第4話 はじめまして
「はあぁ……眠いなぁ」
昨日の夜はタマに“何かなかったの”なんてしつこく聞かれるし、何だかそわそわして……ぜんぜん眠れなかった。
ぼんやりした頭でエレベーターを降りる。まだ誰もいないのか、ガラス張りのオフィスは電気がついていなくて暗い。
今日も私が最初かな。
角を曲がり、入口の正面まで来るとドアの辺りに誰かが立っている。でも薄暗さのせいで、後ろ姿からは背が高いことぐらいしかわからない。
誰だろう……ドア、開かないのかな。
スタッフなら入れるはずなのに待っている様子を見て焦ってしまう。
「おはようございます」
後ろ姿に声をかけるとその人はびくっとして振り返った。
「おはようございます。このオフィスの方ですか? 」
背が高くて同世代くらいに見えるその男性は、緊張した様子で話しかけてきた。
「はい、そうですけど……」
「あ、あの、インターンの
草野海斗……草野……どこかで聞いたような……そうだ! 私が教えるって言ってたあのインターンの!
「なんか、中に入れなくて……」
「あれ、通らないですか? じゃあ、私が開けますね」
センサーに手をかざしてピピッと音が鳴ると同時に自動ドアが開き、オフィスの電気がついて辺りが明るくなる。
「管理課に行って直してもらうといいですよ」
「ありがとうございます。あの……お名前教えていただいていいですか? 」
「同じ班の
「あっ! 笹山さんなんですね。坂野さんからお話聞いてます。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「早速なんですけど、何からやればいいですか? 」
草野君は席について荷物を置くと、すぐ私の所に来て指示を待っている。
どうしよう。
誰かに仕事を教えるなんて初めてだからどうしていいかわからない。困った私はまず指紋認証を直してもらう事くらいしか思いつかなくて、管理課に行ってもらった。一息つく間もなく、カリキュラムを確認すると私が使えるのは……今日だけ。インターンカリキュラムは驚くほど詰められていて、一個ずれたらドミノ倒しに崩れていきそう。
どこまで伝えきれるかわからないけど……やるしかない。
「戻りました」
「あれ? 早かったね」
「見てもらったらすぐ直りました」
「そうなんだ。良かったね」
「はい! で、何しましょう? 」
大きな瞳をくりくりさせて私の指示を待つ姿は……尻尾を振って待っているチワワに見えてなんとも憎めない。
「よし! 全部1日で終わらせるから大変だけど頑張ろう」
やる気に満ち溢れた曇りない笑顔に、力が湧いてきた。
「これで全部かな。たくさん話しちゃったけど大丈夫? 質問ある? 」
オフィスの案内から掃除、情報管理、動画撮影と編集の手順と規則、説明するよりやってみた方が早そうな事を片っ端から伝えて、息切れしそう。
「こんな感じですか? 」
私が話した内容をずっとメモしていた草野君は、心配そうな表情でノートを見せてくれた。
「要点もまとめられてるし、整理されていて字もきれい。草野君すごいね! 」
「頭には入ってないので、見返して復習しておきます」
「大丈夫、後は実際の仕事を見ていくうちに覚えられるよ」
草野君の理解力に助けられてカリキュラムを終わらせた頃には、お昼も過ぎていた。
「もうお昼になっちゃったね、今日は何時まで? 」
「13時までです。14時から大学の講義があるので」
「そうなんだ、大変だね。じゃあ、今日はここまでにしよっか」
「はい、ありがとうございました」
礼儀正しくお辞儀をして出ていく彼を見送る。あのノート、短時間できれいにまとめられていてすごかったな……。思わず素で驚いてしまった。海外に居たっていうし、優秀……なんだろうな。そんな事をぼんやり考えながらオフィスを出る。
草野君の事ばっかり考えていないで昼食を済ませたら、急いで自分の仕事に取りかからないといけない。
それにしても風が強いな。
外に出ると、ビュービューと音を立てる程の風が吹いて、髪や服がめちゃくちゃになる。
早く帰ろ。
天気が良いから外で食べようと思っていたけど、こんな日はオフィスにいるのが一番。
「キャー! パパ飛ばされちゃうよぉ」
「ほら、ちゃんと手を繋いで。遊んじゃダメだぞ」
楽しそうな声の先に、パパと女の子がはしゃいでいるのが見えた。その様子が本当に楽しそうで、女の子が心から嬉しいんだって事が伝わってくるし、お父さんも優しい眼差しを女の子に向けている。
かわいいなぁ……心が和む光景に、いつの間にか気持ちが和らいでいる自分に気づく。
午後も頑張ろう、よく行くお店で唐揚げ弁当を買うと、気合を入れ直してオフィスへと戻った。
慌ただしい研修を済ませて、オフィスを出ると急いでバスに飛び乗った。座って息を整えると、さっきメモしたノートを取り出して復習する。
笹山さん……小柄で一生懸命な人だな。
ふんわりした短い髪に白い肌、大きな瞳はキラキラしていて、白いシャツが爽やかだった。それに、ちょこちょこしてて動きがかわいくて、急ぎながらも一つ一つ理解できたか、ちゃんと確認してくれていた。
半年いるだけの存在にも手を抜かない一生懸命な姿勢に、ついつい本気を出してしまった。手元のノートには、教えてくれた笹山さんの言葉がすべて書かれている。
素直に驚いてくれたけど……疑われなかっただろうか。
普通の処理能力だったらあのスピードで話す事を、内容まで整理してノートにまとめるのは無理だろう。
正体が本当にバレたら……どうなるんだろうな。バレてはいけない、そう教え込まれてきたけれど、どうなるのかまでは、聞いたこともない。
少しの不安と楽しかった時間。初日はたくさんの人に圧倒されて小さな行動の一つ一つも気になっていたのに、いつの間にか時間が経つのを忘れていた。
見ているノートに、笹山さんの横顔が浮かぶ。
とりあえず半年……人と初めて関わる日々も悪くはないかもしれない。なんだか身体が軽くなった気がした。
「はい、対象を確認しました。公共交通機関で大学に向かうようです」
物陰に隠れて海斗を見つめるのはスーツ姿の女性、なぜか尾行しているようだ。
「現在は一人ですが、さきほど社内で女性と接触あり。ターゲットの可能性があるので引き続き動向を探ります」
誰と話しているのか、その厳しい視線は、ふらふらと景色を見ながら歩く海斗から一度も離れようとしない。
「また……面倒な事になりそうね」
ため息をついた次の瞬間、彼女は消えた。
海斗を尾行していた謎の女性は何者か、そして彼はなぜ尾行されているのか……ターゲットと言われている遥はまだそんな事を知る由もなく、唐揚げ弁当に舌鼓を打っている。
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