十三日目は金曜日 ~キミが死ぬまで来ない未来(あす)~
宮代魔祇梨
プロローグ~追想~
その日、ぼくは美しい人を見た。
独り住まいのアパートから、大学にほど近いアルバイト先へと向かう途上、大通りから一本外れた裏道に面した墓地。
普段は気にも留めずに素通りしている
──未亡人。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、どうしてかそんな言葉だった。
未だ亡くならざる人。
語句の成り立ちからして、この語自体に『夫に先立たれたにもかかわらずまだのうのうと生きている人』とでもいうような、どこか非難めいたニュアンスが少なからず含まれている。
仮に発話者の側にそういった含意がなかろうと、安易に他者に対して用いるべきではない
そのようにぼく自身は思っているし、実のところそもそも
中性的な容貌。
長い髪が半ば覆い隠すようにしている大きな目は、ここではないどこかを見ているようで。
意思の強そうな眉に、すらりと通った鼻梁、薄い唇。
くっきりとしたそれらのパーツが形作る、どこか
ぼくとさして歳は離れていないだろうに、やけに大人びて、そして遠く見えた。
そして、服装。
昨日や今日葬儀を終えたばかり、というわけでもなさそうな──少なくとも、近くに親類縁者がぞろぞろと居並んでいる様子はなかった──風情でありながら、その装いは黒を基調とした、この季節には些か不似合いなものだった。
重なりあったこれらの要素が、ぼくに
まるで、伴侶に先立たれて以後も、ただひとりのために常に喪に服す、貞淑な妻(繰り返しにはなるが、これは不適当な喩えであるとぼく自身承知している)であるかのような……。
未亡人などという端的かつ突飛な表現は、どうもそうした印象が一足飛びに先行した結果、脳内で出力されたものであったらしい。
ぼくはどうしてか、他人のような気がしなくて、放っておけないような気がして。
その場で立ち尽くしたまま、魅入られたように彼の人を眺めていた。
ひとり佇む姿は絵になっていたが、日曜日の昼間の墓地には不似合いな若さから、控えめに言っても少し浮いていた。
とりとめもなくそのような物思いに耽っていたぼくは、彼の人がいつの間にか顔を上げていたことに、少し遅れて気が付いた。
はたり、と目が合う。
「……」
気まずい。
故人との対面を敷地外から覗き見るというだけでも、あまり褒められた行いとは言えない上に、あろうことか相手にそれがバレてしまった。
いっそ相手が幽霊かなにかであったほうが幾らかマシだったのではないかと思えたほどだ。この際、縁起が良いだとかとか悪いだとか、そういう話は置いておく。
とはいえ白昼堂々、ましてああもはっきりと現れる幽霊などはいないだろう。実際どこからどう見ても相手は生きているわけで、目が合ったからといって取り憑かれるだとか呪われるだとか、そういう心配をする必要はなさそうだ。
──じゃなくて。
ここで下手に誤魔化したり逃げたりしては、余計に心証が悪いだろう。……既に手遅れな気もするが。
さりとて彼の人とは距離がある。謝ろうにも相当声を張らなければ届かないだろうし、人気のない墓地で
そう考えたぼくは、声は出さずに、できるだけ大きくゆっくりと『すみません』と口を動かして、頭を下げた。
ぼくはそのまま、展墓を終えた彼の人が敷地から出てくるのを待ち、改めて非礼を詫びた。
「その、お邪魔しました……」
「いやいや、気にしなくていいよ。きみだって、なにも覗いてやろうと思ってやったわけじゃないんだろうし」
「それは……そうですが」
安心させるように微笑まれた。
遠目に見て勝手に抱いていた印象と比べて、存外あっけらかんとしているというか、しっかりしていて明るいんだな、などと失礼な感想を抱きながら、
「仕方ないというか、よくあることなんだ。ここ、往来から丸見えだからね」
「いやー、はは……」
ぼくとしては曖昧に相槌を打つほかない。
それこそ申し訳程度の塀や柵はあるものの、静かに故人を偲ぶのにうってつけの場所だとは、お世辞にも言えない環境だろう。面しているこの路地こそ人通りは少ないが、大通りの喧騒はすぐそこだ。
「そうは言っても、やっぱり悪い……というか、これじゃぼくの気が済まないので。……メビウスってお店、知ってます?」
まるで
「あぁ。
「ぼく、あそこでバイトしてるんです。少なくともぼくがシフトに入ってる時は奢るので、もし良ければ気が向いたときに来てください」
そう言ってから、ぼくは若干後悔した。
「……あぁでも、それがたまたまぼくがいない日だったら、
軽く会釈して、踵を返す。
数瞬遅れて、はっとした様子で何かを言いかけた気配を背中で感じながらも、振り返ることなく目的地へと歩き出した。
◆
「あ」
労働を開始すること数時間。
ちょうど遅めのおやつや早めの夕飯として軽食がほしくなってくる頃合いに入店してきた客を視界に入れて、ぼくは小さく声を上げた。
あの人だ。
ぼくは若干動揺しつつも、一先ず窓際のテーブル席へと案内した。
「まさか今日の今日でいらっしゃるとは……」
「こういうの、あまり先延ばしにするのもどうかと思って。いずれ来たいと思ってたお店だったし」
そこで声のトーンを落として、神妙な顔になるものだから、いったい何を言い出すのかと思えば。
「……『初めての人はこれを頼むべき!』とか、『こういうお店でブラックコーヒーを頼まないのは失礼!』とかってある? セオリーみたいなやつ、疎くて」
若干縮こまりながら顔色を窺われた。
「いえ、特にそういうのはないかと。あぁでも、ハンバーグなんかは結構評判良いみたいですね。つなぎなしで、良い肉を使ってるので」
「そっか。それじゃ、ハンバーグのホットサンドと日替わりスープ、あとはカフェラテをお願いします。良いお店に来るきっかけをくれたので帳消しってことで、お代は普通に払うからさ」
「
バックヤードで、そう訊ねながら肘で小突いてきたのは、
葉桜大学の同期で、ぼくとは入学以前からの知り合いだ。とは言っても、高校時代に通っていた塾で、第一志望校が同じだったために、なんとなくお互いをライバル視していた程度である。
快活で要領が良い印象の彼女とぼくとでは、なんと言うべきか色々とタイプが違うこともあり(そもそも学部からして違うので、単純に機会がないとも言うが)、入学後も普段からつるんでいるということはない。
それでも特段関係は悪くない──と思う──し、同じ店でアルバイトをしていることもあって、彼女との距離感には独特の
「あぁいや知り合い。今日ちょっとね」
「なんだそれ、あやしー」
彼女は軽く茶化してみせてから、どこか気遣わしげな眼差しで彼の人を見遣った。
「あの人、変わったよね」
「……?」
変わった? 変わっている、ではなく?
