天才になれない乙女「イチノセ サオリ」
話し合いの場にこの喫茶店を選んだのは失敗だった。
拓嶺高校からすぐ傍であり、利用する拓嶺校生が居てもおかしくない。
ただ単に、行ったことのない店には行きたくないという俺の人見知りならぬ店見知り的発想が事故を招いてしまった。
「まさかこんなところでも真実の愛を導く務めをしているなんて。冬根君は流石ね!」
もう黙っててくれませんかね、事故さん。
このまま、四ノ宮が居る中で話し始めるのは無理がある。
かといってこれ以上一ノ瀬を連れまわしたり、日を延期したりするのもまずい。
かくなる上は……。
「四ノ宮、頼みがあるんだが」
「何かしら? ……私もパフェ頼もうかしら。呼び出しボタンを――」
「待て待て、待って!」
俺は四ノ宮のボタンに伸びる手を必死に押さえる。
「どうしたの? 今日はパフェ代は自分で出すわよ?」
「そっか、それなら……じゃなくて! 四ノ宮に頼みがあるんだ」
「……パフェを頼んでから聞くわ」
「違う、その前に聞いてほしいんだよ!」
「えー、でもパフェを食べながらでも……」
ああ! もうこうなったら恥などいくらでも食らってやる!
「真実の愛の成就の為なんだ! その為に四ノ宮にどうしても協力してほしい!」
「真実の愛……」
ぽうっとした顔で静止する四ノ宮。
対面では一ノ瀬が侮蔑的な表情で俺を見てくる。見ないでぇ。
「わ、分かったわ! それで私は何をすればいいの?」
「ああ、凛堂に言って欲しいことがあるんだ」
「凛堂さん? 何? 真実の愛の為なら私は何でもするわよ!」
「ありがとう。それじゃ、凛堂に言うことは――」
◆ ◆ ◆
俺の厳命ですぐさま学校へと戻っていった四ノ宮を見届けたタイミングで、注文した巨大パフェとコーヒーが届いた。
俺は安堵の溜息の後に一口コーヒーを啜り、鼻の奥に広がる香りを感じてから一ノ瀬に声を掛けた。
「バタバタしてすまん」
「アンタ、もしかして本当に恋愛マスターなんてバカみたいなことやってるの?」
「バ……」
バカみたいなこと?
……うん、うん、わかる!! 超分かる!! 激しく同意!!
「あの縁メガネも、さっきのおさげも、アンタの信者ってこと?」
一ノ瀬は嘲笑を浮かべながらパフェを食べ始めた。
態度や口調とは裏腹に、食べ方は上品で様になっている。お嬢様って感じだった。
「信者じゃない。いや、一人は信者に近いか……?」
「アンタ、本当にキモイね」
「…………」
返す言葉も浮かばず、睨むこともできず俺はコーヒーを啜った。
俺のキモさはさておき、一ノ瀬の気が変わる前にそろそろ本題に入らねば。
「一ノ瀬、田中に『他に好きな人ができた』って言われてフラれたんだってな」
「なっ」
俺のデリカシーの無い切り出し方に手を止めて固まる一ノ瀬。
耳にかけていた長髪が、スルリと重力に負けて
「その田中の言う『好きな人』ってのが
「…………だったら何よ」
「それが本当の理由だと思うか?」
「だってそう言われたし」
「一ノ瀬はそれを鵜呑みにしたのか? 他に何か理由があるとは考えなかったのか?」
「……」
「いいか?
「分かってるわよ! でも、他に理由なんて分からないし……」
「全く分からないのか?」
「わからないわよ! ……わからない、わ、よ……」
細長い先割れスプーンを持つ手がゆっくりと力なくテーブルに落ち、同時に一ノ瀬は
直後、テーブルに水滴が跳ね始めた。
――泣かせてしまった!
