を述べると「こちらへ」と言って、元就を大内館の奥へと案内した。
最奥部へと。
「躬が、大内義隆である」
「ははっ」
元就が、やけに広い間取りの空間に到達すると、そこには陶興房が待ち構えていたが、「まず、まず」と言って、元就を座らせた。そして正面の少し高い所に、ひとりの青年が歩んでくるのが見えた。
青年――大内義隆は「大儀」と言い、そして名乗ったわけである。
「苦しゅうない。毛利どの、お楽にされよ」
「恐れ入り奉ります」
「苦しゅうないと言うに。さて……」
義隆は、興房から元就が尼子との橋渡しと、そして裏に、何事かを告げるために山口に来たことを知り、それならと元就と会うことを希望した。
「勝手ながら、すまぬ」
「いえ」
「では、毛利どのの話を聞こう」
「…………」
元就が、この大内家当主の間ともいうべき大広間のぐるりを目配せする。
この場にいるのは、大内義隆、陶興房、弘中興勝である。
「うむ」
義隆は元就の視線を察した。
「毛利どの。興房は知ってのとおり、大内の宰相じゃ。聞いておく必要がある。また、興勝はの、向後、大内の東を当たってもらう」
「東」
「さよう。安芸を中心にの」
大内義隆は、大内家の体制を、陶興房は九州攻略を目途とした西の担当に、弘中興勝は尼子対策を中心とした東の担当に据えようと目論んでいた。
「躬は戦下手での……毛利どのも知ってのとおり」
「恐れ入ります」
元就の一礼に、義隆は鷹揚に頷く。
「故に……戦上手な興房や興勝……そして毛利どのに任せたいと思っておる」
「なんと」
義隆は、己自身を大内政権の「王」として君臨し、政治を執り行っていき、軍事においては有力な家臣を配置して、以て統治の体制を整えようとしていた。
「であればこそ、毛利どのが告げようとすること……傾聴に値すると思うて、この両名にも聞いてもらいたいと考えたのじゃ」
「承知致しました」
大内家の首長と首脳陣の選りすぐりで相手をしてくれようというのだ。
思った以上の厚遇である。
元就としては否やは無く、尼子からの和睦の希望と、そして……尼子が裏に抱く野望――天下取りについて、語った。
*
すべてを聞き終えた大内義隆は暫し瞑目し、やがて眼を開くと同時に、「興房と興勝はどう思うか」と聞いた。
「されば」
陶興房が発言を求めた。弘中興勝は、黙してそれを聞く姿勢だ。やはり、興房の方が家臣として首座にあるということらしい。
「されば……まずは尼子と塩冶の争い、これは静観でよろしいかと」
「ほう」
「若……いえ、義隆さまが塩冶をお気に入りにならない、というのは存じております。が、ここはどっちつかずでいる方がよろしいかと」
そこで興房は意味ありげに興勝に視線をくれる。
興勝は得たりかしこしと頷いてから、口を開いた。
「尼子と塩冶を相争わせているうちに、われら大内は、かねてからの九州征伐へ出るべきかと」
大内義隆は、朝廷に太宰大弐の官職を要求し、北九州への支配への意欲を見せている。
つまりは、博多を中心とする、大陸との交易拠点を制し、日明貿易の完全なる独占を目論んでいるのだ。
「ふむ」
義隆は扇子で口を隠しながら、では尼子からの和睦の申し出はどうするのか、と問うた。
今度は興勝が口を開いた。尼子対策の場合は、興勝にまず判断が求められるようだ。
「これは尼子どのと結ぶのがよろしいかと」
「なんと」
「単純に、尼子と塩冶が争えば、最後には尼子が勝ちましょう。勝ち馬に乗るべき、というだけでござる」
尼子経久の方には、宰相たる亀井秀綱、勇将たる尼子久幸、そして麒麟児として聞こえている、孫の尼子詮久が控えている。
対するや、塩冶興久の方には人がいない。
「であるからこそ、こちらにいらしている、毛利どのを御味方にと思うたのでござろう」
これには、元就は恐れ多いと言って、興勝に頭を下げた。
「ふむ」
義隆としても、先の毛利の娘をめぐるやり取りで、塩冶興久に対する嫌悪感もあり、興勝の言や良し、と思えた。
「ですが」
興勝は主君の発言を、敢えて遮る。
「先ほどの、興房どのの言うとおり、なるべく尼子は塩冶と争わせるべし。この和睦、結ぶまでを長引かせ、以て尼子を弱まらせるべきかと」
「なるほど」
義隆は、興房と興勝が言外に言いたいことを察した。
「……そうすることにより、大内の力を強め、かつ、尼子の上洛を遅らせる……そういうわけじゃな、ご両名」
「然り」
「ご明察」
これが大大名、大内家の首脳というものか、と元就は素直に感歎した。
しかし、まだ肝心要の事柄について、採り上げられていない。
「興房、興勝」
義隆が威儀を正して、股肱の臣である二人に、言った。
「されば、躬が先ほど言うた……尼子の上洛については、どう思うぞ」
「ははっ」
興房もまた、袖をばさりと振り上げて、改めて義隆に対して、頭を下げた。
「恐れながら……申し上げまする。かの尼子経久、おそらくは大内義興さまの為されたことと、同じことを狙っておりまする」
「同じ」
「さよう。京にて、恐れ多くも将軍様を擁立し、己が管領代なり何なりとなり、天下を差配する……そういう『同じ』を狙っておりまする」
