四 調略

 相合元綱の初仕事は、鏡城を囲む陣中にいる毛利幸松丸への慰労である。慰労といってもそれだけでなく、当然、総大将である尼子経久への表敬訪問及び外交活動も含まれていた。


「叔父上」


 幸松丸は素直に喜んだ。

 元綱の見るところ、特に戦へのかげはなく、むしろ昂揚していると言った方が良いくらいだ。

 思わず、事実上、鏡城攻囲陣の毛利軍を率いる、粟屋元秀を見る。元秀もまた、少年の元気な様子に微笑みを浮かべていた。


「はて」


 疑問に思う元綱であったが、元秀に聞くと、戦自体は無く、包囲のみに終始していると言った。


「それゆえ、未だ戦のじつを知りませぬ」


「そうか」


 戦ごっこのような状態ということか、と元綱は得心が行き、ではと尼子経久の本陣へと案内を乞うた。


「叔父上、私が」


 少年は経久の名を聞くと、大いに喜んで、元綱の手を引かんばかりに本陣へ連れて行こうとした。

 これまた、元綱が元秀の方を向く。


「可愛がられておるのです」


 猫可愛がりに可愛がられて、幸松丸はすっかり経久に懐いていた。


「……ふむ」


 半信半疑の元綱であったが、実際に本陣に行くと、幸松丸は早速にも経久に抱き着いた。


「じじ様!」


 経久も心得たもので、おう、おうと言って、幸松丸を抱き上げるのであった。


「爺にはもう重たすぎるわい。日に日に大きゅうなるのう、幸松丸どのは」


 よいせっと、幸松丸を下ろし、そして幸松丸を膝の上に座らせながら、経久は元綱に引見した。


「わざわざのおとない、大儀である」


「恐悦至極に存じ奉ります」


「……こたび、毛利家の取次を任されるとのこと、まことに祝着である」


 もうそんなことを知っているのかと、元綱は舌を巻いたが、ここで驚いてばかりはいられぬと、ぐっと気合いを入れて「左様でござりまする」と答えた。


「ほ。堂々たるものじゃ。幸松丸どのといい、そなたといい、毛利は人に恵まれておるの」


「恐縮にございます」


 元綱は一礼する。そして考える。取次を担うことが先に伝わってしまったが、これはこれで良い。むしろ、そうなったと挨拶をする手間が省けた。今後は、取次のじつを伴う話をしても、差し支えあるまい。

 笑顔の下でそんなことを考え思っていると、経久がちこう近うと言ってきた。


「今義経どの、そなた折角の取次の役目。何か手柄となることがあればと思うたのじゃが……」


「お気遣い、ありがたく。しかし……」


「ああ、ああ、そういう格式ばった挨拶文句はいい。わしが言いたいのは、早速に毛利の策を欲しているということじゃ」


「策、とは?」


 謀略においては右に出る者がいない。

 それが後世における、そして当世においても、尼子経久に対する評価である。

 その経久が、策を、とは……。

 いぶかしむ元綱に経久は破顔する。


「ちがうちがう、『毛利の』策として、策があるのじゃが、それをのう、許して欲しいのよ」


 経久は、膝の上の幸松丸にも分かるように説明する。

 鏡城の包囲は結構つづいているが、なかなかちぬ。

 ならば、ここは搦手からめて……調略から攻めるべき。

 そう思った経久は、鏡城の将兵の配置に着目した。

 本丸は、城将たる蔵田房信が。

 二の丸には、副将たる蔵田直信が。

 それぞれが籠っており、房信が蔵田家の当主で、直信はその一族の者だ。


「そこで、じゃ」


 経久は、いつの間にか取り出した鉄扇を振るう。


「この蔵田直信なるものに、誘降を仕掛ける」


「誘降、ですか」


「左様」


 鉄扇で幸松丸を扇ぐ経久。幸松丸は嬉しそうに、きゃっきゃっと笑った。

 元綱は未だ策の全容がつかめず、不得要領な顔をした。


「それが……どうして、『毛利の』策と……」


「されば、さ」


 経久が鉄扇をぱちりと閉じる。その音の軽快さに、幸松丸は自分にもとねだった。経久は良いとも良いともと言って渡す。


「蔵田直信、降りし後は、蔵田家の当主としてやろう、と……こういう筋書きで、毛利から働きかけてもらいたい」


「…………」


 尚も分からぬ、という表情をする元綱に、経久は片手を口の横に立てて、ひそひそと話す。幸松丸が何々と耳を寄せてくる。


「分からぬか、今の誘降、尼子より……同じ安芸の国人たる、しかも大内家と昵懇じっこんであったにもかかわらず、わが尼子に合力してくれた毛利が言う方が、遥かにく」


「左様で」


 元綱は膝を打った。大内家偏重から、尼子家へとすり寄った毛利家。そしてこうして鏡城へと出陣し、当主・幸松丸は、経久から下にも置かぬ扱いを受けている。その毛利家が、「尼子にくだれ。降れば当主ぞ」と言えば、それはかなりの説得力を持とう。