「ごめん、意地悪のつもりで訊いたんじゃないんだ。その……」
スプーンを持つ手で器用に眼を擦り、鼻をすする一ノ瀬。
おお……高飛車というか勝気な子を泣かせるのって、ちょっと興奮するかも。
俺最低かな、もしかして。
「じゃ何が言いたいの?」
マスカラが若干滲んでいる潤んだ目で俺を見つめる一ノ瀬に、俺は心を決めて話し始めることにした。
要領よく、順序良く、間違えるなよ、俺。
「まずは聞かせてくれ。一ノ瀬の為にならないから、嘘はつかないでくれよ」
「……わかった」
若干震える声でパフェを一口食べる一ノ瀬。泣きながら食うなよ。ってかちゃんと聞いてよ?
「田中と付き合い始めたのは今年の春だよな?」
「……なんで知ってるの?」
それは優秀な下僕がいるからですよ。
「田中と付き合い始めてから、変わったことはないか?」
「変わったこと……? どういう意味で?」
「主に、一ノ瀬が変わったこと。いつもやっていた事をやらなくなったとか、逆にやり始めたこととか」
わかりやすい誘導のつもりだが、プライドの高そうなコイツが答えてくれるかどうか……。
「ピアノをあまり練習しなくなった」
あっさり答えてくれた。
そう、それこそが今回の全ての根源だ。
「どうしてだ? 一ノ瀬はピアノで推薦取ってるんだよな?」
「そんなの、アンタには関係ないでしょ!」
生乾きの洗濯物でも見るような視線を俺に向けて、パフェに食らいつく一ノ瀬。
俺は平静を装いながら珈琲を一口。手が震えるのを何とか誤魔化せたかな。
「そうはいかない。言ったろ? 中途半端な関係じゃなくなるって。俺は一ノ瀬の為に全力を尽くす。だから、一ノ瀬もちゃんと答えてくれ」
「誰が、アンタなんかに」
「田中と、寄りを戻したいんだろ?」
「それは、そうだけど……」
俯く一ノ瀬の顔は完全に乙女のそれだった。
今のこいつからはスパナを振るう姿は想像できない。こっちの一ノ瀬が本性で合ってるんだよな?
「じゃ頼む。信用して話してくれ。必ず、力になるから」
「……分かった。その代わり、嘘だったら殺すからね」
「あ、ああ」
怖ッ……。殺りかねない目をしていやがる。
まあでも、きっと大丈夫だ。俺には情報がたくさんあるし、田中の真意も知っている。
それらは総じていい方向を示しているからな。
「ピアノは……本当は、もう弾きたくないの」
「どうしてだ?」
「一向に上手くならないから。どんなに練習しても所詮天才にはなれないって気づいたから」
半分程無くなったパフェを見つめる一ノ瀬は、見せたことのない
「それに、翔君は言ってくれたの。ピアノを辛そうに弾いている私を見て、『無理しないでね』って」
翔君……。
田中の名前が翔ってのは知ってはいるが……名前呼び、妬ましい、ちくしょうが!
