ブルレスケ

栗山 丈

ブルレスケ

  *クラシック音楽の楽種でユーモアと辛辣さを兼ね備えたで剽軽でおどけた

   性格の楽曲 (weblio辞書)



 眼をつむっていても、時間だけが刻々と過ぎ去っていくのがわかる。寝て


はいないが、思考のない時間がそこにあった。突然、外の道路で大型トレー


ラーなのだろうか、ガタガタガタッと大きな音がした。ハッと我に返ると、


自分の家のリビングルームの一角にしばらく座り込んでいたらしい。しばら


くの間、前日の仕事の疲労感と虚無感に襲われてグッタリとしていたのだ。


午前9時、朝ごはんも2時間前に済ませて、その後は空白の時間に取り巻か


れていた。その辺りで妻の加代子が朝の多忙な家事をこなす姿が目に入って


いる。すぐそばには現在1歳になったばかりの娘の虹香。ひとりキッチンテ


ーブルの足元で遊んでいる。何の穢れのない純真な顔立ちと清らかな笑顔。


頭の中のモヤモヤもいくらかスッキリとしてきたので、遊んでいる様子が視


界に入ってくる。どうもおもちゃの積木を使って遊んでいるようだ。何かを


子供ながらに一生懸命考えているらしい。今日は何も用事もあるわけではな


いので、家でゆっくりとしていようと思いながら黙って観察していると、小


声で何やらブツブツと言っているではないか。


「ちゅくろっかなー、ちゅくろっかなー」


(おやおや?)


一言そっと声をかけてみる。


「何、作っているの?」


と子供との会話モードで優しくささやいてやる。すると、しばらくしてから、


「道をちゅくる」


と言って左右に積木を直線でガードレール状に並べだし、一本の道を完成さ


せていた。今までチビちゃんの話す声はそれほど聞いたことがなかった。小


さな驚きと嬉しさに包み込まれた。


 何日か前も、図書館で借りてきた絵本の挿絵を眼をギラギラと輝かせて眺


めているところに遭遇した。自分の頭の中で自由な想像を掻き立てているの


である。子供の感性を育てる絵本の役割というのは素晴らしい。子供が一つ


一つ物事を吸収する姿には、確かに豊かな感情が育まれていて、発育ぶりを


感じずにはいられない。これからどんどん自分の周りで起きることは体験か


ら身体に吸収されていくのであろうし、人格の形成がなされていくのであろ


う。いかなる子供にも同じような感情が身に付いていく社会的成長期として


大切な時期である。



 9時半を過ぎたところで、


「さあ、洗濯と掃除がひと段落。じゃぁ、虹香ちゃんお買い物に行くから、


したくをしましょうね。お父さんにも来ていただきましょう」


急に言われて、「えっ?」という感じだったが、一連の家事仕事を終えた妻


の一言から、今日の予定は疲れていても子供のおもりに徹することだと悟っ


たのである。


 3人で一旦、スーパーに向かう。もちろんチビちゃんをベビーカーに乗せ


てである。そして妻が買い物している間に、子供を見ているのが今日の役


割。妻と別れてチビちゃんを連れて児童遊園にやって来た。まだしっかりと


歩けないけど、ベビーカーからおチビちゃんを地べたに降ろす。すると何や


らニコニコし始めてゆっくりとあたりをじ~っ眺めている。自分が今どこに


いるのか頭の中で整理している。しばらくすると、ヨチヨチと自由に歩き始


める。情操教育の一つとして自然に触れさせて、いろいろな事を体験させる


のは大切である。はじめてきた場所で本人は、


(—さぁて、何しよう?)


自分で思案して行動に移そうとしている。そして様々な感情が芽生える。


(大事だよな、心の成長)


チビちゃんをじっと観察。まず初めに、何を始めたかっていうと、小高い丘


に向かって行った。いくつもある遊具よりも先にどうも周囲の偵察を試みて


いる。まずは、丘のてっぺんにそびえ立つ人の高さの何倍もある欅の木に近


づいていく。


(おや?これは―)


初めてみる木々を何だろなと関心を寄せている。しばらくすると、こちらを


向きながら、「お~い」とでも言いたそうな顔つき。そして木の幹に手を触


れている。すると、木の幹を手のひらでパンパンと叩き始めた。樹木の存在


を意識して手に触れた感触を味わっている。先ほどからニコニコした顔は変


わっていない。自然を体感した後は、次にチビちゃんの目に留まったのがや


はりブランコ。


(—何だろな? いったい)


目に入るものすべてが初めてであるから興味津々なのが伝わってくる。丘か


ら降りてくるのも、今にも前につんのめりそうになりながら、自力で一歩ず


つ平地に降りてくる。


二本足で歩くのはまだ本当にぎこちない。ゆっくりと移動してブランコの一


台に到着すると、


(はて? これは・・・・・・)


不思議そうに一生懸命思案している。とにかく遊んでみようと行動に移し、


小さい身体をブランコの座板に自力で乗せようと一生懸命なのだが、なかな


か思うとおりにいかない。座板に腹ばいになってなんとかしようとしている


うちに、ブランコが徐々に揺れ始め、少しビックリしている様子。次第に要


領がわかってきたのかと思いきや、少し油断したのか、前後に少し揺れた状


態で何とバランスを崩し、地面へうつ伏せに落下。


「うぇーん」


泣き声を上げ出したので、(これはいけない)と近づいていったら、ひと声


上げただけですぐに泣き止んでいた。自分では座板に普通に上れないし、自


分で漕ぐ力もまだないから、だんだん険しい顔になってきている。これは無


理そうなので、親が座って膝抱っこをして乗せてやらねばなるまい。座板に


座って膝抱っこをしてからブランコを揺らしていく。加速度が増すにつれ、


チビちゃんはご機嫌を取り戻したのだが、そのうちどうも自分でやらなけれ


ば気が済まないらしく、(親父は降りろ)という仕草が好奇心が満々で、そ


れが親の心の内をくすぐられるような気分になる。(わかったから)とチビ


ちゃん一人を座板に立たせて少しずつ揺らせてやると、そこはもう彼女だけ


の冒険の世界。


(おっ、おもしれぇじゃん)


