『うん、おいしい』

 ノゾミが階下に降りると、ダイニングの食卓には、サラダや果物、煮物が並んでいた。


「一応病み上がりだから、軽そうなものにしておいたけど、大丈夫?」


「うん、大丈夫」 


 ノゾミの姉。

 愛川幸来あいかわゆきなの、不安げな表情に、ノゾミは精いっぱいの笑顔で答えた。


 だって。

 並べられた煮物は、見ただけで何時間も煮込んだのだとわかる程、具材がほたほたになっていた。

 食べやすい物、消化に良い物、あっさりした物。

 姉が、どれほど考えているか、ノゾミには良く解る。

 


「ごめんね、サラダはちょっと良くなかったかも。あとノゾミおかゆ嫌いだから、お米はやめておいたんだ。欲しかったら、チンするやつあるけど、居る?」


「ううん、このままで大丈夫。ちょっと心配症過ぎない?」


 そう言って、笑って、ノゾミは席に座った。


 本当のことは言えない。

 本当の自分が、今、何者なのか。

 言える筈も無い。

 その呵責がノゾミを締め付ける。

 姉の前だけは元気で居なきゃ。

 そうノゾミは、自分に言い聞かせた。  


 いつも通り振舞おうと。 


「お母さんは今日も仕事?」

「うん、しばらく休んじゃったから、今日はどうしても出なきゃいけないって」


「そっか」


 きっと、お母さんを休ませてしまったのは、私のせいだ。

 とノゾミは思った。


 なのに。


「ごめんね、私が、お醤油なんて頼んだばっかりに……」

 

「お姉ちゃんのせいじゃないよ。そんな大した怪我でもなかったし、気にしないでよ」


「ありがとう」


 そう言って、幸来は、席に座った。


 二人だけの食卓。


 いただきますをして、ノゾミは煮物を一口食べた。


 ――その瞬間。


 ノゾミは、たった数秒、意識が遠のいた。


 

 ――。


 ノゾミは、頭部以外は、人工的な物に置き換わっている。

 人間である部分を維持するためにも、食事は必要だ。


 そして最新の人工臓器は、優秀らしい。

 造り物でも、ちゃんと食事を処理できるのだから。


 ――。


「うん、おいしい」

 勝手に、涙が頬を伝って出た。



 最新の人工臓器は、優秀らしい。

 ――でも。



 きっと味覚が変わってしまったんだ。

 あんなに美味しかった、姉の料理は。


 何の味もしなくなっていた。


 


 

 

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