第11話 応報、十八年前の過ち ①
「どういうことですか、リィンが攫われたって……ッ!」
ブラットリー第一王子に使用権が与えられた、貴賓室。
そこに、無作法と言える、ともすれば不敬を問われそうな勢いで飛び込んできたのは、つい先日学園を卒業したばかりのアルベルク・ウィルコールだった。
淡い金の髪が乱れ、ペリドットのような瞳が見開かれている。
ブラットリーは、軽く手を振って警戒する護衛を下がらせた。
リィン・ウィルコール男爵令嬢が、何者かに攫われた。
その事実が発覚したのは、婚約者であるアストリー・オールボートを訪ねてきていたララ・ドリューウェットが用事を済ませ、馬車止めにあるドリューウェット伯爵家の馬車に戻った時だった。
先に馬車に向かっていたはずのリィンが、馬車に乗っていない。そこまで辿り着いてもいない。馬車に帯同していた使用人からそれを知らされたララは、急いでアストリーの元へ駆け戻った。淑女としては、完全に褒められたものではない駆け方だった。
アストリーはブラットリーの友人であり側近でもあるため、常に彼の傍にいる。
ちょうどその時もアストリーと共に貴賓室にいたブラットリーは、怪訝に思い学園の警備兵に命じてリィンの足跡を確認するように指示した。
結果、学園内にはリィンの姿は見付からず、そして彼女に関する目撃証言も不自然な程に得られなかった。
「一体、どこのどいつが……!」
「恐らくは高位貴族だろう……というのは分かっている」
目撃証言が得られない、という結果が、むしろ高位貴族の仕業であろうと目星を付けさせてくれえた。
学園内で、人目につかない場所というものは殆ど無い。
ただでさえ貴族の子女が集まる施設である上に、今年からは第一王子であるブラットリーが通っているのだ。学園内は警備が厳しくなり、曲者が潜むような場所も徹底的に排除され、中庭の庭木でさえも警備を配慮した状態に整えられている。
そのような中で、意図的に人目がない環境を作り出したのだとすれば、それが出来る権力を持つ者―――つまり、高位貴族ということである。
現在の学園内で最も高位であるのは、当然ながら王族であるブラットリーだ。
それに次ぐともなれば公爵家であるが、公爵家の子女はオールボート公爵家のアストリーと、ル・ナン公爵家のジョゼットしかいない。他の公爵家の子女は年齢が合わず、既に卒業しているか、来年以降に入学するか、といった状態だ。
そうなると残りは、侯爵家や伯爵家の子女となる。
そこまでいくと人数は一気に多くなり、絞り込むことは難しくもなるが、少なくとも子爵家や男爵家まで範囲として考えるよりはマシだろう。
アルベルクが、ギリッと歯を鳴らす。第一王子の御前であるからと、礼儀作法を考える余裕もないようだった。
その心境は理解出来るがゆえに、ブラットリーもそこを咎めることはしない。
「失礼致します」
扉を叩くノックが鳴り、応じるブラットリーの声を待って入室して来たのは、アルベルクより先に学園に到着していた侍従のマティスだった。
彼は、ウィルコール家へと走らせた伝令が事情を伝えると同時に、単騎学園へ駆けてきた。
そして、ブラットリーに拝謁するとすぐにどこかへ向かい、戻ってきた今は手に数枚の紙を携えていた。
「こちら、ご確認頂けますでしょうか」
「これは何だ?」
差し出した紙は、学園内の見取り図と、何らかの当番表のようなものだった。
「見取り図で確認する限り、お嬢様に何かあるとすればこの本棟と正面棟を結ぶ渡り廊下であると思われます」
マティスが示した見取り図には、学園内の構図が描かれている。
学生らが過ごす棟は本棟と呼ばれるが、正面棟はそこから渡り廊下で結ばれた別棟となっている。
そこには使用人の控室などもあるが、主たる目的はエントランスホールであり、本棟に比べれば警備も手薄でエントランスを抜けた先の馬車止まり以外はさほど人通りが多い訳ではない。
