第24話 今日だけは(海斗side)


「おいしいね」


 目の前で遥が笑い掛けてくれる。大きなテーブルを挟んだこの距離がもどかしく感じる程、今日の遥は綺麗だ。


 最後だなんて思いたくない。


 いつか、あの執事ロイドみたいに誰か他の奴が遥の手を取る日が来る。


 俺じゃなくて他の誰かが……。


「どうかした? 」

「ううん、なんでもない」


 やめよう、隣にいられるのも今日で最後だ。遥だけを見ていたい、誰にも邪魔されずに。


「またお待ちしております」


 執事ロイドの不気味な笑顔に見送られて、俺達は店を出た。


「次はどこ行くの? 」

「図書館行こうかなと思って」


 少し先を歩く遥の手を、繋ぐ気にはなれない。


 俺が触れていいのか……あの執事ロイドと俺は同類だ。遥がいつか出逢う運命の相手、触れていいのはその人だけじゃないだろうか。


 開いていく、俺と遥の距離。


「海斗? 」


 気付き、振り返る遥。


「ごめん、何でもない」

「疲れちゃった? ごめんね、気付かなくて。ちょっと遠いからバイク呼ぼっか」


 俺を気遣ってくれる優しさに胸が痛む。正体を隠して嘘をついているんだ、遥を危険に晒すかもしれないのに……一番大切な人なのに。


「来た来た! 」


 いつも俺に元気をくれる、その声も笑顔もずっと見ていたい。好きだ……いや、もしかしたらそれよりも強い気持ちかもしれない。


「行こ! 」


 子供みたいに俺の手を引っ張る遥が愛おしい。奥底から力がみなぎってくる、何でも出来る気がするから不思議だ。


 初めて遥から握ってくれた手を握り返すと、恥ずかしそうにはにかんで俯いて……懐かしいな、まだ笹山さんと呼んでいたあの頃、よくしていた表情。


「遥」

「ん? 」

「呼んでみただけ」

「なにそれ」


 あと何回、呼べるんだろう。


 愛しい……その名を。







「探してた本、あった? 」

「うん、助かったよ。どうしても課題に必要でさ」

「大変だね、来週だっけ? 」

「うん。結局、自分で企画して撮影して、理論も提出することになったから結構大変で」

「全部一人で? 」

「はい……あ、つい敬語に戻っちゃった」

「なんか懐かしいね」


 笑ってくれるけど恥ずかしい。それにしても仕事の話になると目付きが変わること、自分で気付いているんだろうか。


 これから先も遥はあの場所で、頑張り続けるんだろうな。


 頑張っても意味がない、そんな無気力感にさいなまれても、真剣な眼差しと全身のパワーを使うような働き方を見たら頑張らずにはいられなかった。


 また作り変えられてどこかに飛ばされる、そう分かっていても今を精一杯生きたい……そんな気持ちにさせてくれた。


「それにしても草野君だけが大変になっちゃったね」

「遥も戻ったね」

「あ……ごめん」


 嫌いだった名字、父親と同じ名なんて嫌だったのに遥に呼ばれると嬉しかった。


 せめてもう少し、一緒に働きたかった。そのためには来年、改めて入社するしかない。でもそれは……ロイドの俺には不可能なこと。


「遥も大変なんでしょ? 研修」

「うん……ついてくの大変」

「そっか……ごめんね、そんな時に」

「ううん、すっごく楽しいし、海斗といられてうれしい」


 さり気なく伝えられる言葉に時が止まる。


「あ、そうそう! ここね、本だけじゃなくて色々あるの。プラネタリウムとか見てみない? 」

「うん」


 かわいい。


 抱きしめたい……この手もこの身体も部品を皮膚で包んでいるだけ、機械の身体のくせに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。


