十一 表裏

 翌、六月二十七日。

 早朝。

 もはや晩春というより初夏ともいうべき、爽やかな朝の中、陶興房はそのおめき声で目が覚めた。


「何事ぞ」


 興房は甲冑もつけずに陣中から飛び出す。

 何やらきな臭い。

 実際は草草と朝露の生み出す早朝のにおいの中であったが、興房の鼻には、そのきな臭さが感じられた。


「いくさのにおいじゃ」


 興房の頭脳が答えを出すや否や、彼は駆け出す。

 さきほどの喚き、そこに「いくさ」があるという証拠。

 興房が駆け出すその先に、蠢く芋虫のようなものが見えた。

 芋虫は二匹ほど居り、その芋虫は「坂の上」に向かって、新葉を食み進むかのように、蠕動していった。


「芋虫ではない」


 興房の目に、徐徐にくっきりとした視界が形作られる。


「杉と……問田。もしや、朝駆けを」


 気づいた時には、二匹の芋虫――杉と問田の軍勢は、「坂の上」にいる熊谷と香川の陣へと突撃していった。


「ばかな」


 夜襲で駄目なら、朝駆けだと。

 何と、浅はかな。

 興房は目を覆いたくなった。

 安芸ここは、敵地ぞ。

 さような夜襲、朝駆けなぞ、その敵地の耳目に捉えられず、できるものか。


「……返せッ、戻せえ!」


 興房の叫びも虚しく、杉と問田は幔幕を切り裂いて、すでにもぬけの殻となっていた陣中に突っ込んでいった。


「……何だ?」


「妙だぞ、ご同輩」


 気づいた時には、側背からの、熊谷、香川の逆撃が始まっていた。


「かかれっ」


「ひとりも逃がすな」


 熊谷と香川からすると、大内の大軍を少しでも削っておきたい一心である。

 その必死の攻撃は、杉と問田の動揺と相まって、強かな痛撃と化した。


「これは、たまらん!」


「ひ……退け、退けい!」


 命からがら、杉と問田とその兵は「坂の上」から転び落ちていく。

 熊谷と香川は、勢いに乗ってこのまま佐東銀山城へと入城したいところであったが、陶興房がすでに己の手勢のみ武装させ、こちらへ向かって疾駆してくる姿が見えた。


「……さすがに欲張りは許さぬということか」


「熊谷どの、いかがする?」


「戻ろう……坂の上へ」


「左様だな。欲をかいて、破られても、かなわん」


 熊谷と香川は国人である。大内のような大名とちがって、一戦敗れれば、後がない。

 それに……大軍相手に勝ちを収めるなどという、奇蹟にも等しい真似を、おいそれとはできないと思ったからである。


「……しかし」


「どうした、熊谷どの?」


「……いや、そういえば、大軍相手に勝つというと」


「あっ、陶が来る! ここで負けては笑いものぞ!」


「……待て待て、待ってくれ」


 熊谷と香川は、ここで討たれては元も子もないと脱兎の如く、ひた走る。


「逃がすか」


 一方の陶興房は、主君の嫡子・大内義隆の初陣を敗北で汚してなるものかと、甲冑もろくにつけずに、熊谷と香川を追い込もうとしていた。

 興房の目に、熊谷と香川が慌てふためく様が見える。


「やるぞ」


 興房が突撃の号令を下そうとした、その時だった。

 逃げる熊谷と香川の軍勢の前に、突如、謎の軍勢が現れた。

 熊谷と香川は仰天しているようだったが、謎の軍勢の将と思しき人物が早く行けというと、ものすごく苦み走った表情をして、それでも頭を下げて、先を急いだ。


「何者ぞ」


 興房としては、この際、大内に刃向かう輩であれば、何者でも斬って捨ててくれると息巻いた。

 ……が、その軍勢の幟を見て、硬直した。


「一文字……三ツ星……」


 オリオン座のベルトに位置する三つの星。

 それを家紋にあしらう、安芸の武将といえば、ただ一人。


「毛利元就……だと!?」


 有田中井手の戦いにおいて、当時大内方として、五倍ものを敵を撃破して、大内義興から「神妙」との感状を賜った男。

 そして今や、これまで安芸のことを放っておいた大内に愛想を尽かし、尼子についた男。

 その男が、この佐東銀山に駆けつけ、その目に揺るぎない意志をたたえている。


「まずいッ! 退けい!」


 さすがに名将と謳われる陶興房である。その判断は早く、綺麗に弧を描きながら、隊列を崩さずに、見事に回頭して、自陣へと帰投してみせた。


「…………」


 元就はその陶の軍勢を見ながら、ため息をついた。


「今度は尼子が伯耆を攻めて……その最中に、大内か……」


 安芸はまだ、戦乱の巷にある。

 その現実が、未だ弟を喪った心の傷の癒えない元就を、苛むのだった。



 ……熊谷信直と香川光景が、毛利元就の援護により「坂の上」より撤退し、態勢を整えている時。

 この時、尼子経久は伯耆遠征に血道を上げていた。

 雲伯という言葉があり、その言葉のとおり、出雲と伯耆は近しく、一体のような関係にある。

 そのため、経久としては、安芸の鏡城を陥としたことにより、南部戦線にひとまずの決着を見て、かねてからの伯耆遠征に手を付けたところであった。


「毛利からの使いだと?」


 将兵が忙しく立ち回る陣中ではあるが、その男・志道広良は難なく経久の本陣へたどり着き、謁見を乞うた。


「恐れ入り奉ります」


「挨拶、世辞はいい。何事ぞ」


「されば」


 広良は毛利家の宿老と名乗り、その上で、大内家の安芸への侵入、ならびに佐東銀山城の危機を伝えた。


「…………」


「わが主、元就におかれましては、急ぎ尼子経久さまのご出馬を……」


「……無理だ」


「無理、とは」


 分かっていて聞くな、と経久は怒鳴りたかったが、今それをするわけにはいかない。経久、いや尼子家宿願の伯耆征服である。おいそれと中断できはしない。かといって、弟・久幸のような勇将を手放して派遣することもかなわず、そうすると、頼りになるのは……。


「いや、毛利どのが頼りじゃ。これ、このとおり」


 経久は広良に頭を下げてみせた。

 これにはさすがの広良も、恐縮せざるを得ない。


「頭をお上げ下され」


「いや、いや、こたびの伯耆攻め、尼子としては、何としても、というところなのじゃ」


 逆に言えば安芸は「何としても」ではないのか。のちにこの発言を聞いた元就はそう零した。


「すぐに兵を出せん。だが、必ず、必ずや近々にそれ相応の兵を出す。それまで……それまで、堪えてくれんか」


 実際、経久はこの伯耆攻めを、後世「大永の五月崩れ」と称されるほど、電撃的に進撃している。すなわち、米子城、淀江城、天万城、尾高城、不動ガ嶽城、八橋城を一朝にして屠ったと伝えられる。また、倉吉、岩倉城、堤城、羽衣石城と次々と降していき、伯耆をわがものにすることに成功するのである。


「……分かり申した」


 これ以上の譲歩は無理筋。

 そう判断した広良は、こうなっては一刻も早く元就に復命せねばと、一路、安芸を目指すのであった。

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