それでも皆無ということは有り得ず、渡り廊下には本棟側にも正面棟側にもそれぞれ警備兵が配置されており、常時そこで門番のように構えているはずだった。
「こちらが、渡り廊下の警備当番表になります。お嬢様が居なくなられた時間帯、警備に就いていたのはエリントン卿とヘニング卿となります」
「エリントン……エリントン子爵と、ヘニング男爵の関係者か」
「恐らく、そちらの次男もしくは三男の方々などでありましょう」
下位貴族の子息で、家を継げない者は兵として国に仕えることが多い。
実力もしくは家格によっては騎士位を授けられることもあるし、そうなれば名誉でもある。それはごく自然な成り行きであった。
「この両家には、共通点がございました」
「……共通点?」
「あ……そうか、エリントン子爵家もヘニング男爵家も……」
流石にブラットリーも第一王子として国内の貴族家については家名と領地、さらに当主の名前などは把握しているが、その詳細などは記憶していない。
第一王子に認識される、ということ自体が、下位貴族にとっては名誉とも言える話になるのだ。そこまで詳細まで把握することは、彼には求められていなかった。
マティスの言葉に思い当たるところのないブラットリーとは異なり、アルベルクは思い当たったようだった。
「どちらも、エヴァット侯爵家に連なる寄子貴族となります」
「正確には侯爵家の分家である、バーンズ伯爵家の寄子……だな」
アルベルクが、表情を歪める。
マティスは、感情を押し殺したかのような無表情で頷いた。
「エヴァット侯爵家……いや、姉であればまだしも、妹君を攫う理由はないだろう?」
エヴァット侯爵家が分家の寄子というエリントン子爵家とヘニング男爵家出身の兵らを使って渡り廊下に無人の状態を生み出したとして、それで攫うとすれば姉であるレリア・ウィルコールだろう。
エヴァット侯爵令嬢からしてみれば、レリアは婚約者であるスペンサー侯爵令息に取り入り、婚約を危うくさせかねない相手だ。その行動にも理由がある。
だが、実際に攫われたのは妹のリィンの方である。姉でも妹でも構わない、ということにはならなさそうなのだが。
ブラットリーの疑問に、アルベルクは少し躊躇った後、静かに首を横に振った。
「エヴァット侯爵家であれば、理由は考え付かなくもありません。侯爵家と言うよりは、侯爵夫人……だとは思いますが」
そこまで述べたアルベルクが、大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出す。
「侯爵夫人がエヴァット家に嫁ぐより前は、エイマーズ侯爵家のご令嬢でした。つまり……」
あぁ、とそこでブラットリーは察する。
そういえば、侯爵夫人はエイマーズ侯爵家の出だった。と気付いて。
***
石造りの床は、固くて冷たい。
素材が素材なのだから当たり前なのだけれど、リィンは初めてそれを実感していた。
いくら平凡な男爵家であるとは言え、ウィルコール家は間違いなく貴族ではある。
貴族であるという時点で財政的には平民より遥かに恵まれており、男爵家として所有している邸宅もそれなりの物でもある。
だから邸内には部屋にも廊下にも絨毯が敷き詰められていて、特に石の床などに触れることはなかったのだ。
「やっぱり、冷たいものなのね……」
一度は恐怖に錯乱しそうになったリィンだったが、馬車がいずこかに到着した際に薬を嗅がされたのか再び意識を失い、地下牢らしき場所で目覚めた時には、今度は逆に妙に冷静になっていた。
目覚めた時に思い浮かんだ「攫われるって、恋愛小説の王道展開よね」という思考が、妙におかしく思えてしまって、意識を錯乱させずに留めてくれたのだと思う。
学園の制服は足首まであるロング丈のスカートだが、その状態で座り込むしかない状況は、石の床の固さと冷たさを如実に伝えてくる。
