義隆さん、やる気がなさすぎる (^^;
持って生まれてしまった御曹司、育ちの良さと温室育ち故の欲の薄さ、でしょうか。
ある意味、元就と対極の育ちとも言えそうです。
作者からの返信
義隆さん、やる気はないですけど、某武田元繁とちがって、我が強くないし、人の言うことは聞くし、上に立ってもらうには、下の武将たちがやり易い人だったのでは……という想像です。
でもだんだん、下の武将たちと意識の差が出始めて……破局に至るかもしれませんが、それはまた別の話(笑)
ちなみに義隆さんは元就さんのことが結構好きだったみたいで、よく手紙を出していたり、毛利家の中の問題(専権する家臣のこととか)を心配したりしていました。
……この辺が厳島での元就の立場につながっていたかもしれません。
ありがとうございました。
編集済
よい箸休めの回というか、緩急の利いた構成ですね。次回が楽しみです。
ところで、「チンギス・カンとスルターン」のレビューに、「いいね」させてもらいました。
私も読んでいたのですが、カクヨムでモンゴル帝国を書くというのは、なかなかむずかしいですよね。
作者の方も、注をつけるなどの工夫をされていますが、基礎知識のない方には、読むのがなかなかむずかしいと思います。
森博嗣が「すべてがFになる」を書いた時に、プログラミングの知識のない人からクレームを受けて、歴史小説が知識のあることを前提に書かれていることを反証に挙げていましたが、どこまで説明するのかと言うのは、難しい問題ですね。
細かく説明しすぎると、知っている人は不満を持つし、分量は増えるし。
作者からの返信
嵐の前の静けさというか嵐が来ているんですけど、とりあえず敵サイドから中継です、みたいな回です(笑)
レビューへの「いいね」ありがとうございます。
モンゴルのお話は、私にとって人事じゃない(笑)ので、レビューさせてもらった次第です。モンゴルが出てくる話と、いずれモンゴルと対峙する人の話を書いているもので^^;
で、どこまで注をつけるのか――これはおっしゃるとおり、難しい問題ですね。
単に歴史ものだけでなく、それこそミステリ(これもおっしゃるとおり森博嗣先生の著作群とか)や、異世界ものにもあてはまってくる問題です。
私の場合は、注をつけない、というか面倒(笑)なので本文に潜り込ませる書き方をしています。
やはり森博嗣先生の影響かと思われます。先生の場合は、分からなければ読者が調べるべき、というスタンスだったと記憶していますが、そうすれば読者個々に任せることができるでしょうから。
あとは田中芳樹先生も注がなかったですね。パルスやマヴァールについて、巻頭の系図と人物紹介ぐらいしか「注」と呼べるものがなかったと記憶しています。
……両御大の影響を受け、かつ、上記のとおり面倒なので、私は本文で行く感じになったと思います^^;
ありがとうございました。
こうした情報戦、読み応えがありますよね
作者からの返信
ありがとうございます。
「結果」が分かっている作者側からすると、どの程度書くかが悩ましいところで苦心しました^^;
ありがとうございました。
義隆さんは育ちが良すぎたんでしょうか。
あまりこらえ性が無い感じ。
少々周防よりではありますが、佐東銀山城は安芸の要だと思うんですけどね。
厳島支配のためにも欲しいはず。
作者からの返信
義隆さん、「西ノ京」山口の「将軍」になれればいいや、と考えていたのかも。
文武の雑事は、臣下がやればいいや、と。
そんでもって、陶晴賢というヤベーイケメンが出て来て……あとは……^^;
佐東銀山城、実際はおっしゃるとおり、大内義興は欲しかったようです。拙作では、義隆関係の描写上、薄めにしてしまいましたが。
今回の遠征はアレですが、もう一回、義興&義隆で、攻めにやって来ます。
惜しむらくは、そこで義興の命数が尽きてしまうのです……。
ありがとうございました。
編集済
こんばんは、御作を読みました。
義隆さんは、今川のお坊ちゃんほど尖ってない(あの人は何でも出来るのに、大名にだけ向いてない)にせよ、戦には向いていない人なのかも知れませんね。
こと経済や文化面に関しては、彼を上回る戦国大名はそうそういないでしょうが、手段を選ばぬ餓狼の中では……弱さなのかも。
尼子毛利大友、大内を取り囲む誰も彼もが猛獣だ(^◇^;)面白かったです。
作者からの返信
帥の才能「だけ」無い人、いますね^^;
義隆さんは教養関係についてはトップクラスだし、(少なくとも初期は)大名としても行動していたのに……どうしてこうなった(笑)と言わざるを得ません。
特に陶晴賢さん関連については、恋人として何とかならなかったのかと言いたい^^;
……でもまあ、そういうお坊ちゃんなところも含めて、義隆さんだしなぁ(遠い目
やはり義興、あるいは陶興房がいないと大内家はあかんかった、ということで^^;
ありがとうございました。