第90話 エルフが齎す調和

 ラピスの目覚め、支部長からの依頼。

 そして風呂を済ませた後に食事がてらに支部長からの依頼について仲間たちに話す。


 今回の依頼の目的地は開拓地の外、前哨基地よりも先の森の深部を抜けて冬の北方山岳地帯だ。

 ノルやルビィ、アイシャを連れていく訳にはいかない。


 俺としては危険な場所なので他のみんなも拠点に残ってアイシャたちと家を守っていてくれたらと思ったのだが……


「寒いのはあんまり好きじゃないんだけどにゃあ。セレストは放っておくと限界まで無理をするからミミが見張っててやるのにゃ」


「私も着いていくぞ。セリカブルカ様のお考えはわからぬが……それはきっと私が外のことを知らなすぎるからだ。私はもっと外のことを知りたい。それに……セレスト。貴様が約束を守る前に死なれては困るからな」


「ワタシも行く。何処かに行ってしまわないように、アナタがそばで見ていてくれると約束したでしょう?」


 ミミも、フィーも、クーニアまでもがそういって同行を決めてくれた。


「そうしてくださると私たちも安心です。ご主人様がひとりで無茶をしないように皆様がご一緒してくれるなら、安心してここで待つことができますもの。ノル、ルビィもそうでしょう?」


「セレストさんはひとりでなんでもやろうとしてしまうところがあるので、ひとりで行くつもりなら俺がついて行くつもりでしたよ」


「おにいちゃんだってひとりぼっちだと寂しいと思うから、ルビィもおにいちゃんがいなくて寂しいけど、お仕事のときはがんばって! っておうえんするんだよっ!」


 まさかミミたちだけでなく、留守番組のアイシャやこどもたちにまで心配されているだなんて思いもしなくて苦笑するしかない。


 俺がひとりでみんなのことを心配する以上に、みんなの方が俺のことを心配してくれていたんだ。

 多勢に無勢……は言い訳だけれど、仲間が一緒なら寂しくないのは確かで。


「ありがとう。午前中に必要なものをまとめて出発は明日の昼前だ。よろしく頼むよ」


 そうして、支部長からの依頼に同行するメンバーは決まった。



 ◇



 そしてその晩。

 俺は最後まで1階に残り暖炉の火の番をしていた。


 先ほどの夕食の席では静かに話を聞いていた彼女もまた、俺のすぐ隣で椅子にも腰かけず、絨毯に胡坐をかいて座り黙って小さくなる火を眺めていた。


「何も聞かないつもりかい?」


「……」


 彼女からの返事はなく、残り少ない薪がぱちりと爆ぜる音だけが返ってくる。


「俺は確かにきみを連れて山へ向かえと言われているけれど、きみが今夜のうちにここを逃げ出したとしても止めはしないよ。これは俺たち人間の問題だ。俺の上司の命令もセリカブルカの思惑も、きみに強要されるようなものじゃあない」


 目覚めたあとの食卓ではあれだけ賑やかにしていたラピスは、夕食の席では俺の話を聞いてから静かなものだ。


 調査とは銘打っていても、依頼の内容は結局は人と龍の対立の話でしかない。

 ニーズヘッグの娘であるラピスに聞かせるには余りにも気の毒なものだとは俺自身でさえ感じていた。


 それでも俺はラピスの前で依頼のことを話すことにした。

 騙して連れていくことをしたとしていい結果が得られるとも思えないからだ。


「……逃げて何処に行けというのじゃ。余は龍と人魚の子じゃ。母の故郷の場所など知らぬし、知っていたところで母を攫った龍の子の余が受け入れられるはずもない。群れに戻ったところで今頃は群れの主の座を巡って兄弟姉妹が争っているだけじゃろう。余に帰る場所はあの山にしかない。あの山に戻るのならば主様らと戻ろうとひとりで戻ろうと争いになることは変わりはないのじゃ」


 龍の王の血を継ぐ者である限り、群れの王を目指す者たちからしてみれば邪魔な存在でしかないという訳か。


「余は群れの中でも変わり者だったのじゃ。父王でさえ話せぬ言語を話し、こうして主様らに似た姿に変わることもできる。父王は己が持たぬ力を持っておる余のことを特別視しておったからの。それを良く思わぬ者は多かろう。ま、余も特別視されているのを良いことに群れから離れて好き勝手しておったし、まさに自業自得じゃ」


 龍葬祭のとき、ひとり群れから離れて深淵へと向かっていたというのも他の龍たちとは違い、ニーズヘッグから目を掛けられていたからか。


 けれど、それが返って群れの中でのラピスの居心地を悪くさせてしまっていた。

 群れの中の規律から逸れて自由に振舞ってしまっていたラピスにも原因の一端があるとラピスは思っているのだろうけれど。


「きみも俺たちと一緒だな。決められた籠の中から溢れてしまった」


 忌み子であった俺のように。

 社会の外で生まれてしまったこどもたちのように。

 権力によって社会からはじき出されてしまったアイシャのように。

 エルフの調和から逃れようとしたミミのように。

 エスティアという本来の居場所から離れてしまい、知らない世界に迷い込んでしまったフィーのように。


 ラピスもまた、群れという籠の中に居場所を見つけられなくなってしまっている。


「主様たちの事情はよくは知らぬ。じゃが、余が群れに戻り、王となることを主様らは望んでいるのであろう? ……ああ、そうか。白の龍王の目的は大陸東部の安寧じゃったのか。余に恩を着せ、他の王の勢力の拡大を防ぎ調和を保つための……贄か」