「……納得いただけたようじゃのう」


 経久は、重いと言って返された鉄扇を、軽々と振って広げる。そして今度は元綱をあおいだ。


「そこで、じゃ……」


 そら来たと身構える元綱。この雲州の狼が、ただで何かするわけがない。何か代償を求める気か。


「構えるでない。やすいことじゃ。その誘降の申し出……多治比どのから、ということにしてもらいたい」


「兄の……?」


「うむ。さすがに幸松丸どのの名で申し出るわけにはいかん。これは分かるの?」


「は、はあ……」


「あとは、今義経の相合元綱どのの名も捨てがたい。捨てがたいが……ここはひとつ、この爺の顔に免じて、多治比どのの名で、やらせてくれんかの?」


 元綱とて、兄・元就の武名は自分より上であることは十二分に理解しており、そのことをうらやむことはあっても、妬むことは無かった。それゆえ、経久が元就の名を、というのは理の当然だとは思った。


「しかしそれが、何故、拙者の取次としての手柄と……」


「ふむ」


 経久は鉄扇をぱちりと閉じる。


「実はこの鏡城攻め、もうそろそろしまいにしたい。ゆえに、この場にて、多治比どのの名を借りること、了承してもらいたい」


 兵糧などがもう無いのじゃ、平賀からも言われておると経久は付け加えた。


「つ、経久どの、頭を下げるのはおやめください」


「何、この爺が謝って済むものなら、安いものじゃて……どうぞ元綱どの、この爺のわがまま、聞いてたも」


 経久はいつの間にか幸松丸を下ろし、地に手をついて、元綱に対して、こうべを垂れていた。

 元綱は悩んだ。経久の発案ということであれば、この策はかなりの確率で成功するであろう。長引く戦で疲弊するのは、毛利とて同様。何も平賀のみに限った話ではない。

 それを、この調略によって終わらせることができるのならば。

 それも、多治比元就の名によって行えば、毛利の手柄となる。


「…………」


 取次、外交は任せると、尼子については元綱にと、他ならぬ元就が言っていた。

 ならば。


「分かり申した」


「おお」


 経久は顔を上げ、にっこりと笑った。幸松丸は爺が笑った笑ったとその顔に飛びつく。


「これこれ……幸松丸どの、大人同士の話し合いでござるぞ……失礼、元綱どの、では……」


「ええ、このこと、後先になりまするが、拙者が兄に申し上げますので、どうぞ、存分に」


「さすがじゃ。さすが今義経。こういう話にも豪速果断。これ秀綱、そちも見習うが良いぞ」


「ははっ」


 これは経久の脇に控えていた亀井秀綱の声である。秀綱は経久の意味ありげな視線を感じ、早速に、元綱にお近づきに一献と、下にも置かぬ扱いで、酒に誘うのであった。



 結論から言うと、鏡城は陥ちた。

 副将、蔵田直信に対する誘降の策は図に当たり、直信はものの見事に二の丸を明け渡し、尼子勢は勢いづいた。

 本丸の大将・蔵田房信は動揺著しく、防戦一方のまま押しまくられ、とうとう、妻子と城兵の助命を条件に降伏を受け入れた。その際、自害も条件に入っており、房信は切腹して、果てた。


「これで蔵田は、城はわが手に」


 喜んだのは蔵田直信である。房信の「叔父」であった彼は、このような展開でもなければ、家を継ぐことができない。手放しで喜ぶ直信であるが、その背後に、尼子経久が手ぐすねを引いて待ち構えていることに気づけなかった。


 この時点で相合元綱は吉田郡山城への帰途にあり、彼は兄・多治比元就に、調略の「首謀者」となってもらう事後承諾をどう得るかで悩んでいる最中であった。


「しかし取次の『初陣』としては上出来ではないか」


 そう元綱は結論づけた。

 話し合いの場において、自家の持てる限りを念頭に、相手からより有利な条件を引き出す。

 それが取次の極意だと思う。

 であれば、今回、元就の名を借りることにより、鏡城を陥落せしめることができれば、尼子経久はいたく感じ入り、恩賞をはずんでくれるのではないか。


「あわよくば……尼子家の安芸における『代官』は毛利に」


 このあたり、相合元綱は、尼子経久の術中にまっていたと言えよう。だが一流の謀略家相手に、初めての取次をこなそうとする元綱に、そのことに気づけというのは、無理な話であった。


 ……そしてそれは、やはり一流の謀略家である多治比元就をして、ほぞませることになった。しかも、尼子経久の謀略は、それで終わりではなかったのである。

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