七 決意

 船山城。

 相合元綱は、鏡城攻めでの不首尾に己を恥じ、自ら謹慎する日々を送っていた。

 兄・多治比元就の家督継承に際しても、特に不満も不平も漏らさず、ただただ、妻を愛し子を慈しむ日々であった。


「客?」


 近侍から名前を名乗らぬ何者かの訪問を知り、元綱はいぶかしみつつも、会うことにした。

 どうせまた、坂だの渡辺だのが、共にって毛利の家をとか言ってくるのであろう。名を聞くと居留守を決め込んだのが、癖になり過ぎたか。


「下らん、実に下らん」


 だが鏡城攻めでの一連の出来事を体験し、元綱は家督というものに対して、一定の距離を置くことにしていた。

 だから、兄の家督継承は渡りに船だった。


「あんな骨肉の争いを、特に幼子の心に傷を残すものなど、知らん。知りたくもない」


 そう言って、息子に書を教えたり、馬の稽古をつけたりしていたのだ。


「……いい加減にしろと言ってやろう。いっそのこと、剃髪でもするか」


 それなら兄も、何より坂や渡辺も、何も言えなくなるだろう。


「だが、女を抱けなくなるのはちと残念だな。も少し先にするか」


 口から出た剃髪という言葉に、案外に良いものを感じ、少し機嫌を良くした元綱だが、客の前に出る前には渋面に戻った。


「何の用だ」


「久しいな、元綱」


「兄上?」


 毛利元就となった兄が、単身、船山城へ元綱に会いに来て、そして出てきた近侍には名を伏せろと言っていたのである。


「びっくりさせようと思ってな」


 屈託のない笑顔でそう言われると、元綱も破顔せざるを得ない。


「……おたわむれを」


「いや、こうでもせんと、お前に会えんからな……単刀直入に言うぞ、吉田郡山に出てこい」


 元就は逃げようとする元綱の手を掴んだ。


「……事ここに至った以上、吉田郡山に出て来ねば、私は抑えることができぬ」


 何ができないのか、とは元綱は問わなかった。

 元就は元就で、家臣たちの突き上げを食らっているのだ。


「家を二つに割らないためにと家督を継いだのに、何と皮肉なことだ」


 歎じる元就に、元綱も黙って頷くしかない。

 どうしたこうなったのか。

 有田中井手に勝ち、尼子にもすり寄り、毛利の家は、幸松丸を軸に、元就と元綱が両翼を支えて、やがて安定と繁栄を迎えようとしていたのに。


「やんぬるかな……しかし、まだ間に合う……まだ間に合うんだ、元綱。吉田郡山に来てくれ。来てくれれば、臣下としてだが、お前を生かすことができる」


 それが気に食わなければ、今のうち、私が頭を下げよう……と言って、実際に頭を下げる元就である。

 元綱は、そんな元就の肩をつかんで、頭を上げさせた。


「……おやめくだされ」


「……しかし」


「いや、今の兄上を見て、ついに決心がつき申した……拙者、剃髪いたす」


「なんと」


「近くの寺ではさわりが出よう……いっそ、京にでも出て、徳の高いお方にでも、弟子入りしようぞ」


 元綱は頭をつるりと撫でた。

 兄はああ言ってくれているが、臣下となったところで、他の家臣たちは争いをやめないだろう。

 なら、出家しよう。

 どこか、遠くで。


「京なら、さしもの尼子経久どのとて、もう何も申すまい」


「しかし……いいのか?」


 元綱は今義経とまで言われた武将だ。それほどまでの武将が、刀を捨てることができようか。


「できる」


 元綱は言った。


「しかし息子は別だ。大きゅうなって、武士になりたいと言い出したら、その時は、よろしく頼む」


 その言葉に、元綱の真情を悟った元就は……やはりまた、頭を下げるのであった。


 兄・毛利元就は、何度も頭を下げて、そして「京へ行く際は見送る。いつ行くか決まったら、必ず教えるように」と念を押して去っていった。

 弟・相合元綱は「分かってる、分かってる」と言って、さっさと吉田郡山へ帰るよう、兄を促し、笑顔で手を振った。


 出家する。

 こう考えると、気楽だ。

 弓矢の道から離れるのは、今さらながら辛いが、致し方あるまい。


「もう、こりごりだ」


 猛き敵手とやり合うのはいい。

 だが、弱き幼子を謀略の種にするのはいただけない。


「こう考えると、武士とは因果なものだな」


 存外、済まないと思うのは、自分が元就に対してなのかもしれないな、と感じた。

 因果な武士というものを、家督というものを兄に押しつけ、弟の自分は出家してしまうのだから。