 ラピスの言う通り、開拓地から最も近い場所に位置するニーズヘッグが元々治めていた群れの巣をラピスが抑えてくれる利点は大きい。


 少なくともラピスは俺たちに恩を感じており、何よりこうして力ではなく言葉を使って意思の疎通ができる。


 群れの王が早期に決まることで、他の王種が近寄ることを避けることも出来るし、開拓を進める上でラピスの率いる群れと交渉ができるのであればそれに越したことはない。


 そして、そこにあるのは――エルフが俺たち人間と龍に齎す新たな調和だ。


 俺たちは遠く離れたエスティアの観測者によって用意された場所にほんの少しの犠牲を捧げることで辿り着ける可能性を得た。


 その犠牲は、王座を巡る争いの中で散る龍と人間の命。


 そして――ラピス・リクスという少女の心だ。


「ラピス、きみはこの家の布団が気に入っていたね。アップルパイの味……いや、砂糖の味もかな?」


「なんじゃ、いきなり」


「この家では春から秋は薬草や野菜を育てているんだ。きみが食べた野菜もここで採れたものが入っているんだよ。野菜は好きじゃなかったみたいだけどさ」


「じゃからいきなり何を言っておるのじゃ主様よ」


「まあ、それ以外にも狩りをして毛皮や角を売ったりとか、色んなことをしてお金を稼いでいるんだ。お金っていうのは異国の果物や砂糖と交換することができる。それでね、うちはそこそこたくさんのお金を持っているんだよ」


 それは……龍を狩った金額も含まれているのだけれど。

 互いの命を賭け合った狩りの結果だ。

 敢えて語る必要もないし、俺がその意味を受け止めていればいい。


「帰る場所がないならここで暮らせばいい。きみが望まないのなら無理に王になる必要なんてない。居場所がないならここに居ればいいんだ」


「……それは、魅力的じゃの。甘い物をたんと食べて腹を膨らませてあの小娘と騒ぎまわるのも一興じゃろう。けれど、余には父王の子として生まれた責任がある。そして、白の龍王に生かされた恩がある。王の子として生まれた癖に群れの争いにも参加せず、無様に生き残ってしまった責任があるのじゃ」


 消え入りそうな暖炉の炎を眺めながらラピスが寂しそうに項垂れる。

 碧い綺麗な髪が、頬をなぞっていったものも、きゅっと結ばれた唇も隠してしまう。


「生まれたことにも生きてることにも責任なんていらないさ」


「ただの龍の子ならばそうであったじゃろうな」


「王の子だろうと平民の子だろうと変わらないさ。生まれることや生きてることに罪なんてない。ノルやルビィは奴隷の子だ。ラピスはあの子たちに罪があると思うかい? 罪を背負う責任があると思うかい? 俺は全くそうは思わないし、そんなことを強要する世界なんて絶対に拒絶する。俺たちはただ、何を背負うかを自分で決めて生きていくだけでいいはずだ」


「主様はそう言うが……それは逃げろということじゃろう?」


「違う。自由でいいと言っているんだよ」


 自分の行動が何かを引き起こしてしまったとき、過ちを犯してしまったとき、誰かを傷つけてしまったとき、大切なものができたとき。


 何かを背負って生きることを俺たちは選ばなければならないだろう。

 けど、それはただ生まれた時点で、生きているだけで背負わなければならないものじゃない。


 何かを叶えたいと願うときに背負えばいい。


「俺は龍の掟もエルフの調和も知らない。俺が知っているのは冒険者の自由だけだ。きみが本当に求める居場所が見つからないというのなら今すぐに決める必要はない。ここに居ても、旅立ってもいい」


「余だって主様たち人間の掟は知らぬが……それは主様に依頼を出した支部長? とやらに逆らうことになるのではないか? 主様はその依頼の……責任を背負うことにしたのじゃろ?」


「それは俺が守りたいものの為に好きで背負った責任さ。きみが背負うものじゃない。まあ、依頼内容にはきみを連れていくことも含まれているけれど、最終的な目的は縄張り争いの調査だからね。きみを連れていくことに失敗したくらいじゃ罰は受けないさ。なにせきみは飛龍で俺は人間。空を飛んでいかれたら追いかけようがないからね」


「……人間の掟は難しくてよくわからんが主様が無責任なのはわかったのじゃ」


「自由って言ってくれないか?」


「知らぬ。主様の言うことはいい加減で阿呆で間抜けで訳がわからないのじゃ……それ以外のことは、余にはまだわからぬのじゃ」


 相変わらず俯いたまま、ラピスが首を横に振るう。


「わからないのなら、わからないままでもいいさ。きみにはいつだって何処へだって飛べる翼がある。好きなときに好きなところに飛べばいいのさ。さて、もういい時間だ。火を消すからラピスも部屋に戻るといい」


「そうじゃの」


 本当はもっと時間を掛けて話をしたかったところだが、いつ何が起こるかもわからない龍の住処を放っておくこともできない。

 伝えられなかった想いはないか、不安をかき消すように暖炉に残った灰をかき混ぜて残り火を確認して2階へと向かう。


 いよいよ明日、北方山岳地帯調査へ出発だ。

 エルフの調和が、人間の願望が、龍の玉座争いがラピスの気持ちと関係なく宿命として背負わされようとしているのならば……彼女が本当に自分の居たい場所を見つけるまで、俺がこの力でラピスの心を守り通そう。

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