十四 元就

 尼子方、第三陣の構成は、吉川、小早川、熊谷、香川、三須……そして毛利である。このうち、吉川家は当主・吉川興経が若年のため、叔父である猛将・宮庄経友みやのしょうつねともが率いているが、他ならぬ毛利元就の妻女が経友の妹である。また、小早川家は、当主・弘平ひろひらが率いており、その弘平の嫡子の興景が、元就の兄の故・毛利興元の娘を妻としていた。

 対するや、熊谷信直と香川光景は、先述のとおり、有田中井手の戦いで、先代が元就により敗死している。また、三須房清は、熊谷信直の妹をめとっており、熊谷、香川、三須は、いわば「反毛利」であると言えた。

 尼子経久の謀臣・亀井秀綱による絶妙の配置であったが、いかに反毛利の国人たちの仇であるとはいえ、毛利元就と、そして有田中井手で元就と共に戦い、直接に熊谷と香川の先代を討ち取っている宮庄経友の存在感が圧倒的であるということを浅く見ていた。


「久しいな、元就どの」


 厚みのある胸板と重たい甲冑を揺らしながら、宮庄経友がそう言って元就の隣に座ると、さしもの熊谷信直や香川光景も、何も言えなくなった。

 信直は父・元直、光景は伯父・行景の強さを知っている。知っているからこそ、それを直接に討ち取った経友が黙然と座しているだけで、静かな迫力を感じるのだった。


「妹は息災か」


「お蔭様で」


 元就の方はと言えば、中肉中背で、特に強さというか迫力は感じさせない容姿をしている。しかし、経友をして、親しみながらも一定の譲歩を感じさせる態度を取らせている。

 やはり、只者ではない。

 それが信直と光景の共通認識となった。

 ……そうこうするうちに、軍議の場となり、経友がひと言「任せる」と元就に言い、信直らもそう言われると、敢えて出しゃばる気も起きず、やはり黙りこくって床几しょうぎに腰かけるのだった。


「……それでは、僭越ながら、仕切らせていただく」


 それはまるでこれから朝餉あさげを食べようとでも言うように、元就は平静たる口調で告げた。


「最初に言っておくが、この戦、尼子は負けると思う」


 ただし内容は嵐そのものだった。



 沈黙する軍議の場において、最初に発言を、というか言葉を漏らしたのは三須房清だった。

 房清は、直接に毛利元就や宮庄経友を仇と思う立場にいない。どちらかというと、熊谷信直に従属する立場であり、それゆえに間接的な仇とは言えたが、その信直ほど緊張感を保つことができなかった。


「……負、ける?」


 驚愕のためか、区切りが変な発言となってしまったが、負けると言ったということは、場の全員が理解できた。


「さよう」


 こともなげに元就は言ってのけた。経友と、経友の隣に座った小早川弘平も驚いてはいたが、元就を咎めることは無かった。それは、同族のよしみであるとかそういうことではなく、有田中井手の戦いの勝者が言うことには、耳を傾ける価値があると信じてのことだった。

 それは信直や、香川光景も同様であり、少なくとも武人としては、元就の言うことをまず聞いてみようと、押し黙っていた。


「牛尾うじの突出。これがまず、いただけない」


 元就は大胆にも、ぼやかすことなく、尼子方の主将の名を挙げて批判した。


「なぜか? それは安芸に不慣れな、出雲の尼子の兵のみで飛び出ているからだ。土地勘が無いのに、突っ込むと負ける。あたかも先日の、大内方の杉と問田が、そちらの熊谷どのと香川どの待ち伏せに負けたように」


 信直と光景は、思わずお互いの顔を見た。図らずも、自分たちの名前が出てきたからだ。しかも、元就の口調は努めて冷静であり、称揚するというより、ごくまっとうな評価を下しているという印象を受けた。受けたがゆえに、信直と光景は、元就が正当な評価を元に、自分たちを認めていると感じた。

 悪い気はしなかった。


「しかし杉と問田は、敵将・陶興房の援護で、兵の損ないの少なきを得た……が、ひるがえって、こちらの牛尾氏は如何?」


 元就に問われるかたちになった三須房清は、突如の問いに驚きながらも、そういう連携はされない、と答えた。


「三須どののいうとおり」


 そう言われると嬉しくなる房清である。嬉しくなりつつも、先ほどの「負、ける?」の失言を帳消しにする配慮かと気づき、なお一層、元就に対して頭を下げた。

 そこまで聞いていた小早川弘平は挙手して発言を求めた。


「元就どの、では、われら第三陣は如何すべきか? 牛尾氏がそのう……勝ちを得られなく……ええい、まだるっこしい! だから、牛尾が負けるなら、助けるべきか?」


 水軍を持つ小早川は、船上でのやり取りの習わしから、言葉を飾ることを鬱陶しいと思う性質たちであった。


「いや」


 またしても否定的な発言である。今度は宮庄経友が小声で「おい、いい加減にしろ」と言いながら、肘で元就を突っついてきた。

 尼子の乱波が、この第三陣の動静も探っているしれぬ、と。


「いや。あ、これは乱波のこと。そこまでの余裕は尼子には無い。そもそも乱波がいたら、もそっと大内の様子を探れたはず」


 そこで一息入れて、竹筒から水を飲んだ元就は、いつの間にやら場の全員が固唾を飲んで自分を見ていることに気づき、苦笑した。


「……ええと、今さら牛尾氏は止められまい。それができるなら、亀井どのがしておる。つけ加えて言うと、第二陣は牛尾氏に引きずられて突っ込んでおる……これも止められまい」


 同じ安芸の国人同士だからこそ、同格だからこそ、そんな命令を聞けるかと言われるだろう、と元就は歎息した。


「……さて、失礼した、小早川どのの問いに答えよう。われら第三陣は慌てず急がず進軍する。まず、それに尽きる」


 慌てる乞食は貰いが少ないからな、と宮庄経友は言い、言ってから、しまったと口を覆った。

 乞食若殿という、元就の若年の頃の綽名に思い至ったからだ。

 元就は気にする様子もなく、話をつづける。


「恐らくは陶興房のこと。牛尾氏の突進をさばいてみせよう。第二陣も同様……で、逃げてきた牛尾氏ほかを、逃がしてやる」


 尼子方が大敗すると、それこそ大内はかさにかかって、安芸を併呑しようとするだろう。それは防がねばならない。


「負けるにしても、打ち破られた、よりは、逃げた、の方がまし。そういうことだ」


 ほかならぬ熊谷信直と香川光景も、待ち伏せの策のあとに、陶興房によって打ち破られそうになり、そこを救われたので、否やは無かった。

 だが、信直は聞かずにはいられなかった。


「元就どの」


 このあたりになると、光景はまだまだだが、信直は元就に対する隔意を感じなくなっていた。


「何か」


「……では、陶興房は、どうやって牛尾氏に対するのか?」


「それは」


 元就はそこまで言って、初めて破顔した。


「それこそ、熊谷どのと香川どのの、ひそみならうのであろうよ」


 不得要領な信直と光景は、元就に更なる説明を求めた。

 一同、それを聞いて、おお、と膝を打つのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る