 人間だったら、よかった。


 あの日、事故にさえ遭わなかったらこんな幸せな日常を当たり前に過ごしていたかもしれない。


「プラネタリウム整備中だって」

「残念だな、見たかったのに」

「また来ようね」

「うん……」


 ごめん、遥。その約束は守れない。


「ありがとう」

「え? 」

「図書館、連れてきてくれて」

「うん……」


 館内に午後3時を伝える鐘。遥といられるのもあと少しだ。


 とうとう、別れが近付いてきた。


 何も言わずに連絡を絶つつもりだった……今日を最後に。でも伝えたい。遥との時間が幸せだったこと、そして……もう側にいられないこと。


「近くによく行くカフェがあるの、楽なとこだからそこでお茶しない? 」


 好きだよ……遥。


 一番伝えたい言葉を心の中で呟きながら微笑み、再び手を繋いだ。







 遥が連れてきてくれたカフェはとても心地のいい場所だった。懐かしい……失った子供の頃を、蝉の鳴き声や土の匂いをなぜか思い出しそうな店だ。


「ここも遥のお気に入り? 」

「うん、よく来るの。静かでいいでしょ」


 薄暗い店内を照らす黄色のランプ、ふっかり沈み込むようなワインレッドのソファー、いい具合に傷がついた木のテーブル。


「かなり昔からあるらしいんだけどね、今流行りのレトロな感じでしょ? 」


 やっぱりここでもレモンティーを注文しながら遥が微笑む。


 並んできたお揃いのレモンティー、ここのは少し甘い。


「ここのはね、はちみつレモンティーなの、ちょっと甘いでしょ」

「好きなんだね、レモンティー」

「うん、何でかわからないけど好きなの」


 ずっと、忘れないように覚えておくよ。遥の事や今日の記憶を消されたとしても。一つでも多く知っておけば、知識の欠片がいつかまたここへと導いてくれるかもしれないから。


「いいとこだね、すごく」

「ありがとう、気に入ってもらえてよかった」


 遥を引き留めるように、時間を忘れるほど色んな話をした。遥の今まで、樹梨亜ちゃんと夢瑠ちゃんのこと、今日行った場所での想い出、この街のこと……。


「海斗は? 海外に行ってたんだっけ」

「うん、親の仕事の都合で転々としてきたから友達も、想い出の場所もなくてさ……」

「そうなんだ」


 嘘ではない、誰かに今までの事を聞かれたらそう言えと教わってきたし、事実友達も想い出の場所もない。俺を社会に出す実験も初めてだと聞いている。


「だからこんな風に誰かと出掛けるの初めてでさ……それが、遥とでよかった」


 永遠に時間が止まってくれればいい。俺の言葉に頬を染めてくれる遥と、この場所で。


 でも無情にも時は流れていく。


 俺には日が暮れる前に行きたい所があった。遥と俺の想い出の場所、あの公園だ。


 遥をターゲットに定めたあの瞬間を出逢いだと思いたくない。俺達はあの公園で本当の出逢いをして、お互いを知って……この想いが生まれたんだ。


「もう一個、行きたい所があるんだ。そんなに遠くないと思うから……いいかな」

「うん……」

「ありがとう、じゃあ行こっか」


 レモンティーが空になった所で店を出る。手を繋いで公園までの道を歩く。


 疲れたのだろうか、遥は無口で俯きがちに、ゆっくり歩く。


「結構歩いたけど大丈夫? 」

「うん、歩くの好きなんだ。この街はまだ緑も花もいっぱいあるでしょ、ゆっくり歩きながら景色見て暑いから葉っぱも元気ないなとか、ここから見るこの景色が好きだなとか」


 わずかに吹く夕方の風を感じながら話す姿、一日見ていてもまだ新しい遥に出会えるんだな。


「綺麗だよね、この街。他はもう道路も全部動くし、車も空飛んでるしさ。街中全部がバリアで空気も全部管理されている人工の物だから、自然の匂いなんてしないし。ずっと……ここにいられたらいいな」


 話し終えた所で公園が見えてきた。これで最後だ、遥の手をもう一度強く握ると、あの場所めざして歩き続けた。







 夕暮れ時の公園で寄り添うように隣り合う二人の背中。昼の賑わいと裏腹に寂しげな空気を醸し出すこの場所で、交わす言葉もないまま想い出のベンチに座る、遥と海斗。


 日常のひと時を共に過ごす、些細な幸せさえ手に入らない悲しい二人を、東屋が守るように包んでいる。


「おぼえてる? 初めてここで話した時のこと」

「うん……」


 漂う別れの雰囲気に、遥の瞳は不安げに揺れる。


「懐かしいな……まだあれからそんなに経ってないのに」


 どこか遠くを見つめるような海斗の眼差し、さっきまで繋がれていた手もベンチに置かれ、いつの間にか離れている。


 海斗の想いを知るのが怖い。遥は表情を盗み見てから、何かを考えるように俯く。


「海斗は……またどこかに行っちゃうの? インターンが終わって大学を出たら……」


 絞り出すような声。


「まだ決めてないんだ……考えなきゃいけないんだけど。課題もあるし、思った以上に忙しくて」

「あ、そうだよね! ごめん……気付か」

「どこにもいかない」

「え……? 」


 強い言葉と瞳が遥を捉え、見つめ合う。


「インターンを終えて、大学を卒業しても……どこにもいかない、この街にいる。遥がいいって言ってくれるなら、俺はこれからも遥の隣にいたい」

「ほんとに……? 」


 海斗はもう何も言わなかった。不安と驚きに潤む瞳を見つめ、頬を包むと優しく控えめな口づけをする。


 それが海斗の答えだった。


 どちらからともなく顔を寄せ、もう一度気持ちを確かめ合う二人。


「海斗……大好き」

「俺も」

「ちゃんと言って? 」

「好きだよ……遥」


 少しだけ離れた唇、伝え合う愛の言葉。今までで一番近い距離で熱く見つめあう二人からは、喜びと安堵の笑みがこぼれていた。

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