スキーター カーの理髪店

Jack Torrance

第1話 愛すべきヤローども

ニューヨーク州ハーレム。そのメインストリートの125丁目に店を構える理髪店。開店の準備も整い客用のソファーで牛乳瓶の底のような分厚い老眼鏡を掛けてニューヨークタイムズを読んでいる老人。髪は短く丸刈りにして少しはげ上がった頭皮をごま塩の毛髪が覆っている。目は細く顔には皺が刻まれているがその皮膚は光沢を帯びたように黒光りしていて張りがあった。新聞の目新しい記事を一通り目を通すと胸ポケットから煙草を抜き取りマッチで火を点ける。小さな煙の輪っかを空中に向かってポコポコと吐き出す仕草が何とも愛嬌があって可愛らしい老人である。スキーター カー。先月に70になった。妻のアイボリーには3年前に先立たれた。70の誕生日の日に倅のドニーから「親父、もう70にもなったんだから、そろそろ引退して俺の家で一緒に暮らそうぜ。毎日、可愛い孫の顔も拝めるんだからよ」と言われた。スキーターは倅にこう言った。「ドニーよ、おめぇーさんの世話にならなきゃいかん日が来たら、わしは拳銃で自分の蟀谷をぶち抜くつもりじゃ。わしを年寄り扱いするんじゃねぇ」そう言って現役続投を表明した。スキーターは煙草の煙を気持ち良く燻らせていた。すると、店の扉に付けてある鈴の音が鳴った。スキーターは扉に目をやると子どもの頃からこの理髪店に通っている16歳で反っ歯のジェイムズ サットンがのっそりと入って来た。肌の色は黒人にしては薄く赤茶の毛髪でその毛は黒人特有の縮れ毛だった。「カーの親父さん、おはよう。親父さん、俺コンクにしたいんだけど出来るかい?」スキーターは苦虫を潰したような表情になり怒号混じりで言い放った。「ジェイムズ、おめぇーさんコンくにしたいって?おいおい、マルコムX導師もわけえ頃にゃコンクにしとったそうじゃが改心なさった時にゃ止めなさった。解るか?その意味が。わしらの頭の縮れ毛はわしら黒人のアイデンティティじゃ。うちはコンクなんぞやっとらん。それが解ったんなら母ちゃんのおっぱいでも吸ってまた出直してきな、坊や」ジェイムズはむっつりして言う。「解ったよ、親父さん。そんなに怒らなくてもいいじゃないかよ。いつもの髪型でいいよー」「よし、坊や。座んな」そそくさとカットクロス ケープを巻いて、てきぱきとジェイムズの頭をカットしていく。「よし、坊や、一丁上がりだ。おや、おめぇーさん、また一段と男前になったんじゃねぇのかい」スキーターがにこりと笑って言う。ジェイムズもその黄ばんだ反っ歯を大きく覗かせてにこりと笑う。スキーターは肩にブラシを掛けて料金の10ドルを貰う。「んじゃ、気を付けてけえるんだぞ。父ちゃんと母ちゃんによろしくな」こうしてジェイムズを見送る。午前中の客はジェイムズ一人だけだった。インスタントコーヒーを入れデリカテッセンで買ってきたターキーサンドと卵とハムのサンドイッチを抓む。ラジオからはウィルソン ピケットやソロモン バークなどのソウルミュージックが流れていた。腹ごしらえを終え煙草を一服吸いながら鼻をほじっていたらまた扉の鈴の音がした。「こんちは、親父さん。今は空いてるかい?」ドニーの幼馴染みのルービン マックスだった。「よお、ルービンじゃねぇかい。今、飯食って一息ついてたとこだ。まあ、座ってくれや」「親父さん、景気の方はどんなもんだい?」「まあ、ぼちぼちってとこさね。俺も先月70になっちまったからよ。動ける範囲でぼちぼちやるだけさ。ドニーの野郎なんざ引退して一緒に住もうって言いやがる有様さ」カットクロス ケープを巻きながらスキーターがルービンに言って聞かせる。ルービンが躊躇い勝ちに言う。「そりゃ、そんなもんさ。確かに俺らも親父さんが元気でこうやって働いている事は嬉しい事だけどよ。俺なんか親父を早くに亡くしちまったからよ、親父さんは俺の親代わりみたいに面倒見てくれたもんな」。だから俺もドニーみたいに心配になる訳さ「ドニーやおめぇーさん達にそうやって心配してもらってありがてえもんだな。俺ももう一踏ん張りってとこさな。俺がくたばったらニュー オルリーンズ風みてえに賑やかな葬式にしてくれや」スキーターとルービンが顔を見合わせて笑う。そんな話をしていたらルービンのカットが終わった。「ほい、一丁上がり。おや、ルービン、おめぇーさんまた艶っぽい色男になっちまったな。今日はかみさんでも抱いてやんな」肩にブラシを掛けてルービンの肩をポンと叩く。ルービンが料金の10ドルを渡しながら言う。「あのでか尻のかみさんを本気にさせちまったらこちとらの精気を全部吸い取られちまうからよ、今晩はよしとくよ」「じゃーな、ルービン。かみさんによろしくな」またソファーに座りラジオを聴いていたらこくりこくりと睡魔に襲われうたた寝していた。暫くすると扉の鈴の音が鳴った。スキーターは寝ぼけ眼で口角に垂れた涎を手の甲で拭いながら扉に目をやる。入って来たのはガキの頃からの腐れ縁、マーヴィン シーバスだった。「スキーター、生きちょるか」「よお、マーヴィンじゃねぇか。風の便りでくたばったって聞いたけんども俺が見てるのは幽霊か何かか」スキーターとマーヴィンが拳を作ってタッチさせる。」「まあ、座ってくれや」スキーターが噛み煙草をやる。「マーヴィン、おめぇーさんもどうだ?」スキーターがマーヴィンに噛み煙草を勧める。「ありがとよ」マーヴィンも噛み煙草をやる。カットクロス ケープを巻きながらスキーターが言う。「マーヴィンよ、おめぇーさん最近どんな調子よ」「それがよ、この前に夢におふくろが出て来てよ」「へえ、あのゴリラみてぇなおっかさんがおめぇーさんの夢に出て来たって訳かい」

