第13話 Yの夢

 翌日、カフェバイトの初日の朝を迎えた。

 リビングで眠る俺に優しく起こして来るはずの無い唯花から、機嫌のいい声と同時に勢いよく頬叩きをお見舞いされる。


「カーズキー!! 朝! 起きて! 起きないと蹴るよー」


 そう言いつつも足蹴りは習慣にないようで、蹴りでは無く頬を容赦なく叩かれた。そこには一切の妥協が無いほどの痛みを伴う、見事なビンタである。


「お、おはよう……」

グーテンモルゲンおはよう! 今日もいい一日になるよ! 早く体起こして顔を洗って、ここに戻る! その時にはパンが焼き上がってるからね!」

「い、行って来ます」


 現時点では仕方が無いことなので文句も言えないが、自分の部屋が設定されていない以上、食事をするリビングで眠るしかない。


 すると当然のことのように、俺より早く目覚める唯花に強制的に起こされ、すぐに朝食の支度をする唯花がスタンバっているという光景を目の当たりにする。


 文句を言うことも出来ない現実。

 ――とはいえ、恐らく大学の友達に話せば羨ましがられる日常であることは間違いない。


「はい、どうぞ」


 要領がいいと言うべきか、顔を洗っているうちに朝食が出来上がっていた。

 そんなに時間をかけたつもりは無かったのに、朝から活発すぎる。


「いつもこうなの?」

「カズキは違うの? あの人とどんな生活してた?」


 俺と違って唯花にとっては紛れもなく姉なはずなのに、完全に他人扱いのようだ。片や俺の方は、そこまで徹底して排除した感じにはしていない。


 思い出すことといえば、せいぜい関係が長かったなと思うだけだろうか。どちらが悪かったとか今となっては分からないが、消化不良のような感じだ。


「どんなって言われても……一緒にいたってくらいかな」

「ふーん……。面白くないね」

「あー確かに」


 唯花の言っていることは何となく分かる。しかしいわゆるゲームの面白いつまらないといった意味では無く、ありふれた日常についての感想のはず。


「……じゃあ、今は面白くなって来た?」

「何とも言えないけど、刺激ばかりで退屈しないかな、多分」

「もっと欲しいよね? 欲しいなら右手! そうじゃないなら手は出さない!」

「こ、これで」

「ヤー! さすがカズキ!」


 今となっては思い出せない日々の生活に刺激が加わるなら、その方がいい。その意味でも、力を抑えつつ勢いよく手を重ねた。


「何だか楽しそうに見えるけど」

「楽しいよ! だって(男の子と一緒にアルバイトするのが)夢だったし」

「え、夢? バイトに行くことが?」

「おかしい?」

「そ、そんなことはない……けど」


 言葉足らずなだけで、多分バイトをすること自体が夢じゃないはず。小声で何か呟いていたが、きっとそれが夢に違いない。


「カズキも楽しもうよ! 大げさに考えなくていいんじゃない? 夢って最初の一歩を踏まないとって意味! そこから始めるって意味~」

「あ……そ、そういうことか~! それなら、まぁ、うん」

「それじゃ、もう一回気合い!」


 ハイタッチをする辺り、帰国したての女の子ということを実感する。しかし何となく彼女から元気をもらっている気がするので、細かいことは気にしないことにした。


「……よし、こっちは準備出来てるよ」

「じゃあ行こ! カズキが先に出る! はい、出て出て」

「わたたたっ、そんな押さなくても」

「カズキの後ろを歩きたいのっ! ほら、早く~」


 部屋の鍵を握っているのは俺では無く唯花であり、先に部屋を出るのは当たり前ではあるが、外に出るとどういうわけか俺を先に歩かせる。


 この前の高校帰りをのぞけば、唯花が俺の隣を歩くことは多くない。どちらかというと俺の前に立って急かすことが多いわけだが、どうやらバイトの時は逆を行くようだ。 


 特に何の意味も無いようなので、後ろを歩く唯花を気にしながらバイト先に向かうことにした。


 しかしどうにも心配で、何度も後ろを気にしながら歩かざるを得ない。振り向く度に彼女の笑顔が見えるが、一体何を考えているのか。


「大丈夫、大丈夫! ちゃんとついて来てるよ~! それよりも、カズキはきちんと前を向いて歩く! 歩いて歩いて~」

「わ、分かったよ。迷子にならずについて来て」

「カズキを見失うわけないよ」


 何気ない会話のはずなのに何故か気恥ずかしくなって、その後はきちんと前を向いて歩いた。


 何が唯花の夢なのか分からないものの、まずはバイトに集中することにする。

 その為にも、自分らしくない言葉を唯花に投げてみた。


「ちゃんと俺について来いよ、唯花」

「ヤー! 当然!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る