緑色のリボン「コウハイ」
拓嶺高校の制服は特にこれといった目立つ特徴はない。
男子生徒は上下共に無地の紺色のブレザーとスラックスで、女子生徒はスカートが紺色とモノトーン色の入り混じったギンガムチェック柄だ。
地味といえば限りなく地味な制服だが、小洒落たポイントがあるとするなら、学年によってネクタイの色が違うという事だ。
現行の三年生はえんじ色、二年は緑、一年が青のネクタイを装備している。ちなみに女子生徒はリボン式のタイだ。
学年が上がる度に新たな色のネクタイを買い直すのではない。
現に俺を含む現三年生は一年の時からずっと同じえんじ色のタイである。
今の三年生が卒業し次年度になった際、新一年生がえんじ色のを付けて高校生活を過ごすことになる。
そんな感じで、今年はえんじ、緑、青の順に学年が上で、来年になると緑が一番上の三年生の色となり、青が二年、えんじが一年と、ループを繰り返すシステムだ。
そんなわけで、今現在は早朝。
寝不足気味に早起きをして辿り着いたリビングのテーブルの上には、緑色のリボンタイが置いてあった。
緑色。つまり現二年生女子のタイである。
ってなんで!? なんでそんなものが置いてあるの!?
酔っぱらって間違えて誰かの持って帰ってきちゃいましたー、ってそんなわけないよ? そもそも俺未成年だし!
覚醒前の俺の頭脳はとある可能性を導き出した。
俺の家を知っている拓嶺高校二年生……まさかあの食いしん坊のものか?
あまりに腹を空かせた琴美が食い物を求めて俺の家に不法侵入したとか?
「ふわぁ。あら。おはようございます、冬根さん」
大きな欠伸をして、そう言いながらエプロン姿でキッチンからやってきた人物を見て、俺は飛び上がってしまった。
寝起きの朦朧感が一瞬にして吹き飛ぶ。
「な、な、な、な、……な?」
「何ですかそれ。もうちょっとマシな驚き方ないんですか」
琴美ではなかった。
菜箸を片手に持った背の高い拓嶺高校二年女子。
古川彩乃がボリューミーなルーズサイドテールを揺らして立っている。大胆に開かれた襟元を見るに、どうやらテーブルの上の緑色のリボンタイはコイツのものらしい。
「って、お前何してんだよ!」
「料理ですが?」
「ですが? じゃなくてさ! なんで彩乃が俺の家にいるんだよ!?」
「冬根さんのお姉さまには許可を得ましたよ。何やら、ムスッとはされていましたけど」
――なんで氷ちゃんばっかりモテるのかしら! とか言ってたんだろうな。心の中で。
違うんだ姉よ、コイツの来訪は俺にとって災害と同義なんだ。
「質問にちゃんと答えろよ。なんで居るのかって訊いたんだ」
「冬根さんと一緒に登校しようと思いまして」
「はい?」
数日前の四ノ宮とのデートの日以来、俺は登校していない。
三年は次の卒業式予行演習の日までは自由登校を認められているからである。
「ほら、先輩との登校デートって、けなげな後輩っぽくて可愛いでしょう?」
まあそうですね……お前じゃなかったらな!