「そうよ、そのおふくろが夢の中でこう言う訳よ『あたしの誕生日の数字をナンバーズで買いな』ってね。それで俺はナンバーズを買いに行ったって訳さ」「ほお、それでおめぇーさんは一山当てたって事なのかい?」「んにゃ、掠りもしねぇー。」スキーターが琥珀色の唾をペッっと痰壺に吐く。マーヴィンの口元にも痰壺を持って行く。マーヴィンも琥珀色の唾をペッっと吐く。「おふくろは生きてる時にも俺に金をせびって来たがあの世に逝っちまってからも俺の財産を減らしやがる」マーヴィンが笑いながら言う。「そう言えばよ、マーヴィン。俺もこの前、ジョー ルイスがシュメリングと戦って1RKOした試合。覚えてるか?」「ああ、褐色の爆撃機。ありゃー、俺ら黒人の英雄じゃったな。いいチャンプじゃった」「その試合をよ、ヤンキースタジアムで直に見た夢を見てよ。これは、お告げかもしんねぇー。ルイスの戦績の数字をナンバーズで今度買おうと思ってよ」スキーターがさもありなんといった面持ちで言う。「止めとけ、止めとけ。ドブに金を捨てるようなもんじゃ」そうこうしているとマーヴィンのカットが終わった。「あらよっと、一丁上がり。おや、おめぇーさん、世の未亡人の奥方どもが放っちゃおけねぇーくらいの美男子に変貌しちまったぜ。今夜あたり未亡人の奥方が夜這いにくっかもな。肩のブラシ掛けはツケにしといてやっからよ」マーヴィンが10ドルを支払いながら言う。「俺も後10ばかしわけかったらよ喜んで奥方どものお相手をして差し上げるんじゃどもよ。もう、あっちの方が思い通りになんねぇもんだからよ」スキーターとマーヴィンがどっと大笑いする。「また出て来いや、マーヴィン。メルディスによろしくな」ああ、おめぇーさんもあんま無理しないように頑張ってくんな。んじゃ、またな、スキーター「」互いに手を振って名残惜しそうに別れる。時刻は17時半を回っていた。スキーターはそそくさと店仕舞いに取り掛かる。スキーターは店仕舞いが済むとまたソファーに座り一服嗜む。大きな煙の輪っかを大きく空中に向かって吐き出した。愛すべき野郎どもに囲まれた楽しかった一日を思い出し心地よい疲労感に包まれる。今日は倅のとこでも寄って孫の面でも拝んでけえるか。店の錠を掛けてスキーターは団欒とした倅の家に向かって歩を進めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スキーター カーの理髪店 Jack Torrance @John-D

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