託されたもの―伍(了)

「とりあえず澪が帰国したら、ご両親に挨拶させてもらうけん。ちゃんと同棲の許可をもらわんと……」

「うん」

「とか言って、反対されるかもしれんけど」


 澪は両親から、かなり可愛がられているようだった。一度は留学に大反対していたぐらいなので、どこの馬の骨かも分からない男と一緒に暮らすなど、果たして許してくれるのかと不安になる。

 複雑な表情を浮かべると、その不安を和らげるように、澪が柔らかい笑顔を見せた。

 

「大丈夫だよ。今回の留学の件で少し目が覚めたというか、諦めたみたいだから」

「そうなん?」

「母はもともと自由にしていいって言ってくれていたし、父が過保護だっただけ。それと弟がね、お姉ちゃんの好きにさせてあげてって言ってくれたの」


 出会った頃は複雑そうな表情を浮かべながら両親の話をしていたが、留学を機に変化が出てきたのかもしれない。同棲を許してもらえそうなことより、そちらの方が嬉しかった。


「母と弟には、壱弥くんのこと話しておくから。まずは外堀から埋める作戦で。春に向けて、少しずつ準備しようね」


 澪と将来の話ができている。未来の話をするのは、こんなにも幸せなことなのか。

 こみ上げてくる感情を噛み締めながら、壱弥は電話を切った。


「やるではないか、同棲とな」


 ナナシはにやにやと笑っているが、これまでのように嫌な気にはならない。


「まぁ、親の許可が出たらやけどね」

 

 自分の家は基本的に放任主義だ。彼女と同棲したいと言っても、あまり反対はされない気がする。旅行から戻ったら、今後のことについて両親と話す時間を作ろうと思った。

 澪との同棲だけではない。自分の将来についてどう考えているのかを、しっかり伝えておきたい。

 

「いずれミオと夫婦めおとになり、茶農家を継ぐのじゃな」


 ナナシが感慨深い表情で言った。

 

「まぁ、そうできるように頑張らんとな。まだまだ半人前やし。でもナナシのおかげで、澪にちゃんと伝えられたよ。ありがとう」

「お主、まこと変わったのう。いや、変わったというよりも、霧が晴れたというべきじゃな」


 確かに、その表現の方がしっくりくる。心の奥底でもやもやと燻っていたものが、一気になくなった。以前までなら飲み込んでいた言葉も、今は臆することなく口に出せる気がする。

 

「どれだけ好き合っていたとて、運命が下り坂になるえにしも残念ながらある。しかしお主たちは共に歩むことで、独りでは決して辿り着けぬ場所まで行ける。そういう星のもとに産まれておるようじゃ。イチヤとミオは、まさに運命の相手というわけじゃな」 

「それは、神様だから分かるわけ?」

「うむ。我らにはヒトの運命が、ある程度見えるからのう。しかし必ずしも、見えた通りにいくとは限らぬ。結局は、その者の研鑽次第なのじゃ」

「研鑽か。ひいじいちゃんも、よう言っとったな。死ぬまで研鑽を積み続けることを忘れたらいかんって」


 そのおかげもあってか、子供の頃から勉強がまったく苦にならない。むしろ知らないことを知るのが楽しくて、ラグビーの練習がない時はいつも図書館に入り浸るようになっていた。

 勉強が好きでなければ、今の大学に入ることは叶わなかった。そして、澪と出会うこともなかっただろう。


「ミオと出会えたのは、お主がたゆまず研鑽を積んできた賜物じゃ。しかしその出会いを導いたのは、それまでお主が関わってきたすべてのヒトである。お主の人生には、多くのヒトの想いが託されておるというわけじゃな」

「想いを託す……か。そういや、生まれた子供に名前をつけるのも、そういうことだもんな」


 壱弥が言うと、ナナシは突然かっと目を見開いた。

 

「そうじゃ!以前より訊こうと思っておったのを、忘れておったぞ」

「ん?なにを?」

「お主の名は、曾祖父がつけたのではないか?」

「うん。俺が生まれる日の朝に、じいちゃんが決めたんやって」

「その日の日記は読んだのか?」

「いや、まだやけど……」

「今すぐ確認せよ!」


 ナナシに急かされ自室へと戻り、机に置いてある曾祖父の日記帳の中から、壱弥が生まれた二十年前のものを探し出した。

 その日記帳を奪い取り、ナナシがページをめくる。そして、あるページにじっと視線を落とした後、満足げな表情で頷いた。


「お主に我が見える理由、ようやく分かったぞ」

「え、なんで?」

「まあ、慌てるでない。まずは我ら産土神と、ヒトとの関係について話しておこう」


 ナナシがこちらに向き直る。壱弥は何となく背筋を伸ばした。


「産土神は、自らの土地を守ることが務めである。しかしそれには、ヒトの力が必要不可欠じゃ。そのために縁の深い者を選び出し、土地を守るための力を授けておる。お主の曾祖父も、そのうちの一人であろう。そしてイチヤ、お主もな。つまり力を授かった者は、産土神との繋がりが非常に強いということじゃ」

「それって、何人かおるわけ?」

「そうじゃな」

「じゃあなんで、俺にだけナナシが見えると?」

「ここを見るがよい」


 ナナシが示した先に視線を向ける。

 ――五月二十七日、午前九時九分。元気な男児が誕生した。美咲さんは、本当によく頑張ってくれた。

 曾祖父の日記には、そう記してある。


「……俺が産まれた日時?」

「そうじゃ。我ら神には、一日の中で最も力が強まる瞬間がある。お主はまさに、その時間に産まれたのじゃ。千分の一秒まで違わずにな。ほれ、続きも読むがよい」

「……そして正にその時分、母子の健康を産土様へ祈念していた私の頭に、ふと思い浮かんだことがあった。“壱弥”という名前だ」


 声に出して読み始めたものの、胸がいっぱいになり、その後の文章を読み上げることは出来なかった。

 ――壱は“すべて”、弥は“ひろくゆきわたる”という意味である。やることすべてがひろくゆきわたるような、大きな人間に。そんな想いを、この名に託そうと思う。幸い、公一郎も美咲さんも大変気に入ってくれた。香月壱弥。産土様には、誠に良い名前を授けていただいた。壱弥の歩む道に幸多からんことを、心から願う。

 その日の日記は、ここで終わっている。 


「お主が産声を上げる、ちょうどその時。曾祖父は産土神社へ参拝しておる。産土神の力が強まる、ほんのわずかな瞬間に、曾祖父の祈りとお主の誕生が重なった。その縁に応えるかたちで、“壱弥”という名が産土神より授けられたのじゃな」


 自分の名前の由来は、曾祖父から聞いている。しかしそれが産土神から授けられたものというのは初耳だった。

 壱弥は、曾祖父の字をしばらく見つめた。この名前に、どれだけの想いを込めてくれたのだろうか。それを考えると、胸が熱くなった。

 そっと日記帳を閉じ、机の上に置く。その表紙に、曾祖父の笑顔が浮かんだ気がした。


「お主は誰よりも産土神とのつながりが強く深い、ということである」

「でも前の神様は見えんかったのに、ナナシが見えるのは何でなん?」

「それは……我がまだ、半人前だからであろう」

「じゃあ完全な神様になったら、もう見えんくなるわけ?」

「そうかもしれぬな」


 そうなるかもしれないことは、予想していた。しかし改めて口にすると、寂しさが襲ってくる。

 神幸祭まで、あと三週間ほど。ナナシと一緒にいられる時間を、もっと大切にしていかなければ。

 口に出すとナナシは調子に乗るに違いないので、心の中で密かに思った。

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