どう考えても何か企んでいるとしか思えない。彩乃さん怖いよぉ。
「とりあえずもうすぐ朝食ができますので、座って待っててください。ふわぁ」
再び大きめの欠伸をして、彩乃はキッチンに戻っていく。
嫌な予感しかしない中テーブルについて待っていると、次々に料理が並べられていった。
朝食にしては豪華な、それでいて早朝に食べても厳しくない胃のことも考えられたメニューだった。
ロールキャベツから発せられる香りに、俺の腹の虫が騒ぎ出した。
「ふわぁ。さあいただきましょうか、冬根さん」
エプロン姿のままの彩乃が俺の対面の椅子に座った。
彩乃の身長は俺と同じか少し高いくらいな筈なのに、椅子に座ると俺のほうが視線が高い。
つまり、そういうことである。
……ケッ! どうせ短いですよーだ。
「何睨んでるんですか。殺しますよ」
「……朝っぱらから殺害予告するなよ」
「いただきます」
彩乃は礼儀正しく手を合わせてから食べ始めた。
どこかの誰かの同じような場面がフラッシュバックする。本当に慕ってるんだな。
「……彩乃さん? これ、毒とか入れてないよね?」
何を企んでいるか分からない以上、全てを疑ってしまった俺が言ったこの言葉には、彩乃の溜め息が返ってきた。
「冬根さん。さすがにちょっとひどいです」
「え」
「わざわざすごく早起きして、一時間近くかけて冬根さんの家まで来て、寝不足気味でお疲れの先輩にと思って振る舞った手料理にまでそんなこと言うんですね」
「あ、ごめん」
意外なことに悲壮な表情をした彩乃に、罪悪感が湧いてくる。
俺はそのまま目の前のロールキャベツをガブリと頬張った。
「……うめぇ」
マジで美味しかった。本当に美味しい物を食べた時って、泣きそうになるよね。
俺も料理は多少嗜むが、彩乃は比べられないくらいの熟練っぷりなのが並べられた副菜の数々から見て取れる。
「ありがとうございます。まあ入れましたけどね、毒」
「え? …………え?」
「もちろん冗談ですけど」
……おまえの場合、本当にやりそうで怖いよ。
というかちょっと待て。
遅れて気付いたが、コイツは何故俺が寝不足気味ってのを知ってるんだ?
上品に料理を食べていく彩乃が一気に恐ろしい存在に見えてくる。
いつ何が起きてもいいように全方向に細心の注意を払いながら彩乃の手料理を美味しくいただいていると、持参したであろうペットボトルのお茶をクイッと飲んだ彩乃が不意に話し始めた。
「冬根さん、お姉さまを振ったんですね」
「ブッ!!」
彩乃の不意打ちにコンソメスープを吹き出してしまった。
口の周りがびちゃびちゃである。
「何してるんですか。汚いですね」
「……う、うるせえなぁ。変なところに入ったんだよ」
汚い物を見るような目を向けてきやがって……置いてあるお前のリボンタイで口拭くぞコンチクショウ。
いや、汚いけどさ。すいません。
「冬根さんは最低ですね」
「……」
うぐぅ。
その言葉で今の俺にはカンストダメージが入る。
ザオリクもフェニックスの尾も効かない、戦線離脱イベントレベルの紛うことなき死亡である。
ドSもほどほどにしてくれよ。お前も年上男の号泣なんて見たくないだろ? 見たいとか言うなよ?
「私としてはありがたいことでしたけどね」
彩乃は固まっている俺をニンマリと見つめながらそう言った。
「どういう意味だよ」
「単純です。冬根さんみたいな人にお姉さまを渡したくありませんでしたから。そうならなくて私は安心しました」
「……ああそうかい」
どこまでも四ノ宮が好きなんですね。
まあでも今ならすごい分かるような気がするな。俺も人間としては四ノ宮のことはトップクラスに好きだ。
「まあ、もしも冬根さんがお姉さまの告白に首を縦に振っていたら、一生軽蔑してましたけど」
「……ああそうかよ」
「冬根さんが最低な男じゃなくてよかったです」
「さっき最低って言わなかったか?」
「はい、最低です」
「いやどっちだよ」
ふふふ、と無声音で不敵に笑う彩乃。
「最低ですけど、見下げ果てる程最低ではないってことです。良かったですね、冬根さん」
「お前さあ……俺をいじめて楽しいか?」
楽しいんだろうな。
「一応、元気付けているつもりなんですけど」
「どこがだよ!」
「きっと卑屈で悲観主義でヘタレで雑魚な冬根さんのことですから、落ち込んでるかなと思いまして。だから最後に話をしに来たんです」
だったらせめて、傷心な俺に優しい言葉の一つくらいかけてくれよ。本当に泣くぞ。
ん? 待てよ?
