第6話 遙かなる青海へ
「それでどうしました」
「どうもせんよ」
土方の昔話に釣り込まれ、腰を浮かせて聴き入っていた山崎は、さいごに肩透かしをくらって心が慶応元年の西本願寺へ引き戻された。
「どうも?」
「あのとき板野新二郎に誘われるまま、どうにかしていたら、いまおれがここでこうしているはずはないからな」
そういって、新撰組副長、土方歳三は、膝元のみつ団子にかぶりつくと、からからと愉快そうに笑った。
それはそうだ。あの話ののち、壬生浪士組――「みぶろ」は、『新撰組』と改称して、京の過激派取り締まりの任務に当たり、昨年はいわゆる「池田屋騒動」で天下にその名を知らしめた。鉄の掟と血の粛清で、ならず者集団の新撰組を束ねる土方歳三は「鬼の副長」として、隊の内外に知られる男となった。
土方の能力を見抜き、陣営に取り込もうとした板野新二郎という男は、慧眼だったというほかない。しかし、ほんとうに土方は板野と切れているのだろうか。うまそうにみつ団子を食う土方は、その腹心である山崎丞にとっても捉えどころのない男だった。
「あのあと京では政変があり、武市半平太は土佐へ帰った。新撰組の手の届かないところへ行ってしまった」
「はい」
いわゆる「八月十八日の政変」と呼ばれる政変で、京の政界から過激な攘夷を唱えてきた長州の勢力が一掃され、関係の深かった各藩の攘夷活動家に対する風当たりも強くなった。武市の帰藩もそのうちのひとつと見られていた。
「やつは帰ってくる」
「は?」
「あの日茶屋で会った板野新二郎がそういったのさ。『武市は帰ってくる』と」
「しかし――武市は死にました」
「まだ、板野新二郎が生きている」
障子の影が濃いのか、まだよい香りのする畳の色を映したのか、板野新二郎を語る土方の顔色が青ざめて見えた。
「武市が京を去って以降、板野は消息を絶った。いくつかの事件の糸を引いていたのが板野だという噂があり、江戸にいたという噂もある。しかし、いっさい姿を見せることはなくなった」
土方は山崎たちが提出した報告書を指した。
「武市の切腹と並んで報告書にある情報のなかに、長崎における青海藩御内室遭難の件というのがあるだろう」
「たしかに……」
「板野新二郎は青海脱藩だった」
「それでは?」
「現場に居合わせたのも板野の縁者だ。人相風体も間違いない。青海藩の内紛は板野新二郎が裏で糸を引いている。目的はふたつ、藩の攘夷化と武力をもってする上洛だ」
まさかそんなことが。それではまるで長州と同じではないか。過激な攘夷派に藩政を壟断された長州藩は、禁門の変に敗れ、二度の征討の憂き目にあっているというのに。
「だからこそさ。京にふたたび攘夷の旗を掲げるために、板野新二郎は戻って来るだろう。武市半平太がそうできなかった分も合わせて――な」
「……」
「そこで、だ。山崎さん、あんたひとつ青海へ行ってきてくれないか」
「え」
土方が、なにを考えているのか分からないのはいつものことだが、青海は西国、九州である。いきなり青海へ行けとは。
「青海藩と板野新二郎の動静をその目で見てきて欲しい。やつは必ず戻ってくる、その前に情報を掴んでおきたい。それにはあんたが適任だ!そうだ吉村をつけよう、吉村貫一郎を連れて行け、役に立つぞ――」
土方の頭が回転をはじめた。大声で若い隊士を呼びつけて矢継ぎ早に指示を与えていく。こうなってしまっては、だれも鬼を副長を止めることはできない。みるみるじぶんが青海へ出立する段取りが進められていく様子に、山崎は苦笑いするしかなかった。
――まいったな。
大きく障子戸が開け放たれた部屋には、どこか間の抜けた、しかし、非常に旨そうな豚鍋の匂いが流れんでくる。
――青海は、遠いぞ。
「豚でも食って、精をつけるか!」
京都、新撰組屯所西本願寺。隊舎として使われている太鼓楼の向こうから真っ白な雲が顔をのぞかせている。すぐそこまで長く暑い夏がやってきていた。
(了)
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