42 愛しい君

 それからしばらく、部屋では叔父様とお父様が二人で大人同士の世間話を続けてた。

 呆然とうながされるまま部屋に上がった私は、叔父様に差し出されたハンカで涙を拭きつつ、座布団に座ってその場の様子をただただ信じられない思いで見守っていた。

 二人の世間話も尽きて私の涙と息が落ち着いたころ、叔父様がコホンと咳払いをして私たちを見回した。


「なにか誤解があったようだがもう大丈夫そうだな。あとは二人でよく話すといい。ほら行くぞ」

「ゴー……こがね、パパ本館にいるから安心してね」


 言うだけ言って立ち上がった叔父様は、未練たらしくチラチラこちらを振り返るお父様を引っ張って部屋を出ていってしまった。

 途端、先輩と二人っきりの部屋に静寂せいじゃくが落ちる。先輩はそれを気にすることもなく、独り無言でお茶を飲み続けてる。その重苦しい沈黙に耐えかねて、とうとう私から口火を切った。


「先輩……知ってたんですか?」

「いいや」


 私の主語のない質問に、先輩が手元のお茶から視線を外さずに目を伏せて、短く答えた。


「でもその割には驚いてませんね」


 私の疑いのこもった声に、今度は先輩が視線だけ上げてチラリとこちらを見る。


「……君と違って予想はしてたからな」


 先輩の変に落ち着いた態度と、その煙に巻くような返答に苛立ちが抑えられず、思わず続けざまに問いただす。


「どうやって? なんで?」

「君の叔父上から提示された見合いの日取りが君と同じ日だったからな。まあ、そうじゃないかとは思ってた」

「ず、ずるい、先輩なんにも言ってなかったじゃないですか!」

「僕だって昨日知らされたばかりだ」


 私の問答にムッとしながら先輩がぶっきらぼうに答える。


「じゃあ婚約者さんはどうするんです? 婚約者がいるのにお見合いなんて──」


 その落ち着き払った態度が癪に障って、思わず言いたくもない文句を言いつのろうとする私の言葉が終わらぬうちに、先輩がスッと手をあげて真っ直ぐに私を指さした。


「君だ」

「?」

「僕の婚約者は、多分君だ」

「多分っ……て? 私、私って、あああああ、もうどっから突っ込んでいいのか分かんない! なんで『多分』でなんで『私』なの!?」


 とうとうキレて叫んでしまった私を変わらぬ冷めた目で見返しながら、先輩が無感動に説明しだす。


「僕は一度も婚約者に会ったことがない。なにも聞かずに君の叔父上の申し出を受けただけだからね」

「なにそれ、全然意味が分かりません!」


 端的すぎる先輩の返答に余計イライラしてくる。

 さっきまでの涙がまたぶり返してきそう。

 今にも癇癪かんしゃくをおこして泣きそうになってる私の様子を見た先輩が、手の中で回してた瀬戸物の茶碗を茶たくにおいて、全身でこちらに向き直った。


「あの学校に入るまで、僕はずっとフレイヤを探し続けてた。自分が転生していて君がしてないなんてありえないと思ってね。ところがどんなに気をつけて周りの人間を観察していても、まるっきり君らしき者を見つけられない。それでも十六年の間、どこかにいるはずの君を探して時間が許す限り街をさまよい歩いた。学園に入ってからも学内の全生徒の情報を求めて身上調査の手伝いやアンケート調査まで色々やってきた」


 淡々と語る先輩の話に涙も引っ込んで、私は言葉もなくじっと耳を傾けた。


「そんな時、君の叔父上に声を掛けられたんだよ。そんなに学生のことが気になるなら生活指導委員にならないかとね。それで、生活指導委員長を任されて好き放題に学生の資料が手に入るようになっても、やっぱりどうやっても君を見つけられなかった。半分諦めつつ目標を転移に切り替えようと思った矢先、君の叔父上に婚約の打診をされてひき請けたんだ」

「なんでそれで簡単に決めちゃえるんですか……」


 私のささやかな文句はギラリと光った先輩の眼光に尻すぼみになって消えた。


「君のいない世界での結婚なんて大した意味はない。それよりもなんとかあの世界にもう一度戻って君を探そうと、あの部屋と学園所有の古文書こもんじょの開示を条件に受け入れたのさ。まさかそのすぐあとに君と出会うことになるとは思わなかった……」


 そこでフゥっとひと息ついて先輩が自嘲気味に付け足す。


「皮肉なことに君に出会ったのは申し出を受けた直後だった。しばらく悩んだよ。君は僕を覚えていないようだったし。いっそやっぱり転移して君に思い出してもらおう、そう思って婚約者の件は棚上げしてた。それが、まさか婚約の相手が君だったとはね」


 「君の叔父上はまだまだ何か隠してらっしゃる気がするよ」っと言いながら先輩はちらりと玄関のほうに視線を送る。でも私はそれどころじゃない。


 信じらんない。

 あれだけ悩んで、泣きそうな思いで、最後は本当に泣いちゃって、やっとのことで今日ここに来たのに。

結局、めぐめぐって先輩の婚約者が自分だったなんて!