「最後って?」
「はい。……あれ? 聞いてないんですか?」
「何を?」
すっかり温くなったであろうロールキャベツを箸でつまんだまま、彩乃は眉を寄せて「はぁ」とため息を吐いた。
「本当にあの人は説明不足ですよね。絶対に教師向いてませんよ」
◆ ◆ ◆
女の子と二人で一緒に登校する。
これほどまで青春に満ち満ちている光景は無いよね。
寒さでマフラーに顔を埋め気味の女の子とか、耳とか鼻を赤くしているとか、歩くスピードを合わせてちょっぴり緊張しながら楽しく会話したりとか、もはや登校デートは青春の福袋的イベントだ。
そんな初めての心せくイベントにも、俺は恐怖感でいっぱいだった。
だって、隣に居るのが彩乃さんなんですもん。
いつ何をされるか分からない。福袋というよりもパンドラボックスだ。
「あの人と陽太様が敵対していることはご存知ですか?」
やけにゆっくりとした歩調で、白い息を漏らしながら彩乃が話し始めた。
「あの人ってのは、霜平のことだよな」
「そうです。あの人です」
……なんで頑なに名前で呼ばないの?
名前を呼んではいけないあの人なの? ヴォルなんとかなの?
「もうお気づきかと思いますが、私は陽太様の
「え?」
俺は無意識に足が止まる。
何? どういうこと?
「あら。やっぱり冬根さんは鈍いんですね。もう分かっていると思ってましたけど」
「陽太の下でって……弟子みたいなこと?」
彩乃は数歩先で振り返って、両手を合掌するように合わせて小さく首を傾げた。
「弟子という言い方はちょっとアレですけど……まあそんなところです。あの化け物があの人の配下であるように、私も陽太様の下に従えているということです。調査や密偵の術を叩き込まれました」
思い返せば合点がいくことが多かった。
前々から彩乃が陽太のことを『様』付けで呼んでいた違和感もそうだが、何よりも恐ろしいほどの調査力。
なんでそんなこと知っているんだよ! という思いは確かに陽太の調査と酷似する部分がある。
「……お前、絶対やばいことしてるだろ」
俺は歩みを再開しながら、霜平の言っていた言葉を思い出していた。
『やっていいことと駄目なことの区別がつかない奴で――』
俺が陽太に調査を何度か依頼した時は、恐ろしいほど詳細に情報を提供してくれた。
普通なら知りえないようなことも、だ。
「やばいことなんてしてないですよ。ただ必要なことをしているだけです」
「お前、そのうち捕まるぞ?」
「あら冬根さん、敵である私の心配をしてくれるんですね」
「敵ってなぁ……」
まあ俺の精神衛生的には大いに敵、というか害悪だけど。
怖いし辛辣だし。おっとりしてて綺麗な顔なんだから、もう少しマイルドな性格になればいいのに。
「敵ですよ。これからは」
彩乃は見えてきた駅に目線を向けたままそう言った。
「今までも結構俺に敵意むき出しだったくせに」
「何言ってるんですか。全部私なりのコミュニケーションですよ」
「あれが!? あれのどこが!? 俺結構精神抉られたけど!?」
俺のツッコミにふふふと笑ってくれた彩乃。
しかしすぐに真顔になった。
「あの人は単体ではそこまで脅威ではありません。単純な対決ならきっと、陽太様に軍配が上がります」
「探偵サークルだっけ。大人同士の大人げないプライドの争いのことか」
「いいじゃないですか。ちょっと、楽しそうですし」
巻き込まれて就職まで確定した俺としては、霜平の厄介事を処理させられると思うと「わぁ! 楽しそう!」とは全く思えない。
「ですが、あの人を深く見ていて分かりました。あの人の
「目?」
あのだらっとした口調にピッタリな、ちょっとだらしない目のことか?
