やさしい道しるべ―弐

「いいなぁ。花園で年越したかぁ」

「応援に行くから、頑張れよ」


 全国高等学校ラグビーフットボール大会、通称「花園」は、毎年年末から年明けにかけて行われている。二回戦が十二月三十日にあり、三回戦以降は年明けになるので、花園での年越しというのは高校生ラガーマンのひとつの目標でもあった。


「む。提灯が見えてきたぞ」


 荷台からナナシの声が聞こえた。

 壱弥の視界にも、「加藤商店」と太字で書かれた大きな提灯が見えてくる。

 店の横にある駐車場に軽トラックを停めると、ナナシが荷台を飛び出し喜び勇んで店へと入って行った。どうやら、提灯に興味があるらしい。


「こんにちは、香月です」


 店内に誰もいないのでおとないを入れると、奥の暖簾から女将が顔を出した。

 

「ああ、壱弥くん、久しぶりやね。また男前になったんやない?」

「おばちゃんも、元気そうやね」


 加藤商店の主人と女将は、父の同級生だった。家族ぐるみの付き合いで、子供の頃はよく提灯作りのことを教えてもらったものだ。


「こんちは、おばちゃん」

「颯太くんは、相変わらず大きかねぇ。あ、修理してた提灯よね。持ってこさせるけん、ちょっと座って待っとかんね」


 女将に促され、店の中央にあるテーブル席に座った。

 店内には、さまざまな色や形の提灯が所狭しと飾られている。

 八女提灯は、細く裂いた竹を薄い和紙で一本に繋ぎ、骨を螺旋状に巻く「一条螺旋式」と呼ばれる技法が特徴だ。火袋には八女手すき和紙が使われ、花鳥や山水など優美な絵が描かれている。

 女将が出してくれた冷たい麦茶を飲みながら店内の提灯を眺めていると、ナナシが触った提灯が傾いた。慌てて元に戻しているが、颯太もその瞬間を見たようで、口をぽかんと開けている。


「え、あれ、いま勝手に動かんかった?」

「風やろ」


 言いながら視線を送ると、ナナシは素知らぬ顔でそっぽを向いた。


「ごめんねぇ。提灯、工場の方ば置いとったみたい。十分ぐらいで来ると思うっちゃけど」

「あ、大丈夫だよ。別に急いどらんけん」

「まぁ、ゆっくりお茶ば飲まんね」


 女将が壱弥たちの向かいに腰を下ろした。


「壱弥くんは、家を継ぐとね」

「うん。あと数年は、東京で勉強をさせてもらうけど」

「ほんなこつ、しっかりしとんしゃあね。うちの聡は大阪ば行ったまんま、ろくに連絡もよこさんのよ。壱弥くんみたいに、継いでくれたら安心っちゃけどねぇ」


 八女提灯の製造と販売を行っている加藤商店は、江戸時代の天保十年より代々続いている老舗だ。その一人息子である聡は壱弥の三歳上で、大阪の大学を卒業したあと向こうでそのまま就職した。

 聡が後を継がなくても、優秀な職人が何人もいるのだが、やはり親の想いとしては息子に任せたいのだろう。


「やっぱ、息子が継いだ方がいいと?」

「そりゃね、颯太くん。親の気持ちとしては、その方が嬉しいわね。でもあの子の人生やけん、自分でしっかり決めてやってくれたらいいっちゃけどね」

「聡くんなりに、いろいろ考えとるんやない?」


 壱弥が言うと、女将は曖昧な笑顔で頷いた。

 実は壱弥には聡からたびたび連絡がきており、将来は八女に帰ってきたいという話をいつもしていた。家業のためにマーケティングなどを勉強しようと考え、大阪で就職したらしい。ただ、両親には家業のためだということを伝えていないようだ。


「あ、来たみたいやね」


 店先に軽トラックが停まり若い職人が降りてきたのを見て、女将が立ち上がった。

 壱弥と颯太は茶を飲み干し、女将に続いて店の外に出る。ナナシは相変わらず提灯を眺めているが、壱弥は放っておいた。


「すんません、お待たせしてしまって」

「いえ、ありがとうございます。おばちゃんも、麦茶ありがとう」

「あんなのでよければいつでも出すけん、また遊びにきんしゃい」


 盆提灯を受け取ると、やっとナナシも外に出てきたので、一緒に帰宅することにした。


「聡くん、家継がんとかなぁ。提灯作るの好きやったのに」


 帰りの車内で、颯太が言った。


「継ぐと思うよ」

「じゃあ、なんで帰ってこんと?」

「帰りたいけん、帰らんっちゃろ」

「なんでそげん難しい言い方するとよ、兄ちゃん」

「難しいってか、そのままの意味やし」


 颯太は不服そうな顔をしているが、本人がいないところであれこれ言うのは好きではなかった。

 それに、壱弥には聡の気持ちが痛いほどよく分かるのだ。聡が大阪へ行ったのは故郷を思うが故の行動だが、仕事は決して楽なものではないようで、実家に帰ることで気がゆるんでしまうのが怖いのだと言っていた。

 そういった気持ちを家族に話すのは気恥しいので、昔から気心が知れていて同じような環境の壱弥にだけ打ち明けたのだろう。

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