第73話 ふたたびの岸辺

 昏睡しているかのような仙千代に三郎を手伝う形で

信重も着物を着せてやり、冷たい頬を撫で、手を握った。

 信重に叩かれ、殴られ、頬に紫の痣ができていた。

腕や手首も信重があらん限りの力で掴んでいた為、

それらの箇所はやはり青黒く変色していた。


 可哀想に……痛むのだろうな……


 と感傷に浸っていると、

すっかり失念していたが、三郎も生乾きの濡れ鼠……

というよりも、丸顔のせいか、濡れ狸だった。


 「着替えを取りに行かなかったのか」


 信重が仙千代と川で流されている間の顛末としては、

三郎が落水した後の経緯を鵜匠小屋へ伝えに行き、

彦七郎が今のこの舟で先に川へ漕ぎ出し、

事件の元凶である自分は邪魔者扱いされると思った三郎は

船尾から隠れて乗り込み、途中で姿を現したということだった。


 信重は生乾きの着物姿の三郎を抱き寄せた。


 「若殿、斯様な御計らい……勿体のうございます」


 「そう思ったら秋には泳げるようになっておけ」


 「はいっ!」


 先に彦七郎が舟を出し、彦八郎は宿舎へ仙千代の着物を取りに走り、

鵜匠小屋へ戻ると小舟を鵜匠と彦八郎が漕ぎ、

先発の舟へ追い付くと、そこでこの舟に合流し、

鵜匠はふたたび陸へ戻ったということだった。


 厄介なことになった……

小姓だけなら口が堅いが、鵜匠が絡んでいるともなると、

話はそこから広がる……


 元亀三年弥生初旬、

敵将浅井長政の城、小谷城おだにじょう攻めを目的とし、

北近江へ出立した尾張衆、美濃衆という織田軍本隊は、

浅井方諸将の攻撃が足軽部隊の応戦すらなかった為に

拍子抜けしたような態で何事もなく軍を撤収し、

信長はといえば、今は京に居た。

 足利将軍、義昭の信長に対する御機嫌取りで、

勅命という形式を取り、

武者小路に織田家の邸を普請するということになって、

信長は何度も辞退したが度々上意が伝えられたので、

半ば渋々応じる格好となり、上洛が長引いていた。


 殿が帰った後に正式な沙汰が下るということか……


 と信重は暗澹たる気持ちになった。

今日のこの出来事をありのまま、鵜匠は知っている。


 前に、留守居の者が当番を守らなかったことが知れた時、

当り前のこと、父は誅殺とした。

 今日の件がそのまま父の耳に入れば最悪信重は廃嫡、

仙千代と三郎は刑を免れない。

非常に軽い場合でも、信重は当面蟄居、初陣の延期、

仙千代、三郎は放逐だった。


 信重の肩に頭を乗せて、

いつの間にか寝息をたてている三郎を温めてやりつつ、

仙千代の手も握り、信重は様々に案を考えては消し、

消しては練って、最後は、


 そんな手でも何もしないよりはマシか……


 という程度の策は決めた。


 岐阜城の奥向きを取り仕切っているのは養母はは

濃姫こと、鷺山殿だった。

 母は信重の味方となってくれることは確実で、

その点の心配はない。

ただ、だからこそ、

今回の経緯は有体に伝えておかねばならないと信重は思った。


 舟が岸辺に戻ると、小姓達は当然のこと、先ほどの鵜匠、

そして近習達に加え、医師達が待ち構えていて、

既に事はもう、城全体の話となっていた。

 城主の嫡男が小姓と川で溺れかけたのだから、

一大事に違いなく、それを思えば当然の眺めではあった。

 仙千代も三郎も深く眠っていた。

しかし、もう起こさねばならなかった。

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