 そこで、突然思い出した。


『運命の相手は決して裏切らず転生してもお互いその唯一の人を求めめぐり逢いまた愛し合う──』


 これってフレイヤだった私がずっと信じてきたことじゃない!


 マルテスとフレイヤがお互い『運命』の相手だったのなら、私と先輩が惹かれ合わないはずがない。


 そんなぁ。じゃあ、ずっと悩んでた私は一体なに?


 それまでの緊張とか、胸の中の苦しみとか、全部溶けていっちゃってへなへなと机に突っ伏した。

 そんな私の様子を見て先輩がまたも不機嫌そうに聞いてくる。


「なんだ、僕じゃ不満か?」

「そ、それは……」


 不満なんてない。

 先輩だろうが、マルテスだろうが、とにかく私が好きなのはこの人だ。

 そこにもう疑う余地はないし婚約だって望むところだ。


 だけど。ここまでくると、なんかもう素直にそうだと言うのが本当に悔しくなってきて思わず問い返してしまう。


「せ、先輩は私でいいんですか?」


 返答の代わりと言わんばかりにギロリと鋭い眼光で先輩が私を射抜く。その目の鋭さに思わず私が腰を上げそうになると、先輩はスッとその光を綺麗に消して、武人のように居ずまいを正して正座のまま横を向いた。


「返事をするからこちらに来たまえ」


 そう言って、自分の横に置かれた誰も座っていない座布団を指し示す。

 一瞬戸惑ったけど、能面顔でいつものようにそう言われ、ついいつ言われた通り先輩の目の前に移動した。

 先輩と向かい合い、少し見あげる形で座布団に正座した私を見ながら、なぜか先輩がこてりと首を傾げる。


「君は本当に単細胞だな。転生前と今生と、通算二十六歳とはとても思えん。僕が君を呼んだ理由も、僕が君をどう思っているかも、ほんの少し洞察力を働かせれば分かるはずだ。いくら勉強が出来ても、そのお天気過ぎる脳みそをどうにかしないとこれから苦労するぞ」


 ひ、ひどい、なんで先輩にそこまで言われなきゃなんないの!?


 言い返そうと開いた私の口から、残念ながら全く違う声が飛び出した。


「ひゃぁ!」


 一瞬先輩が膝立ちになったように見えた次の瞬間、ステーンっと視界がひっくり返り、気がつけば背中を先輩の膝に預けるようにして彼の腕の中に綺麗に収まった。

 私と天井の間には、少し頬を緩めた先輩の美顔と私を真っすぐ見下ろす妖しく輝く二つの目。


「僕の答えが聞きたいんだったな」


 そういう先輩の黒い双眸がゆらゆらと危険な色に輝いて、先輩の整い過ぎた顔がゆっくりと降りてくる。


「ちょっと待ってください、お父様と叔父様がそろそろ帰ってくるんじゃ──」


 慌てて押し留めようと手を伸ばし、襖をみやってそう言ったのだが。


「君の叔父様には僕が君を連れて帰ると言ってある。君のお父様も今頃は自宅に送り返されたはずだ」

「え? え?」


 近すぎてる先輩の顔に焦りつつも、なんとか捻り出した私の最後の切り札は、いとも簡単に掴まれ抑えつけられてしまった私の腕同様まったく効力を発揮しなかった。


 なぜ叔父様が先輩の味方してるの!?

 そう言えば、叔父様ってどこかフレイヤのお父様に似てるかも。

 あれ? まさか彼まで転生者ってことはないよね?


