十三 尼子
結局のところ、亀井秀綱の尼子経久への書状は、届くには届いたが、いかんせん、経久自身が多忙のため、出雲の飯石郡まで戻ってきた彼が目を通した時には、すでに牛尾幸清が大内軍へと突っ込んでいた。
「かかれ!」
幸清は、尼子直属の軍を先頭にして、第二陣に親尼子派である国人、すなわち平賀、宍戸、三吉、宮といった諸将を据えた。そして第三陣には、先に大内とぶつかった熊谷と香川、ようやく駆け付けたため日和見と見られた吉川と小早川に三須……そして、毛利元就である。
元就はむしろ、いつ尼子に牙を剥くか不安と思われたため、第三陣に置かれたきらいがある。
そのため、目付けとして、熊谷信直と香川光景と同じ第三陣として置かれたのだ。
さきの有田中井手の戦いにおいて、元就は、熊谷信直の父・熊谷元直ならびに香川光景の伯父・香川行景を討ち取っている。すなわち、先代の仇と、熊谷信直と香川光景としては元就に隔意を抱いていたからである。
「くだらぬ配慮よ」
牛尾幸清からすると、その亀井秀綱の差配は、些末なことであり、むしろ虐めではないかと思えた。
幸清にとって、これは尼子の戦いであるので、尼子直属兵さえ自分と共に最前線で戦えばよいので、「それ以外」である安芸国人たちの扱いは、不公平が生じぬよう平等にしておくべきだろうと、単純に考えていた。
このあたり、牛尾幸清は武人としては公平かつ公正であったが、逆にそこを陶興房につけこまれる破目になった。
*
「尼子、いや、牛尾幸清、与しやすし」
陶興房はそう喝破した。
安芸の国人は一枚岩ではない。当然、大内に味方する国人もいるし、保険として、大内に情報を提供する二股の国人もいる。
加えて、乱波や物見からの報告も総合した上で、興房は断じたのだ。
「爺よ。では、どうするか」
軍議の場である。
主の嫡子・大内義隆は、興房に勝算ありと悟ったが、並みいる諸将に対する説明が必要と感じ、興房に問うた。
興房は畏まって答えた。
「されば」
尼子家、牛尾幸清はその名の如く、愚直に、猛牛のように佐東銀山城へ向かって来ている。安芸の国人を二陣以下に回し、尼子直属兵を先頭にして、というか、置き去りにしかねない勢いで。
「安芸は敵地じゃ。それを忘れて、逸っておる」
興房のその独言に、杉と問田は縮こまる。
興房としては他意はなく、説明をつづける。
「……恐らく、伯耆の方での尼子の破竹の勢い、これが牛尾を焦らせておる」
かつて、京において諸大名や国人を統率し、主君・大内義興を補佐した興房には、そういった心理が手に取るようにわかる。手柄をと争う心理を。
「亀井秀綱という手綱をつけたつもりが、その手綱も役に立たんと見える」
尼子に余裕のない証であり、さしもの雲州の狼・尼子経久も、積年の宿願である伯耆征服に、浮足立っている。
「爺よ。前置きは分かった」
「これは失礼を。年を取るとどうしても饒舌になってもうて……では」
興房は一礼してから絵図面を開いた。
「これは佐東銀山城とその周辺の地図。で、牛尾はおそらく、まっすぐに城に向かって来よう。そこを……」
興房の「策」の開陳に、諸将は目を見開く。
ことのほか、義隆は感心したようであり、うんうんと頷いていた。
「これはまた……牛尾とやらは、たまらんのではないか。爺」
「お褒めいただき、恐悦至極」
喜ぶ諸将の前に、面目をほどこす興房だったが、細心の彼は、諸将に釘をさすことも忘れなかった。
「ただし……敵方には、毛利が居る」
諸将は水を打ったように黙り込んだ。
有田中井手の戦いの勝者であり、先ごろも、「坂の上」から熊谷信直と香川光景を助け、無傷で撤退させた男である。
「努々、油断めさるな、方々」
下を向く諸将を前に、ひとり義隆のみは、この頼り甲斐がありながらも、いささか口うるさい陶興房をして真顔にさせる、毛利元就という男に、会ってみたいと、そう感じていた。
*
「牛尾どの、牛尾どの!」
「なんじゃ、亀井どの!」
とうとう佐東銀山城を視界に捉え、牛尾幸清は今ぞ突撃と鞭を振るおうとしたとき、後ろからの亀井秀綱の呼びかけに、あからさまに不快そうに答えた。
「このまま突っ込むおつもりか?」
「応よ」
もはや合戦は始まる寸前。言葉遣いになど、こだわってはおれぬ。
そう言わんばかりの横柄な幸清の受け答えに、秀綱は閉口しつつも諫言した。
「いくら何でも直撃は無謀では? 陣を構えて圧力を……」
「くどい!」
幸清の秀綱に対する印象はその一言である。
「見よ」
あたかも己が秀綱の主君であるかのように、幸清は鞭で大内軍を指し示す。
今まさに、城攻めをしている最中の大内軍を。
「この牛尾幸清、ただ無策で安芸国人を後詰めにして、先を急いでいたのではないわ。一刻も早く、あの佐東銀山城を救うため! かつ、大内が城攻めしている最中に、その後背を叩くため!」
これ以上の論議は無用と、幸清は秀綱の反応を待たずに命令を下した。
「突撃!」
尼子の兵が吼える。彼らとて、伯耆で活躍し手柄を立てる仲間に対する羨みと妬みがある。その彼らにとって、大内襲撃という絶好の機会を与えてくれる幸清は、歓迎すべき将であった。
……この時は。
*
大内義隆は、尼子接近の報を問田から聞き、脇に控えた杉に目配せした。
「……承知!」
義隆は城攻めの指揮を、というか城を囲んで圧力をかける作業に徹していた。安芸武田の武田光和にしても、先の合戦において、将兵共に損耗しており、城から打って出るような真似はするはずもなく、両軍とも、たまに矢を交える程度の籠城戦を演じていた。
杉はかねてから用意していた狼煙を上げる。
同時に、義隆は「かかれ」と命じた。
問田は兵に喚き声を上げさせ、これまでよりは派手に矢を城に射かけた。
それを見た武田方の兵は、狼煙を攻撃の合図と捉え、そして矢戦に傾注し、狼煙の意味を考えることを忘れた。
「好機ぞ!」
それは尼子の牛尾幸清も同様で、彼はむしろ、大内軍が矢戦に夢中になっていると考え、これから上げる手柄に一時放心した。
亀井秀綱は、ついに追いついた第二陣の安芸国人らも、手柄をと猛追してくるのを見た。同時に、第三陣はそれほど慌てる様子もなく、どちらかというと粛々と馬を進めており、その落ち着いた感じが、かえって不気味だった。
「……第三陣。もしや、毛利が」
いつの間に、先代の仇と憎む熊谷や香川に御するようになったのか。
そこが、不気味だった。
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