その温度があまりにも無機質で、ぞわりと恐怖が胸元を這い上がってくるような気になってしまうが、リィンは慌てて首を振った。
怖がっちゃダメ。恐怖にとわられちゃダメ。冷静でいなくちゃダメ。
幾度も自分に言い聞かせ、こういう時って恋愛小説だったらどう展開するんだっけ?などと、関係のないことに思いを馳せる。
これがもし恋愛小説だったなら、危機一髪でヒーローが助けに入るのが定番だ。
そして、攫った犯人はヒーローに断罪され、主人公はヒーローと結ばれてハッピーエンド、めでたしめでたし、となる。
「ヒーローって……誰よ」
リィンは自分で自分の考えに、指摘を入れてしまう。
ヒーローと言えば高位貴族だったり王子様だったりという、誰もが羨む相手であることが必要条件だが、残念なことにリィンにそういった相手は心当たりがない。
ブラットリー第一王子やオールボート公爵令息とは、不名誉な理由ではあったが茶会でご一緒する機会も得られたが、それだけだ。
しかも、二人とも婚約者との仲は実に良好であるし、リィンとしてもあんなに気高くて美しいジョゼット・ル・ナン公爵令嬢と張り合う気もなければ、友人であるララ・ドリューウェットには幸せになってもらいたいので、何がどうひっくり返ってもそんなことは有り得ない。
たとえ物語のように攫われたのだとしても、物語のように助け出されるとは限らないのだ。
リィンには、そんなヒーローなんていないのだから。
辿り着いた考えに、何とかして逃れようと現実逃避じみたことをしていた恐怖が、再び込み上げてくる。
両足は縛られず自由だけれど、両手は後ろ手にしっかりと縛られている。立ち上がることは出来るだろうが、バランスが取れずに歩けそうにもない。
そして仮に歩けたとしても、見渡す限り視界に入るのは石の壁。床も壁も石造りで、唯一ある出入り口の扉もまた、重たい石のようで。あの扉すら、きっとリィンの力では開けられないのだろうと思う。
何もないのだと、思い知らされる。
物語のような結末は、リィンには届かないのだと。
再び込み上げてきた恐怖に、がちがちと歯が震えて音を立てそうになる。堪える為に、両目をぎゅっと瞑る。
そうやってリィンが必死で感情をコントロールしようとしていたとき。
ギィ……と重く軋んだ音を立てて、どうやっても開きそうにないと思っていた扉が内開きに開いた。
すぅと差し込む外の明かりが、実はこの室内が随分と暗いのだと気付かせた。
「あら、起きたのね……ウィルコールのお嬢様」
現れたのは、エヴァット侯爵令嬢ではなかった。妙齢の、けれど美しい婦人だった。
貴婦人と呼ぶに相応しい、隅から隅まで整えられた女性だ。
ふふふっと笑う唇は艷やかで、添えられた指先は爪まできちんと磨かれ整えられている。
「わたしに何の用なのでしょうか……エヴァット侯爵夫人……」
その容貌は、グレース・エヴァット侯爵令嬢を成長させたかのような姿だった。
血縁を明らかに感じさせる様子に、誰なのかはおのずと知れる。
石の床に座り込み、恐る恐る尋ねたリィンに、エヴァット侯爵夫人は「あら」と呟きながらくすくすと笑い声を上げた。
「その前に自己紹介しなければね。わたくしはクラーラ・エヴァット。今はエヴァット侯爵家の者だけれど、生家はエイマーズ侯爵家よ」
クラーラ・エイマーズ侯爵令嬢。
世代の違うその令嬢の名前を、リィンはそれでも確かに知っていた。
「エヴァット侯爵夫人、あなたは……」
にっこりと、夫人が微笑む。
その笑顔は洗練されていて美しく、大輪の花が開くようでありながら、空々しい程のわざとらしさを感じさせた。
「あら、知っていたのね。そう、わたくしは、チャールズ・グラフトン、あなたの父親に婚約破棄されたクラーラ・エイマーズよ」
十八年前の因果が、今、確かに巡ろうとしていた。
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