「この状態で僕の答えがまだ分からないなんて言わないよな?」


 私の思考が余計なことに飛んだのを目ざとく見抜いた先輩が、その距離をまた詰めて超近距離で私の眼を覗き込みながら問いかけてくる。

 でもすぐにふっと微笑んで、


「ああ、単細胞な君ははっきり言っておかないとまた訳のわからない誤解をする可能性があるな」


 とおどけたように言ってのける。

 そのまま自分の額を抱きかかえた私の額に押し当てて、私の逃げ場を完全に潰してから言い聞かせるように告げた。


「時を超え、世界を超えて、ただ君だけを求めてきた。生まれ変わってもこの新しい世界で僕は君の存在だけを探してた。ただ君さえいてくれればそれでいい、そう祈り続けたのに、君はなかなか僕の前に現れてくれなくて」


 言葉を続ける先輩の顔が微かに歪む。先輩の顔にはもうからかいなどなく、純粋に、そして真摯に私を見つめて言葉を紡ぐ。


「あの日、紫陽花あじさいの前に立つ君を見つけるまで、僕の時間はずっと止まっていたんだ」


 想いの詰まった言葉を吐き出す先輩の、私を写す綺麗な瞳が潤んで見える。

 悲しみと喜びを同時に秘めた、それは見たこともない不思議な目の色だった。

 だけど先輩はそれを瞬き一つで払い落とす。

 そして私の頬にそっと片手を添えて、優しく、愛おしそうに私の顔の輪郭をなぞっていく。


「ずっと君だけを探して、君だけを求めて、君だけを愛してきた。転生した今もこの気持ちは少しも変わらない。やっと見つけた『運命』の相手を逃すほど、僕は甘くはなれない」


 ゼロ距離で真っすぐ私を見つめながら先輩が愛の言葉を臆面もなく私に与える。先輩の手が私の顔を優しく撫であげて、もう一方の手が私を徐々に抱き締めていく。


「山ノ内君。金星の君。黄金君。何度名前が変わろうと、何度生を巡ろうと、僕はずっと君を、君だけを愛している。どうか僕を受け入れ、僕だけのものになって欲しい」


 懇願するように問う先輩の目は、今まで見た中で一番真剣で、先輩の私を想う気持ちが余すことなく真っすぐに伝わってくる。すっぽりと先輩の腕の中に包まれてそんな強い眼差まなざしにあぶられて、だけど私はすぐに声が出せなかった。


 無論返事は決まってる。

 だけど問題はそこじゃない。

 今ここでハイっていってしまったら、なんだかこのままズルズルとマズい展開になる気しかしない。


 だってまだお昼よ?

 いくら離れとはいえ、誰がいつ来るか分からないこんなところでこれ以上、マルテスとフレイヤみたいなことされちゃうのは非常にマズい。


 いや、昼とか夜とかそういうことじゃなくて。

 両思いになれたのを喜ぶ傍らで、フレイヤのときから培ってきた貞操の危機を知らせる警告の鐘が、さっきから激しくガランガランと鳴り続けてるのだ。


「返事は?」


 少しジレたように再度問いかけてくる先輩の目前で、私は頷きながらも両手の人差し指を目の前でクロスさせて返事した。


「婚約は……お受けします。でも高校生の婚前交渉は次期生活指導委員長として賛同しかねます……」


 精一杯の誠意と最低限の保身の言い訳をごちゃまぜにしてなんとか言い切った。

 途端、喜色を浮かべた先輩の目が一瞬だけにギラリと不穏に光った……のを私は見逃してない。


「……いいよ。すでに人生一回分待ってたんだ。君が僕のものになる覚悟をしてくれるのなら、僕は君が受け入れてくれるまで待つとしよう」


 それもまた綺麗に覆い隠した先輩は、まるで腕の中の私に逃げ場はないと教えるかのようわざとほんの少し距離をおいてから、優しい笑みを浮かべてそう言った。

 能面顔はもうどこにもない。

 薄っすらと微笑みを浮かべる先輩の顔はやっぱりどこかマルテスを思い出させた。


「だが今後は君に一日も早く受け入れてもらうべく、日々の努力はさせてもらうから、よく覚悟しておくように」


 そう言って、先輩がまた一瞬キラリと野獣のように目を輝かせ、私を見据えて舌なめずりなんかしちゃってる。


 私だって先輩との婚約が嬉しくないわけない。

 それどころか、もうどっか身体ごと飛んでいっちゃいそうなくらい本当は嬉しい。

 顔も勝手にニマってる、気がする。


 でも、この制約を外されちゃった先輩に、一体どうやって成人まであれやこれやを我慢してもらおうか……


「こがね君……」


 ……やめた。

 これ以上難しいことは、甘えるように重ねられた先輩の柔らかい唇の感触を存分に味わってから、あとでゆっくり考えることにしよう。


(完)

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