「具体的には『見る力』です。状況を鑑みれる洞察力、他人の本質を見抜く慧眼、選球眼。事実、真っ先にあの『化け物』を仲間にしていますしね。どの案件をどこに振ればいいかというアサイン力にも長けています」
「べた褒めだな」
「正しく評価をしたまでです。それでも私は、陽太様が勝つと信じていますし、私が力になります」
駅に着いた。
コートのポケットから定期券を取り出し、切符を買う彩乃を待ってから俺たちはホームに向かった。
「彩乃、四ノ宮を慕っているんじゃなかったのか? いいのか? 二人も慕う人がいたら浮気じゃないのか?」
「陽太様は……そうですね。いろいろありましたが、恩人、みたいなものですね。冬根さんにとってのあの人、みたいなところです」
「いや、全然違うだろ。俺、霜平には間違っても『様』付けて呼んだりしたくないし」
霜平様……おえっ、脳内で読んだだけで鳥肌が止まらない。
もうアイツ『シーモ』とかで良いんじゃないか? 勝てそうにないからせめて呼び方くらいは優位に立ちたいという俺の器の矮小さ。
「優秀な人材を集めるあの人に負けないように、私も陽太様の為に動くと決めたんです。だからあの人の下で働くことになった冬根さんとは敵です」
「いやまあ働くことにはなっちゃったけどさ。でも大学生のうちはまだいいって言われたぞ?」
天然エコーのかかるホームのアナウンス音に負けぬよう自然と声量を大きくしながら、俺と彩乃は横に並んで会話を続ける。
「ふふふ。冬根さんも本当に甘いというか鈍いというか。あの人が本当に大学の四年間でも、自由にさせてくれると思いますか?」
「……」
やっぱりそうなっちゃいます?
ってことは在学中も俺、アイツの持ち込む厄介事の対処に追われるってこと?
えー、やだー、何ならまだ『恋愛マスター』とかやってたほうがマシまであるんですけどー。
「まあ、冬根さんは凛堂月の餌としてあの人に引き込まれただけなんですけどね。ふふっ」
そうですよ、霜平本人にも言われましたよ。
ふんっ! でも『思ったよりも使える』とも言われたもん。俺だってやる時はやる男だもん。
……思ったより、って単語がグサリと来るけど。
「そもそも霜平が凛堂を引き込もうとしているのも、『陽太の妹』で、陽太が逆らえない存在だからって理由なだけだろうに、更にその餌とか言われる俺の身になってくれよ」
「何言ってるんですか?」
「何って、何が?」
彩乃は俺に顰め面を向けてきた。
まるで「お前は何もわかってない」と言いたげな顔だ。
「あの人がそれだけの理由で、引き込むはずがないじゃないですか」
「……どういうことだ?」
「『陽太様が逆らえない』という理由以外にも、あの人が凛堂月を引き込むれっきとした理由があるということです」
俺はふと過去を振り返る。
凛堂月のことだ。
俺の知っている凛堂は……助手で、無口で無表情で。
無駄に俺を慕っていて、若干の世間知らず気味で。
最初は優秀だと思っていた。
きっと、俺の助手として、俺がする崩壊狙いのアドバイスをうまく駆使して立ち回れる優秀な存在。
しかし蓋を開けてみれば、凛堂は自分からは動かずに琴美を頼っていた。
それどころか、そもそもが出来レースで、それさえも霜平が仕組んだことだった。
俺が知る限りの凛堂は、優秀というよりもポンコツに近い。
「凛堂は優秀ってことか?」
「凛堂月……あの子は特殊です」
レールが金切り声をあげながら、列車がホームに入ってきた。
降りる乗客を待ってから、俺と彩乃はほぼ同時に乗車した。
扉すぐそばの二人用座席に並んで座る。
「まあ、金髪だし碧眼だし、あんまりしゃべらないけど」
「そういう意味での特殊ではありません。凛堂月は普通の人とはちょっと違います。そこがあの子の怖いところ、ですね。きっとあの人は凛堂月のその部分に目を付けたんだと思います」
黒目を上昇させていた彩乃が俺に視線を移し、俺の肩を指で意味有りげにツンツン突きながらこう言った。
「冬根さんもご自身の身体でしっかりと経験しているじゃないですか」
「どういう意味だよ」
身体で経験とか、突然何てこと言い出すのこの子。
一緒のベッドで寝はしてしまったけど……一緒に寝ただけだもん! 本当だもん! トトロいたもん!
「そうですね……一言で表すなら」
彩乃は心底煙たそうな顔を作ってからこう言った。
「魔性、です」
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