「そうだ、出家の先達の弟にでも会っておくか」


 口笛を吹きながら城門から城内に戻り、妻子に外出を告げようとした。

 その背後。


「相合どの」


 跳びすさる元綱。

 このあたり、腐っても今義経の異名を取った男である。


「……何者」


「これはしたり。尼子家中、亀井秀綱にござる」


「……何用か」


 こやつ、いつの間に。

 さては、兄・元就が去るのを待ち受けていたか。


「お察しのとおりでござる」


「心を読むな! 聞いているのは、何用かということだ!」


 元綱が刀に手をかける。

 秀綱は胡乱な目をして、その刀を見ていた。


「拙者をお斬りになりますると、後がありませんぞ」


「ふん、尼子経久どのの、狼の威を借りるか、狐めが」


「狐で結構……なら、その狐の鳴き声を聞きやれ」


 秀綱は刀から逃げることなく、むしろ前へ進み出る。

 元綱はその様子に、刀から手を離すことは無かったが、言った。


「命を懸けてまで、何を鳴きたい?」


「さればでござる」


 秀綱は実際に狐のような妖しげな目つきをする。


「坂に渡辺……決めましたようで」


「……何を言うておる」


 坂や渡辺が何だというのだ。御輿である自分、相合元綱が出家を決意した以上、何を決めようとも、無意味。


「大方、おれを御輿に決起などという、絵空事でも決めたのか」


 なら、面倒くさいが、武士をやめた旨、坂と渡辺に告げに行くまで。

 元綱は刀を収め、きびすを返す。


「ああ、そういえば」


 狐がまだ鳴いている。


五月蠅うるさいぞ、もう鳴くのはしまいにしろ」


 お前にもう用は無い。

 元綱は背中で語った。

 ところが、狐――秀綱は、とんでもないことを言い出す。


「元就さまとお会いになりましたな」


「知っておろう。ね。何をしている?」


「ひとりで出歩きなさるとは……余程、腕に覚えがおありだそうで」


「……何ッ」


 元綱は一瞬で振り向くと、秀綱の襟をつかみ上げた。


「貴様……今、何と言うた?」


「あるがままに……だから言うたではありませぬか、坂と渡辺は決めました、と」


 尼子経久は亀井秀綱に命じて、坂と渡辺に告げた。

 これ以上、待てぬ。

 尼子は、毛利を攻める、と。


「何だと?」


「……誰が好き好んで主家を裏切りましょうや、元綱どの。坂や渡辺は、むしろ忠臣。われら尼子という脅威を、和らげようと、それはもう必死で必死で……」


 それが、尼子経久が語った、猛毒の言葉である。

 亀井秀綱は、坂と渡辺に、尼子の意を汲まねば、毛利を攻めると語って――脅した。

 この時代、中国という地方において、雲州の狼・尼子経久ほど危険な男はなかっただろう。その男が、言うことを聞かねば、主家を滅ぼしてくれると言ったのだ。

 坂と渡辺は、戦慄おののいた。


 このままでは、いかぬ。

 確かに元就が継げば、毛利は強くなろう。

 だがそれでは、尼子経久の意に背く。

 いかに元就が勇将であるとて、尼子経久が本気を出せば、かなうまい。

 今こそ、裏切者の汚名を着てでも、元就を討つべし。

 ……主家のために。


「……何だとッ!」


 元綱は再度同じ台詞を吐いた。

 亀井秀綱はいっそ冷めた表情で、その憤りを見つめ、見つめながら言葉を紡ぐ。


「そして……よりによって、元就どの、不用意にも船山城に来てしまったわけですなぁ」


「貴ッ様……」


 坂と渡辺は元就暗殺の機会をうかがっていたのだ。

 そして、つかんだ。

 元就が、元綱のいる船山城へ来て、そして帰っていくという情報を。


 時こそ、至れり。

 このまま元就を討てば、おのずと元綱も起たざるを得まい。


「そして、哀れ忠臣の御忠義により、兄君は討たれ、御身おんみは御当主に……」


「……黙れッ! 黙れ黙れ黙れッ! 黙れえええい!」


 獣の咆哮にも似た叫びを上げた元綱は、うまやを目指す。


「馬引けい!」


 一路、元就の下へ。

 元綱が必死に馬に鞭打つ姿を、秀綱は言われたとおり、黙って見ていた。

 そしてとうとう元綱の姿が見えなくなったところで、こう呟いた。


「……行ったか。恐るべしは、わが主の謀略よ」

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