八 謀殺

 一方の毛利元就は、馬上、吉田郡山城へと歩を進めていた。


「……出家か」


 ひとりごちる元就。

 幸松丸は死に、相合元綱は寺へ。

 当初描いていた毛利家の絵図面と、何とちがうことか。

 これでは、元就自身が乗っ取ったようなものではないか。

 あの……元就が乞食若殿と呼ばれることになった原因、権臣・井上による城盗りのように。

 だが。


「これ以上……尼子の意のままにさせておくものか」


 尼子の影響、尼子の意向は、今後まだ毛利を支配するだろう……しかし、それももうしまいにしなくては。今すぐは無理でも、これからは……。


「兄上!」


 己の世界に浸っていた元就の背を、弟の声が撃つ。


「……元綱? どうした?」


 思わず振り向いた元就。

 もしや、気が変わって、やはり共に吉田郡山に来る気になったのか。

 そんな笑顔を浮かべた元就の眼前で、元綱は引きつった顔を見せていた。


 坂と渡辺は、船山城から吉田郡山城への途上、最も弓を射るに適した地点にまで来ていた。

 ……ある男を伴って。


「こちらです」


 ある男は無言で頷くと、弓を取り出して、矢をつがえた。

 するとほどなくして、元就が何か考え事をしながら騎行してくるのが見えた。

 そして元綱が全速力で馬を走らせ、元就に追いついていくところも。


「……射る」


 射る「狙い」は分かっている。それは男の兄、尼子経久から指示が出ている。


「久幸よ、お前の弓が必要だ」


 そう言って、経久は、弟・尼子久幸を安芸に差し向けた。

 尼子久幸。

 のちに新宮党とよばれる、尼子家の精鋭を率いる勇将であり、優れた武士であった。

 その久幸を派しているところに、経久の、この謀略への意気込みが知れた。


「狙うは元就だ、久幸」


 このような状況、元就と元綱が同時に居合わせ時。

 元就を狙えと。

 そう、経久は言った。


「さすれば元就が討てぬとも……」


 久幸は、こともなげといった感じで、ひょうと矢を射た。その何気ない所作は、坂と渡辺は、今、主君に叛した瞬間であるということを思い起こせぬくらい、ごく自然な所作であった。


 矢が走る。

 その風切り音に気づいた元就か。

 あるいは近づく矢を目に捉えた元綱か。

 どちらが先かは、分からなかった。

 が、動いたのは――元綱が先だった。


「兄上!」


 元綱は馬上から、判官義経のごとくに飛び上がり、そしてそのまま、元就に覆いかぶさった。


「……っ」


「元綱!」


 元綱の背に、矢が刺さる。

 曲者くせもの、と言おうとした元就の目に、さらなる矢が飛来するのが見えた。


「させぬ!」


 元綱は剛力を発揮し、元就の身を己のそれで覆い隠す。元就がやめろ離せと言うのも聞かず、亀のように固まった。


「……がっ」


 容赦なく降りそそぐ矢。

 坂と渡辺は、もうよいもうよいと必死に久幸に組み付いた。

 しかし、久幸はいわおのように佇立ちょりつし、なおも矢を放つ。


「……これでしまいだ」


 強弓から発射された、とどめの矢が、元綱の首筋へと突き立った。


「急所だ。助かるまい」


 久幸はようやくにして弓を下ろし、そして合掌した。

 彼は、これほどまでに自分の矢に耐えた者を知らない。

 武士として、その勇に敬意を表したのである。



「元綱、元綱!」


 元就が必死に弟の名を呼んでいた。

 ……この頃になると、元就の不在にしびれを切らした宿老・志道しじ広良ひろよしが、粟屋元秀と共に手勢を率いて駆け付けつつあった。

 広良が異常を感じて目配せすると、元秀はかしこまったりと目で応え、何やらざわめきの聞こえる近くの高みにある茂みへと馬を馳せた。

 茂みに隠れていた坂と渡辺だったが、いざ逃げようという段になったところで、すでに尼子久幸が雲と消えていたことに気がついた。久幸自身は「御免」と告げていたのであったが。

 坂と渡辺は、元就を殺すつもりが、元綱を死なせてしまったことに動揺し、今になって、自身らの置かれた状況を理解したところである。


「……曲者くせもの! 神妙にいたせ!」


 有田中井手の勇者である元秀は、即座に弓をかまえてその茂みを射た。

 すると、坂と渡辺がまろび出て、そのまま、ちがうちがうと言って遁走を始めた。


「何が……ちがうのか!」


 元秀は、切って捨てるのも已む無しと抜刀する。しかしその元秀の馬の、一歩先の地面に、鋭く矢が刺さった。

 ひょう。

 ひょう。

 あからさまに、脅しというか、元秀を止めるための弓射である。

 元秀が右に左にと馬を進めようとすると、すぐにそちらの一歩先に矢が射られてくる。


「誰だか知らぬが、恐るべき弓よ」


 その弓の卓越した技倆を悟り、元秀はそのまま進むことができなかった。


 ……その矢は、むろん、尼子久幸の弓によるものである。久幸は坂と渡辺から離脱した。しかし、だからといって、見捨てることはしなかった。それは尼子経久の指示によるものか、あるいは久幸自身の温情から来るものかは、分からなかったが。


「ご苦労に存ずる」


 その久幸のそばに、いつの間にか亀井秀綱が来ていた。


「……これで兄は満足してくれるかのう」


「してくれましょう」


 尼子久幸。

 亀井秀綱。

 ともに、若き日の尼子経久が国を失った頃、経久に付き従って放浪した仲である。やがて経久は見事に国を、出雲を取り戻すのだが、それゆえに、経久が「国」盗りへの渇望を抱いたことを知り、それを支えることを生き甲斐にしていた。


「しかし」


 久幸は言った。


「元就を射る……それにより、元就が射殺せればそれでよし、元綱がかばって、その結果死ねばそれでよしとは……わが兄ながら……」


 秀綱は瞑目した。


「それ以上は、皆までは言いなさるな、久幸さま……おやかたさまとて、その悪辣さを知ってござる」


 だからこそ、われわれが共に背負おうではありませんか、と秀綱は付け加えた。


「そうだな」


 久幸は答えた。


「われら、国を失った折り、兄にどれだけ助けられたか知れぬ……それに比ぶれば、汚名を共にすることなど、何ほどのことがあろうか」


 秀綱は頷き、そして二人は共に、出雲への帰路にくのであった。



「兄上……」


 背に何本かの矢が刺さった相合元綱は、相合元綱の顔は、徐々に青ざめつつあった。刺客の放った矢は、やじりに毒が塗られた、毒矢だった。

 毛利元就はその元綱を抱きながら、急ぎ医術の心得のある者をこれへと志道広良に命ずるが、広良は黙って首を振った。


「死相が出ております」


「…………」


 元就も戦場で過ごした経験から、元綱の命があとわずかだと悟った。


「……兄上」


「元綱、もうしゃべるな」


「いや……しゃべることができるのは、もう……なら、言わせてくれ」


「…………」


「尼子……経久の……謀略は凄かった……だが……」


 元綱の口がぱくぱくと動いているが、声が出ない。

 しかし元就はそれを聞こえているかのように、うん、うん、と頷くのであった。


「……頼む」


 それが元綱の最後の言葉だった。

 目が閉じられ、力なく元就の腕から崩れ落ちた。


 大永四年四月八日。

 相合元綱は、その短い人生を懸命に生きながらも、最後には尼子経久の謀略の果てに斃れた。

 このことは毛利元就の心に深い傷を残し、彼のその後の人生に大いに影響を与えることになる。

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