Fly me to the abyss
東条 朔
第1話 FLY
「時代背景」
多くの戦争や飢饉、災害によって世界人口が1万人をきった未来。絶滅まで時間の問題であった残存人類は種存続のために新たな人類を創造した。新人類は生殖機能を有し、全身が義体化されているため過酷な環境でも耐えられる。彼らの使命は旧人類の子を産み、時には間引き、2度と人類が戦争を起こさないように永久的に観測し続けることである。
「言葉」
・永久仮想霊長ヒトモドキ
不死人類創造計画で生み出された新人類。生殖機能と、高生存性をもつ。人格は電脳に保存された人工記憶によって形成される。記憶はおよそ5000年分まで可能だが、種存続に関連する記憶や人智、基礎的な人格形成プログラム以外は5000年周期でリセットされる。
・自我論理破綻、ハヤカワ電脳精神分裂症
不死人類創造計画の黎明期、主にファーストからシックスまでのヒトモドキに確認された病気。記憶領域の圧迫が原因で人格が定まらず、自己矛盾し続ける病。高い攻撃性を有し、殺人衝動をイデオロギーとする。
まずは、右足を柵にかける。それから外界を見つめ、落下地点を決める。遺書は書いていない。身内などおらず、大切な人間はもういない。風が吹いている。外界は電光と青白い月光に仄暗く照らされた底なしの漆黒で、深淵を覗いているようだった。果たして僕は深淵を見つめ続ければいつか怪物になってしまうのだろうか。
リンパが震えた。生体熱伝導スピーカから声が聞こえた。教授だ。
「イレブン、何をしている!? まさかそこから飛び降りようというわけではあるまいな?」
右手の甲で緑光が点滅していた。内蔵GPSがせっせと位置情報を送信していた。
「やはり、僕が何処にいるか常に監視していたのですね」
「当たり前だ!貴様の体にどれだけの金と人材が掛かっているのか、知らないわけがなかろう!?」
「もちろんです。僕はイレブン。11番めの永久仮想霊長ヒトモドキ。僕は破滅後の世界で人類が生き続けるための希望です」
「そうだ。貴様は旧人類が滅んだ後、再起動する。生体ボディは500年は稼働し、電脳は5000年もの間、人格構成に必要な記憶を維持できる。つまり、人間性を保つわけだ。ボディの交換と記憶整理で永遠に生きることができる人類の理想形なのだ。それをわかっていてなぜ・・・・・・」
「フライデーが死んだ。それだけで十分ですよ」
フライデーは僕の婚約者だ。僕が外界に降りて初めて出会った人類だった。
「なんということだ・・・・・・。貴様は人類の希望なのだ!しかし人外だということを忘れたのか?貴様は人間を真似た物質に過ぎない。それなのに、女を追って自殺など・・・・・・。非合理的だ」
「いいえ、教授。合理不合理の問題ではないのです。長期的生存の課題だった記憶容量超過が引き起こす自我論理破綻、通称ハヤカワ電脳精神分裂症を記憶の最適化によって防ぐ、これが僕の機能です。たとえ、ボディが破壊されても電脳さえあれば月面基地のアーカイブから人格構成プログラムをインストールして次の僕が生き続ける。永遠に生き続け、ヒトの苦しみを共感し、思いやることができる。人間的、道徳的思考アルゴリズムを保持したまま、世界を観測し続ける。それが僕の使命です。しかし、記憶整理のプライオリティはテラフォーミングと生殖技術が支配的です。このままでは、永遠に生きるためにフライデーの記憶も消去しなければならない。でも僕は彼女を忘れたくない。僕は僕自身を自覚できる状態で、フライデーのぬくもりや匂いや声を忘れたくない。だから、僕は彼女の死によって僕自身の世界を終わらせることに決めたのです。使命は次の僕に託すことにしました」
「ふざけるな!ふざけるな!貴様ら人外は既に11回も使命を放棄しているのだ!あぁ、そうだ貴様がその11番目だ!お前の前任者はテロで死んだ恋人を追って飛び降りたさ。なぜだ?なぜ愛や欲などという不安定な存在が永遠の命に勝るというのだ。我々人間は均衡を保とうとする生物ではないのか?」
「教授、あなたは可哀想な人だ。そして皮肉にもあなたの被造物である僕が、あなたが手にできなかった全てをもっている。永遠の命も、人類が黎明から積み上げてきた叡智、そして愛さえも。きっとあなたは永遠に理解できない」
そうして僕はスピーカーの電源を切った。もう一度、深淵を見つめる。怪物と戦う者は、その過程で自分自身が怪物になってしまうことに気をつけなければならない。きっと深淵に堕ちたら、僕は僕でなくなるだろう。網膜ホロには外界との距離5000mが表示されている。この高さなら電脳は破壊されない。次の僕には負い目を感じるが、実を言うと人間が滅ぼうがどうでも良かった。
ベランダの柵を越え、体を虚空に委ねた。
「今行く、飛んでいくよフライデー・・・・・・」
そうして僕は深淵へと飛翔した。
Fly me to the abyss 東条 朔 @shuyanatsuki
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