裏の裏は表

いちはじめ

裏の裏は表


 一人の女性が小さな興信所を訪れていた。

 ショートカットの三十歳後半、中性的な雰囲気の女性だ。夫の浮気を調査してほしいという相談であった。いつもの如く所長が対応した。

「ご主人の浮気相談ですね。何か思い当たることがありましたか」

「ああ……、この前、主人の出張用の鞄に女性ものの下着があって……」

「なるほど、それで浮気を疑われたと。しかし普通、浮気をしている男性はそんなものを家に持ち帰ることはしないものですが」

「そうなのか」

「ただ浮気相手が、相手の奥さんに自分の存在を誇示するために、わざと入れるということはありますが……。何か他に気が付いたことはありませんか。知らない女性から電話が掛かってきたとか、見知らぬ女性が家の前をうろついていたとか」

「いや、思い当たる節は……」

「そうですか。他の可能性としては、ご主人に女装趣味がおありになるのかもしれませんね」

「まさか」

「ご主人が、女性のファッションにやたらと詳しいということはありませんか」

「……そういえばとても詳しい」

「そういう点も含めて調査してみましょう。最後に確認させてください。どのような調査結果が出ても受け入れる覚悟はおありですか」

「大丈夫だ、何が出てこようと腹は決まっている、偽りの結婚生活からおさらばしたい」

 彼女は深々と頭を下げて、事務所を出て行った。


 その数日後、今度は、少し弱々しい感じの男が興信所のドアをたたいた。

「妻が浮気していないか、ちょっと調べてもらいたい」

「奥様の素行調査ですね。奥様のどういう点を疑われていますか」

「妻のよそ行き用のバッグの奥に、男性ものの香水が隠してあった」

「それはご主人のものではないと」

「当たり前です、私のものならこんなところを訪ねたりするものですか」

「なるほど、他には」

「このところ、昼間頻繁にどこかへ出かけているようなで、どこで何をしているのか調べてください」

「承知いたしました。こちらに必要事項をご記入ください。最後に確認しますが、どのような調査結果が出ても受け入れる覚悟はおありですか」

「ええ。どのみち妻に対して離婚を申し出るつもりですから……。それが彼女のためだ」

 男は書類を整えると、前金を渡して出て行った。

 その書類から、パソコンに男の依頼内容を入力していた女性事務員は、その手を止めて所長を呼んだ。

「今日来た男性って、先週、浮気調査を依頼してきた女性の旦那さんではないですか?」

 呼ばれた所長が、どれどれと、キャビネットから取り出した女性の依頼ファイルと、男の書類と交互に見比べ、目を丸くした。依頼者の苗字と住所が同じだった。

「本当だ、こんなことは珍しいな。夫婦でお互いを疑っているのか……。何やら訳ありだな。まあ仕事としては依頼された通り、きちんとやるだけなんだが」


 調査を始めると、すぐにそれぞれに不貞の相手がいることが露見した。普通、調査はその証拠固めをすればそこで終了するのだが、何か様子がおかしい、裏に何かあるのではないかと睨んだ所長は、そのまま調査を続行させた。

 その後の調査では、二人の不貞相手は「別れさせ屋」の人間であることが分かった。そしてその依頼相手は、何とそれぞれ自分自身であったのだ。別れたい相手に対して、偽装の不倫相手を近づけさせ、頃合いをみて不倫だと騒ぎ依頼者の有利に離婚を進めるというのが常套手段だが、何故自分に偽装の相手を……。これでは争議になった場合、不利になるのは必然なのだが……。しかも夫婦揃って同じことをしている。これはもう少し探りを入れる必要があるな、と所長は調査続行の決断を下した。これでまた経理担当の女性に、採算を考えてくださいとしかり飛ばされるな。所長の額にまた汗が滲んだ


 その後の調査結果は、その夫婦の別の問題を示していた。思案した所長は、思い切ってこの調査結果を、二人同時に伝えることにした。

 結果報告の日、そのことを知らされていなかった二人は、興信所の応接室で顔を合わせると、不信感を隠さず言い争いを始めた。そこへ所長が、まあまあ落ち着いてと言いながら、二人の向かいの席に着いた。

「報告の期限はとうに過ぎているというのに、これはどういう事なんですか?」

「そうですよ。しかも何故夫がここにいるんですか、守秘義務違反でしょう」

「申し訳ございません。これは私の一存でしたことです」

 所長はテーブルに打ち付けんばかりの勢いで頭を下げた。

「納得いく説明が欲しいですね」

「妻が言う通りです」

 二人は、先ほどの諍いがなかったかのように、怒りの矛先を所長に向けた。

所長は頭を上げると、二人の前に調査報告書を差し出した。

「結論を申しますと、お二人のご依頼に対して真摯に調査しましたところ、お疑いになるような事実は認められませんでした」

 二人は同時に、怪訝そうな顔をした。

「なら一人一人に報告すればよさそうなものなのに、何故我々を同席させたのですか」

 夫人が、まだ鉾は収めていないぞという態度で所長を問い詰めた。

「まあこれは、依頼の内容から逸脱しているのですが、実は調査の過程で、お二人が疑念を持たれた理由が分かりました。それについては、お二人同時にご説明した方が良いと判断いたしまして」

 所長はポリポリ頭を掻きながら、姿勢を正して二人に向き合った。

「お二人は互いに重要なことを隠していらっしゃいます」

 二人は息をのみ、複雑な表情で所長の次の言葉を待っている。

「お判りですよね、ご自分が何を隠してらっしゃるのか」

 二人は無言で俯いた、そして罪を全て白状した罪人のように微動だにしなかった。

「お二人はその後ろめたさから、結婚生活を放棄しようとして、浮気の偽装までされた。違いますか?」

 所長の言葉に何か気付いたのか、夫人がはっとして顔を上げた。

「今、お二人は、と言いましたよね……」

「そうです。お二人は同じなんです、そして同じことをされたんです」

「まさか……」

 驚愕の表情で二人は顔を見合わせた。

「そのまさかです。お二人はどちらも性同一性障害だったのです。世間を欺くために外見の性別で結婚された。ご自分を偽っての結婚生活はさぞ苦しかったことでしょう。そしてそれ以上に相手を騙すことに耐えられなかった。だからご自分の浮気を偽装して別れようとした。ですがもう隠す必要はありません」

 応接室に一時の沈黙が流れた。

 その沈黙にいたたまれなくなった夫は、椅子から崩れ落ちるように床に跪き、夫人のひざに身を預け、大粒の涙を落した。

「あなた、そうだったのね。隠していてごめんなさい……、ごめんなさい……」

 夫人はその夫の肩を優しく抱きかかえ、優しく言葉をかけた。

「こっちこそお前に夫を演じさせて悪かった。同じ障害だなんて……。だがこれからは大丈夫だ、二人で生きていこう……、いいな」

 二人は涙を流しながら、笑みを浮かべて見つめあった。

 所長は、しばらくうんうんとほほ笑みながら二人を見守っていたが、もみ手をしながら申し訳ないという表情で口を開いた。

「ハッピーエンドで盛り上がっているところを邪魔するようでなんですが、調査費用も膨らみまして、うちの事務所もハッピーになるように、その……、報酬を少しばかりはずんでもらえれば有難いのですが……」

 ちょうどおかわりのコーヒーを運んできた女性事務員が、呆れたと言わんばかりの口ぶりで言い放った。

「所長、せっかくのハッピーエンドが台無しです」

 夕日を受けた事務所の応接室を、四人の笑い声が満たしていった。

(了)

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