そう、公園の遊具は子供にとって面白くできている。それはもうニコニコ顔


で上機嫌だが、まだ自分で漕ぐ力がないから、揺らせてやらなければならな


い。だんだん速度が上がってきているが怖がりもせず、もっともっとと催促


をするから、危なくないところまで揺らしてやる。するともう顔がほころん


で、こんな面白いものないという様子を見せている。でもやっぱり飽きっぽ


いんだか、一定の体験を終えると、次の遊具にヨチヨチと駆け寄っていく。


滑り台はほっておいても階段さえゆっくりと昇れることができれば、あとは


自分で遊べる。多少の身の上に迫る危険はまったく眼中になさそうだから、


じっと行動を見守っていく。すると、ぎこちないけれども階段をゆっくりと


昇り始めたではないか。右足だけを次の階段に掛けて身体を持ち上げ続けて


いく幼児特有の方法でとうとう頂上に昇りつめると、こちらを向いてニヤリ


としてからあっという間にスルスルとすべり降りていく。一度うまくいけ


ば、もうチビちゃんはすべり台に心が奪われていて、また本能的に階段に駆


け寄って昇り始める。キャッキャッと言いながら、昇ってはすべり、すべっ


ては昇りが続く。これはとても気に入ったようで、なかなか飽きないらし


い。少しぐらいほっておいてもよかろうと、スマートフォンでLINEのチ


ェックをすることにした。どうせ、仕事先からの「明日は、このクレームに


対応してくれ」、「至急この資料作成も頼む」というような連絡が入ってい


るくらいのものである。案の定、明日の営業先の連絡が入っていて、それを


ひと通り目を通し終えると、再度、チビちゃんに眼を向けなおしてみるとど


うだろう。誰でも同じように考えることなのだが、何回か昇ってはすべる行


動を重ねていたらしいが、次はすべり台を逆に昇っているのを発見。でもそ


こはやっぱりまだ1歳。坂道を昇るだけの足の筋力がないから、ズルズルと


ずり落ちてくる。何回やっても本人はできないことがわかるとそこは潔い。


もう次の遊具にあわてて移動しようとする姿が目に入る。もう動きが素早く


てこちらの目が追いつかない。チビちゃんはどこへと見渡せば、次のジャン


グルジムにいると思いきや姿は見えないではないか。(あれれ?)とあたり


を見回すと、なんだってまぁ、もう一人で(早く行こうぜ)とばかりにベビ


ーカーに腰を下ろし、こちらの立ち上がるのを待っているのだ。チビのくせ


に飽きっぽいんだなと思いつつも、重たい腰を上げて、ベビーカーのシート


ベルトをしっかりとチビちゃんに装着させる。



 加代子と落ち合う時間にはまだ余裕がある。ゆっくりと公園を出る支度を


して、そしてKスーパーに向かう。途中で地下にある最寄り駅の上を横断す


る道を抜けて、繁華街をめざして行く。線路の上にさしかかると電車が駅の


ホームに入ってくるところだった。チビちゃんは電車を少し見たいという風


にのりだしたので、電車の真上の位置で止まってしばらく電車を眺めさせ


る。


「電車、電車—」


と言ってこちらに反応を求めるので、「そう、電車」と笑みを浮かべてや


る。するとなんだろう、すぐ先に見えるちょっとした小高い丘に展望台があ


るのだが、そこで何かピカピカに光るものが見える。数秒おきに光を放つ謎


の物体が展望台に存在している。ここからは何が光っているのか識別するこ


とはできなかった。チビちゃんの目もそっちに釘づけになっている。


「—あれ何だろう?」


「—何だろうね」


「何だろう?」


「うん、何だろうね」


子供との対話なんてこんな感じ。でも、子供にとって初めて見る物はなんで


も関心があるし、物を知る力、認識する力が養われていくのだ。でも、あの


奇妙な光は大人が遠くから見ても何だか分からなかった。何だか突きとめる


こともしてあげられなかったし、結局、チビちゃんの頭の中は何だか分から


ずじまいである。気の毒な思いも残るとベビーカーを押しながら追跡調査が


できなかったことを惜しむ気持ちがあった。


 待ち合わせのKスーパーのフードコートに少しだけ待ち合わせ時間に遅れ


て到着。加代子は丸々と膨らんだ買い物袋を三袋ばかり携えてすでに待ち構


えていた。


「さぁ、じゃぁお家に帰りましょう」


小さめの買い物袋はベビーカーに乗っているチビちゃんに一つ抱えてもら


い、あとは一人一つずつ持って家路を急ぐ。


途中、駅の改札口の前を通ると、いくつかの彫刻作家が制作したオブジェの


作品が立ち並んでいるところにさしかかる。その前を通ったときに、そのう


ちの一つが妖怪の〝一反木綿〟の太ったような醜い作品がある。これを見


て、


「おやっ、これ虹香ちゃんみたいだね」と冗談のつもりで言ったら、だんだ


んと顔の表情が怪しくなってきて、しまいには、


「うえーん」


大声で泣きだしてしまった。あらら、どうしたもんかなぁ?




                            (了)

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ブルレスケ 栗山 丈 @kuriyamajo

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