そのニュアンスの違いに首を傾げるぼく。
「悠、何か知ってるの?」
「知ってるもなにも、葉桜大の同期でしょうに。ま、理系だったはずだから、文系のあたしたちとは接点薄いけどね」
「そうだったんだ」
「えぇー……。奏さ、他人に興味なさすぎじゃない? 逆にどこで
まぁいいけど、と悠。
「身内だったか恋人だったか、そこまでは詳しくないけどさ。どうもその誰かさんを亡くしたらしい時期を境に、がらっと雰囲気変わったんだよね。なんか危ういというか、それこそ、まるでその亡くなった誰かさんの真似でもしてるのかなー、みたいな感じで」
「……」
──亡くした身内、あるいは恋人、か。
昼間目にした光景が頭をよぎる。
「結構前のことだから、知らなくても無理はないけどさ。興味本位で深入りするのはやめておいたほうが良いよ」
ほんの少しだけ真剣な面持ちで、彼女は言う。
「その亡くなった誰かさんもさ。結構きな臭いというか、妙な亡くなり方をしたみたいで。あの人、実はその死に関わってるんじゃないか……なんて噂も立ってるんだよ。悪い人ではなさそうに見えるけど、絶対何かあるって、アレ」
「こらこら」
「それに奏、デリカシーないからうっかり地雷踏みそうだし」
「……酷くない?」
ゴシップ好きかつハッキリと物を言う性質は、長所でもあり短所でもある。軽く
なんだかんだ彼氏は途切れないタイプの悠は、トラブルにならないよう立ち回るのが上手い。
どうやっているのかは知らないが、人間を見る目、もとい、特有の嗅覚のようなものがあるのだろう。……ぼくにデリカシーがないというご指摘についてだけは、流石に訂正願いたいところだが。
「会ったのも話したのも今日が初めてだったから、知ったようなことは言えないけど。結構人懐っこそうな人だったよ。話しやすくて」
「うー、奏にそう言われると、余計変わり者なような気がしてくるのがなー……。まぁ気を付けなよ、あたし、ちゃんと忠告したからね」
「はいはい」
◆
「ホットサンド、ご馳走さま。ハンバーグが肉肉しくて美味しかったし、なんかこうぎゅっとしてるのがハンバーガーとはまた違った感じで、食べてて楽しかったよ」
「良かった。店長にも伝えておきますね」
うん、と頷く彼の人は、やはり穏やかで、そしてどこか儚げでもあった。
──まるでその亡くなった誰かの真似でもしてるのかなー、みたいな感じで。
先刻の悠の言葉が思い出されて、ぼくはそっと彼の人の様子を窺った。
こうして向かい合うようにして立つと、ぼくより少しだけ背が高い。
ぼくが見ている、知っている姿は、実際には今は亡き誰かの似姿でしかないのだろうか。
そんなことはない。そう思おうにも、比較する材料さえ持っていないのが悔やまれた。
──この人のことを、もっと知りたい。
──もっと色々な表情を、本当の姿を、見てみたい。
そう思った。
「あの」
「ん?」
会計の定型的なやり取りを終えたところで、ぼくはおずおずと切り出した。
「ぼく、葉桜大の学生なんです」
「あ、やっぱり? どこかで見たことあるなとは思ってたんだけど。……二年生?」
「えっと、はい。誕生日がこれからなので、まだ十九歳ですが」
「お、一緒だ。……良かったぁ、これで実は先輩だったらどうしようかと思ったよ。ずっとタメ口だったし」
仮にぼくのほうが歳上で先輩だったとしても、後出しでそんな意地の悪いことは言わないが。確かにこだわる人はこだわるだろうし、それこそ怒られる場合もあるのだろう。
「それじゃ、今度学内とかお店とかで会う機会があったら、その時はよろしくね。それと、強制するつもりはないけど、敬語は使わなくていいから」
「はい、──いや、うん。今日は色々とありがとう。今後ともよろしく」
こうして話している分には、存外素直で無邪気な反応をするんだな。
そんな感想は胸に仕舞って、少々名残惜しく感じつつも送り出す。
──やっぱり他人とは思えないな。
きっと良き友人になれる、そう思った。
◆
思えば。きっと最初から、ぼくは彼の人に強く惹かれていたのだと思う。
それこそが悲劇を生むのだとも知らずに。
これがきっと、すべての始まり。
恋の始まりで、終わりの始まりだった。
──あぁ。
──どうして。
──どうして、こんなことになってしまったのだろう。
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