「ふむ」
義隆自身、父・義興と同じ所業を尼子経久が為すことについて、多少の抵抗を感じるが、そもそも上洛ということについて、実は関心があまり無かった。
「荒廃した京。さようなところに、何故行かねばならぬのか」
とまでは言わなかったが、西ノ京・山口に在ることを喜びとし誇りに思う義隆にとって、上洛は為政の手段のひとつであり、目的ではない。
第一、大内としての宿願である日明貿易の独占は、すでに成った。であれば、特段、無理をして京に行くこともあるまい。
それよりも、むしろ。
「京に居る将軍、そして帝も……山口に来れば良いのじゃ」
それだけの栄耀と栄華が、山口にはある。
仮に、尼子経久が京を制覇したとて、朝廷と御所に、落ち延びてもらえばよい。
……そんな空想を義隆がしていると、元就が発言を求めてきた。
「憚りながら」
「……許す。言うてみい」
空想をしていたことを見透かされない内に、義隆は巧みに元就へと水を向けた。
「では。尼子が京を目指すのなら、その空隙を衝いて、安芸における大内さまの支配を広げる……否、取り戻すことをなされては」
「取り戻す、とは」
これは興勝の発言である、彼は大内の東側を担当している。安芸について言及されると、虚心ではいられない。
「さればでござる」
元就は、いっそ堂に入った感じで、受け答える。
義隆は感心し、これは何としても大内に引き込まねば、と目論む。
「されば……尼子が上洛するとすれば、出雲や伯耆の兵を中心としての遠征になりましょう。そうすると、安芸についてはがら空きとなります。おそらく、安芸の尼子よりの国人任せとなります……先の、佐東銀山城の戦いのように」
「なるほど」
当事者であった義隆は、さてこそと頷いた。あの佐東銀山城の戦いのときも、尼子は一向に兵を寄越さなかった。
ようやくにして寄越したのが、尼子経久自身でなく、いわば中級の指揮官である牛尾幸清と、目付である亀井秀綱が率いているという有り様である。
「そこを」
元就は、かつてを振り返る。有田合戦にて名を挙げた直後、梟雄・尼子経久からの要請を。
あれが。
あれこそが、謀将・尼子経久による相剋の謀略が、元就を絡み取り始めた、端緒であった。
「……東西条を攻められては。かの地は、もともと米穀の実り多き地。それゆえにこそ、大内家としても、わざわざ城を置いておられたのかと」
「さてこそ」
陶興房は膝を打った。
元就の言わんとしていることが理解できたからだ。
穀倉地帯である東西条を押さえてしまえば、尼子の上洛は、いや上洛できたとしても、兵糧が無くなって干上がる。他の領地からの年貢や、あるいは京で現地調達をするという術もあるが、それにしたところで、軍の動向は停滞しようし、評判も下がろう。
「……同時に、毛利どのを始めとする、安芸国人の方々も、東西条の米穀と兵力を背景に、大内方につけることができる、と」
興勝が、訥々と大内家の「東の代官」としての読みを語った。
「うむ」
義隆はひとつ頷くと、興房と興勝への賛意を示した。そしてあることに気づく。
「……東西条といえば、たしか鏡城、これは毛利どのが調略したことになっておったな」
「さようにござりまする」
「鏡城……鏡……なるほど、なるほど、毛利どのは意趣返しをしてやろう、と」
「いえ、さような……」
「隠すな、隠すな。人たるもの、さような情念を持つのは自然のこと。躬は厭わぬぞ」
後に男色を嗜むことを指摘され、フランシスコ・ザビエルを一度は追い返す義隆である。
復古的な格調を重んじたが、だからとって、人の有り様を否定するほどではない――大内義隆という人間は、そういう人間だった。
「……善き哉。向後、大内としては、汝らの献言を容れ、その方向で行く」
義隆は、興房と興勝、そして元就のそれぞれの言を聞き、皆が同じ方向に良案を献策してくれたことに満足の意を示した。
興房ら三名が頭を下げ、義隆の決定に謝意を示した。
義隆はそれに満足そうに頷き、そして一同に頭を上げるように命じてから、元就に言った。
「ついては毛利どの」
「なんでござる」
「御子息、少輔太郎どのと言うたか」
「さようにござりまする」
「その太郎どのをだな、躬に預けぬか」
「なんとおっしゃる」
「ああいや、衆道の相手として求めているわけではないぞよ」
驚く元就の顔に、義隆としては名将をして驚愕せしめたことに、喜びを覚えた。そのため、発言に少々遊びが見られた。
「構えるでない、構えるでない。そりゃ、人質としての意味もある、あるが、そこな興房の子や、興勝の子……そして元就どのの子も、皆、同じくらいの年頃じゃ。躬としては、今のうちに、汝らの子らの絆を深めるべき、と思うたのじゃ……この山口で、勉学修養を積むことも含めてな」
義隆の構想は、前述のとおり、大内家を「王」とする小国家を確立することである。であれば、その小国家の未来を担う人材の育成と紐帯の構築は、実に重要な命題と言えた。
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