第27話 勘九郎信重(1)

 奇妙丸はこの正月に元服し、勘九郎信重となっていた。

住まいは山の頂上の天守で、養母である濃姫、

父の側室達やその子供達、

近習や警護の者達と住んでいる。

 信雄、信孝という弟二人は、

元服式は岐阜で信重と共に行われたが、

二人共この一年、二年で、他家へ養子となって出てしまい、

普段はここに居なかった。

 

 威厳と権威を示すという目的以外にも、

何処までも平地が続く尾張に生まれ育ったせいか、

前の城、小牧山城といい、この岐阜城といい、

父は高いところに住みたがり、

特にこの岐阜城は山全体が岩盤で出来ており、

水は雨水に頼る他ないというのに、やはり山頂暮らしで、

眺めは素晴らしいが母や側室方、

小さな兄弟姉妹は登り下りが困難で、

信重は父のそうしたところにも今は反発を覚えていた。

 長島一揆衆に自刃に追い込まれた叔父を偲んで兄弟自作の

田楽能を舞い、父の不興を買い、

その後も武田の松姫との手紙ふみのやり取りの件で衝突し、

以降、信重は父に対して事あるごとに苛立ちを覚え、

元来、口数の多い方ではなかったものがいっそう無口になり、

口を開けば必要最低限という状態だった。


 信重が母と過ごしているところへ父から使いがやって来て、

新しい小姓三人と顔合わせの為、公居館へ来いと言う。

 信重は断った。

父の小姓が増えたからとわざわざ呼ばれたことは今まで皆無で、

何故今回だけという思いが湧いた。


 「お行きなされませ。

殿に特別なお考えがおありなのでしょう」


 と、母が言う。


 「参りませぬ」


 母が皮を剥いてくれた橘の実を口に含んだまま、

ぶすっとした口調で返した。

 先ほどまで、

今日の橘は少し酸い、昨日の方が甘かった等と言いながら、

穏やかに過ごしていたのに父が意識に入り込んできた途端、

母の前でもつい、このような態度を見せてしまう。


 「珍しいことではありませぬか、

殿が小姓に引き合わせようとなさるとは」


 「気まぐれに違いありませぬ」


 「母が頼んでもお行きなされませぬか?」


 この人にそう言われれば断ることは難しかった。

実の母は記憶にすらない幼い頃に他界し、

乳母や侍女に養育された信重、信雄兄弟にとり、

母といえばこの濃姫だった。

父との間に子はできなかったが、その分、兄弟を深く慈しみ、

時に強権的に過ぎる父に対して盾となり、護ってくれた。

強大な権力を持ち、世に君臨する父も、

この母は対等に扱って、奥向きのすべてを任せ、

父の数多の子供達による織田家の組織戦略も母が要となって、

父を助けた。


 信重が、


 「母上が仰るのなら」


 と不貞腐れ気味の表情で立ち上がると、母が笑って、


 「左様な御顔が父上にそっくり。そうは思いませぬか?

若い頃の父上とよく似ておられる。家老の平手に叱られるたび、

いつもちょうど、左様な御顔をされておられた」


 と、茶化した。


 「母上、怒りますよ」


 わざと眉を顰めてひそめて睨む真似をすると、

母は一段と声をあげて笑った。


 







 



 

 



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