十 転機
相合元綱の死の翌月に、それは訪れた。
転機が。
「
大永四年(一五二四年)、五月。
周防の戦国大名・大内義興がついに重い腰を上げ、安芸へと兵を進めたのである。
義興率いる二万五千の軍は周防・山口から進発し、怒濤の如く安芸へ攻め入り、瞬く間に海路の要衝にして神域である厳島を押さえて本陣にした。
そこから嫡子・大内義隆と、大内家の重臣にして宿将・
安芸武田家は、有田中井手の戦いをめぐる一連の動きにより、大内家から尼子家へ鞍替えしており、義興としては腹に据えかねる存在であった。
「義隆よ……必ずや安芸武田家の光和、予に屈服させよ」
「ははっ」
大内義隆。
大内義興の嫡子であり、のちに大寧寺の変にて、
「安心召されよ、爺がついておりますれば」
義隆の脇に控えし、陶興房が恭しく頭を下げた。
――嫡子・大内義隆の初陣及び、宿将・陶興房の補佐。
名誉の上でも、実力の上でも、負けられないし、負けは無い。
大内義興の安芸武田家の打倒に懸ける意気込みが知れた。
「うむ」
義興は破顔して、ぽんぽんと義隆と興房の肩を叩いた。
「期待しておるぞ。予も励むでな」
事実、義興はこの後、破竹の勢いで厳島とその付近の諸城を陥としていくのである。
*
大内義隆と陶興房は、佐東銀山城へと迫り、まるで見せつけるかのように、堂々と布陣した。
対するや、安芸武田家の武田光和の兵は三千しかなく、光和は籠城戦を余儀なくされた。
拮抗し、均衡する陣中にて、初陣の義隆は、だが戦功に逸ることなく、隣に控える興房に言った。
「爺よ」
「何でしょう、若」
「頼むぞ、
「……恐悦至極に存じまする」
一方、佐東銀山城、武田光和は籠ったものの、当然それだけではなく、重代の武田臣下の国人たちに救援の要請をしており、その国人たち――熊谷信直や香川光景らは、千余騎を率いて、佐東銀山城外、「坂の上」というところに陣をかまえた。
ここで、大内義隆の陣にて、軍議が開かれた。
「ここでいたずらに彼奴ら国人どもを入城させるのはいかがなものか。禍根、断つべし」
「杉どのに同意でござる。今、佐東銀山に駆けつけたばかりで疲れておろう、油断しておろう……夜襲じゃ、夜襲」
杉、
興房は苦笑する。大軍を擁してのこの戦、すぐにも勝ちが決まってしまうその前に、少しでも手柄をという魂胆であろうと。戦意の高さは嘉すべきであろうが、今ここでうかうかと攻めて、かえって逆襲を食らうという醜態は避けたい。
「方々、落ち着き召されよ」
興房は立ち上がって、まあまあと両手を広げてなだめにかかる。
「そも、大内の兵は、夜襲は不得手。このこと、船岡山の合戦において、この陶興房が言上したとおり」
大内義興の上洛戦において、最も激しいとされる戦、船岡山合戦。応仁の乱におけるそれと区別するため、永正船岡山合戦とも呼ばれる。
その船岡山の戦いを前に、当時は大内家麾下であった尼子経久は夜襲を提案し、敵を殲滅してみせると豪語した。
陶興房は、その経久に冷や水を浴びせかけるように「大内は、夜襲は不得手じゃ」と言い切り、提案を退けた。
「……しかし、このまま指をくわえて、佐東銀山に援軍を、でなくとも兵糧財貨が運ばれるのを見ているわけにはいかん」
夜襲が否定されたので黙った問田に代わり、杉が正論を以て、義隆と興房の説得にかかった。
だがそれも興房は一蹴した。
「彼の国人ども、入城するなり荷駄を入れるなりするならば、こちらは彼奴等の領地に攻め入るまでのこと。何ほどのことがあろうや」
実際、大内軍は、熊谷信直の領地である
興房はたたみかける。
「方々、こたびの戦、こちらにお出ましいただいた、大内家の御曹司・義隆さまの初陣であること、
本当は夜襲ではなく軽挙妄動と言いたいところであったが、杉と問田にも面子があろうし、何より軍議の場での自由な発言が妨げられるやもしれんと
……ただ、その配慮は完全に逆効果を生む結果となった。
*
「夜襲でなければ良いのじゃろう、夜襲でなければ」
「どういうことだ、ご同輩?」
杉と問田は軍議が解散となり、それぞれ己の陣所への帰途、たまたま隣の陣所同士である彼らは、自然、夜襲の提案を蹴られたことに対する不満を口にし合っていた。
その流れで、ふと、杉が先ほどの発言をした。
発言してから、我ながら妙案だと杉はほくそ笑んだ。
不得要領のままの問田は、なおも問いただす。
「……なあ、ご同輩。何を」
「これは失敬、問田
問田は言われるがままに杉の内緒話を聞いた。
そして問田もまた、杉と同様にほくそ笑むのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます