027;GREET.03(姫七夕)

「……ジュライは、か?」


 そう、シーンさんが問い質したその瞬間――まるで電灯のスイッチを切ったみたいに世界は暗闇に包まれました。

 目の前にシーンさんはいませんし、ぼくの背中に虎くんもいません。

 周囲の光景は密林ジャングルでは無くただただ黒い暗闇が広がっているだけで……


 システムメニューを呼び出そうとしても何の反応もありません。

 ブレーカーが落ちたのかと一瞬思いましたが、そうであれば電脳遊戯没入筐体HUMPTY-DUMPTYの予備電源に切り替わる筈で、そろそろ状態が復旧してもおかしくは無いのですが……


 あっ、復旧が始まりました。やっぱりブレーカーが落ちたんですね、落雷でもあったのでしょうか?


 そして周囲の光景が復元され、ぼくは虎くんに背を預ける格好で再びシーンさんのルームに入室し――目の前に、見知らぬ男性が立っていました。



 夕暮れの下の実った稲穂の海のような金髪――健康的に焼けた肌、逞しさに溢れた精悍な顔つきと体格。

 深い彫りにかげった甘い双眸は、そのそれぞれの中心に榛色ヘーゼルナッツの光彩を冠しています。

 “すらり”と“ガチリ”が同居した均整のとれた長身は、多分190センチメートルくらいあるんじゃ無いでしょうか? ぴったりとしたシャツとクロップドパンツに包まれたそのシルエットは、何かのスポーツをやっていた可能性を示唆するようです。



 ――って、誰ですかこのイケメン外国人は!?


「……改めて、俺はシーン・クロード。本来の姿を晒したのは覚悟の表われだと思って欲しい」


 えっ!? ってことは……あのイグアナの中身がこの人ですか!?

 そう言われてみると――別に目の前のイケメン外国人があの直立したイグアナと似ているということは何一つ一切無いんですけど、状況的には全然在り得ますよね、確かに。

 でも……覚悟、って、何のことなんでしょう?


ジィ七夕チィシィ?」

「……真、実?」



◆]警告。

  現実に悪影響を及ぼ――バギンッ



 ぼくたち二人の間に現れたシステムアラートのウィンドウに、シーンさんは

 硝子がそうされて砕けるように、ウィンドウの中心に同心円状の罅が入り、ぼろぼろと欠けて落ちました。

 残されたウィンドウも、激しく明滅を繰り返した後にさらさらと光の粒子へと散っていきます。


 どうして、GREETグリートにヴァスリのシステムアラートが現れたのでしょうか。

 そして、どうしてシーンさんはそれを叩き壊すことが出来たのでしょうか……何から何まで、何一つ何もかもが解りません。


「えっ……えっ!?」

「どういうわけかは知らない。だがヴァーサスリアルは、確かに何かしらの真実を抱え込み、秘匿している。俺はそれを紐解いて、そして行方を晦ました兄を探し出す」

「……お兄、さん?」


 行方を……?


「そうだ。俺の兄はだ」


 開発者! の、弟さん!?


「だがリリース直前にデバッグ作業の最中突然行方を晦ました。いや、兄の籠った電脳遊戯没入筐体HUMPTY-DUMPTYだった。だって言うのに兄は中にいなかった。まるで、融けてしまったみたいに」

「え……」


 それって、つまり……電脳遊戯没入筐体HUMPTY-DUMPTYの中にいながら消えた、ってこと、ですか……?


「だが兄から俺に、ヴァーサスリアルの招待インバイトコードが送られてきた。消失から三日後だ。コードに加えて、どういうわけかなんてものも寄越して来た」


 管理者権限……


「勿論正規の管理者と同じことが出来るわけじゃない。権限にもレベルというかランクというか、そういったものがあるらしい。兄が俺に託したのは――いや、多分のは権限の中でもごくごく僅かなものだけ――それでも、管理者権限ソレを得た俺はヴァーサスリアルのシステムの介入をある程度遮断ブロックすることが出来る。因みにチィシィ、システムに介入されたことは?」


 システムの介入……考えて、ぼくは思い出しました。

 どういうわけか、ゲームにログインした途端にナツキ君が死刑囚だってことを忘れてしまったことや、今思えば、ナツキ君と二人で話していると、ふと何の話をしていたか分からなくなってしまったことがありましたが……もしかして、それは……


「その様子じゃ心当たりがありそうだな。――牛飼七月が死刑囚だってことは知っているのか?」

「っ……はい」

「普通に考えれば、死刑囚がVRゲームに興じるだなんて在り得ないよな?」

「……はい」

「何かがおかしいんだ。きっと兄は、俺にそれを解き明かしてほしいと願って俺をあの世界に呼び寄せた。牛飼七月も、きっとそのに巻き込まれている」

「ちょっと……待って下さい。頭が、混乱して……」

「だろうな。正直俺も、俺自身の今のこの思考や言動が正常なのかって問われたら即答は出来兼ねる……ただ、兄が消えてしまったことは純然たる事実だ。ジュライ――牛飼七月が死刑囚であるのにヴァーサスリアルをプレイしているのも」


 純然たる、事実……


「知りたくは無いか? どうしてそんなことが起きているのか――俺は知りたい。いや、知るべきだと思っている」

「……お兄さんが、託してくれたから、ですか?」

「そうだ。……これはただの勘だが、俺は兄はヴァーサスリアルの中にいるんじゃないか、って思っている」

「ヴァスリの?」


 虚空に目を泳がせ溜息を吐いたシーンさんは、再び真っ直ぐな視線をぼくに向けました。


「これもただの勘だが……おかしくなっているのは、俺の兄と牛飼七月、それだけじゃないとも思っている」


 他にも、おかしさに巻き込まれている人が……駄目です、どうにも頭が上手く回ってくれません。思考が飛び火して、湧き上がってはすぐに破裂して消えていく、煮え滾った湯面に現れるぶくぶくみたいです。


「答えは今じゃなくてもいい。ゲームの中でも言ったが、どうせ必要になればきっと巡り合う。俺たちの邂逅は、決して偶然じゃない……俺はそう思ってる」

「……はい」

「……初めてのGREETグリートでこんな話して済まない」

「いえ……」

「答えが決まったらメッセージをくれ。飛んで行く」

「……はい、……分かりました」

「今日はありがとう。……君が、俺の側についてくれることを願うよ」




 ぷしゅっ――ごぅん……しゅーっ。


 電脳遊戯没入筐体HUMPTY-DUMPTYの蓋部がスライドして、ぼくは筐体内のチェアベッドに横たわったまま、しばらく動けないでいました。

 この脳の疲れは、長らく潜っていたことによるものではなく……当然、ログアウト後にシーンさんとのGREETで聞かされた内容によるものです。


 吐き気が込み上げる直前のような気分の悪さに、目を背けていたナツキ君の事実を改めて思い知らされた物悲しさが隣り合わせに同居しています。

 ナツキ君はやっぱり死刑囚で、あのジュライを操っているのは――奥歯がカチカチと震えて、目頭や目尻から熱が溢れ出してきます。


 希望的観測はどこにありますか? 死刑囚もVRゲームを遊べる時代になったなんて真実こたえは、ちゃんとそこにありますか?


 もし。

 もし無いのなら――ジュライが、ナツキ君じゃ無いのなら。


 ぼくはもう、彼を見詰めることはきっと出来ないのでしょう。折角事実から目を背けて来たというのに、真実を追窮するなんて……


 システムさん。

 お願いします。

 また次にログインする時には、このことを全て忘れ去らせて下さい。

 ぼくはゲームをただ楽しみたいんです。ナツキ君と、嘘でもいいからそれに気付かない振りをしたまま傍にいたいんです。お話したいんです。

 一緒にご飯を食べて、クエストをクリアして、敵を倒して、冒険して――そんな風に、ナツキ君との時間を味わいたい、平らげたいんです。


 本当なら、ある筈の無かった時間です。まるで夢みたいで……覚めたくない、起きたくない。


「……でも」


 言葉が生まれると、干潮へと移ろう波のように、ぼくが零す涙と嗚咽は引いていきました。


「それじゃ駄目だ……」


 シーンさんの言うことが全て真実で、ナツキ君がヴァスリが抱える何かしらの問題に巻き込まれているんだとしたら、そのせいでナツキ君が苦しんでいたりするのなら――


「知らなきゃ……真実を、知らなきゃ駄目だ」


 涙は涸れました。喉も。

 でも……それを“愛”と言うのなら。

 それだけは、それだけは涸らしてはいけないのだと、ぼくは強く思いました。


 ヴァーサスリアル……現実に、対峙する。もしくは、対抗する。なんだか意味深なタイトルだって、今更ながらに思います。


 知りましょう。

 立ち向かいましょう。

 ぼくはヴァスリが、このゲームが好きです。そして、ナツキ君が好きです。好きなのです。


 好きだから、目を背けていました。背けて来ました。

 でも。


「……好きだから、ちゃんと見詰めよう。ちゃんと、向き合おう」


 決めました。

 ぼくは、例え残酷だろうと――隠された真実を、暴きます。


 “現実への対峙ヴァーサスリアル”を、始めます――――

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