「それでピアノを弾くのをやめたのか」
「やめてはいない。やめてしまったら私には何もなくなるから。でも、上手くいかないからやっていても虚しくなるだけ。最近はママが来る時以外は弾いてない」
これは知っている情報だった。
下僕である陽太から聞いてもいたし、つい先日田中からも耳に入ってきた情報だった。
さて。
舞台と状況は整った。情報量も十分だ。
あとは、俺の持って行き方次第だ。へまするなよ俺。
「天才だって、努力はしてるんだぞ?」
「はぁ?」
少し煽るような言い方に、早速気に入らない表情を突き返してくる一ノ瀬。
それでいい。乗ってこい。
「生まれ持った天才なんてのはほぼ存在しないんだよ。みんな努力はしているだろ」
「アンタに何が分かるの? 私がどれだけピアノを弾いたか知らないくせに!」
「もっと努力すれば天才にだってなれるさ」
「無理よ! それにピアノのことはアンタには関係ないでしょ! 首を突っ込まないで!」
「なれる。お前の母さんは世界的ピアニストなんだろ?」
俺のこの発言に、一ノ瀬はヒートアップした。
テーブルを叩き、声のトーンも数テンポ上がった。
「そうよ! ママは天才よ! その天才と一生比べられ続けて生きてきたのよ!? 天才の子だからって期待されて、落胆もされて生きてきたのよ!? 私は天才じゃない。それなのに、天才でなくてはならない私の気持ちなんて、アンタには分からないわよ!」
本気の憤りと思いをぶつけてきた。信用してくれてありがとう、あとは俺次第だ。
「訊き方を変える。一ノ瀬沙織と一ノ瀬陽子の違いはなんだと思う?」
「はぁ!? そんなの、天才かそうじゃないかで――」
俺は怒り心頭な一ノ瀬を宥めるように目を瞑って首を振り、言葉を制した。
「さっきも言ったが、生まれ持った天才なんて極々僅かだ。一ノ瀬の母親も天才だとは思うが、それは生まれ持った天才じゃない。ちゃんと努力をした上での天才だ」
「だから、それなら私も努力はしたわよ! なのに」
「違う」
俺は前のめりの一ノ瀬を見ながら敢えてゆっくりとコーヒーを一口飲んでから言葉を継ぐ。
「俺も天才になる為に努力をした側の人間だから言えるんだが、大切なのは単純な努力量じゃない」
「じゃ、何よ」
「努力の方向性だ」
「何よそれ」
少し表情のゆるんだ一ノ瀬は、腰を少し上げて椅子に座りなおした。
「天才と凡人の違いは、すべき努力の方向を知っているかどうかだ」
「……じゃ、私が間違った方向に努力してたって言うの?」
「正直に言って、ピアノに関しては俺はわからん」
「はぁ? ここまで来て分からないって、アンタ馬鹿なの?」
一ノ瀬は片眉を吊り上げてはいるが、俺の言葉をしっかりと聞いてくれる体勢だった。
「ただ、努力の方向さえ間違えなければ、実現できることがあると証明することはできる」
「……さっきから何が言いたいの?」
「俺が、一ノ瀬の努力の方向を示してあげられるってことだ」
「アンタが?」
「おう」
「私の努力の方向?」
「おう」
「ピアノの?」
「違う」
苦い顔を向けてくる一ノ瀬に、俺は精一杯の勇ましい顔を作ってこう言った。
「言ったろ? 俺は天才になる為に努力をした側の人間だって」
「……アンタが何の天才なのよ」
「ん? 恋愛マスターだけど?」
「……っはぁ!? キモッ」
顔を歪めて嘲笑う一ノ瀬。わかる、俺も俺を笑いたい。
自分で言ってて死ぬほど気持ち悪いって思うからな。
「だから証明してやるよ。俺が一ノ瀬の恋愛においての努力の方向を示してやる。そうすれば、田中と復縁できるはずだ」
「ふ……本当に?」
復縁、という言葉を出した瞬間にコロッと無垢な顔に切り替わった一ノ瀬。うーん、乙女ですね。
「ああ。俺は恋愛に関しては天才だ、何せ、マスターだからな!」
経験ゼロだけどな!
「だから、信じてくれ一ノ瀬。天才になるには、努力の方向を正しく知ることが必要ってことをだ。それを、まずは一ノ瀬の恋路で証明する。……いいか?」
「……わかった」
あっさりと返事をしてくれた一ノ瀬。とりあえずホッと一息だった。
「自称恋愛の天才とやらのお手並み、見せてもらうわ。その代わり、失敗したらその時は……そうね、今度は
ホッと一息は一瞬だった。怖い、絶対に失敗できない、今度は頭皮しっかり裂けちゃう。
とはいえ、まあ俺には武器がある。
陽太からの情報、田中の本心、そして母親の御節介。
必ず、一ノ瀬の想いを実らせてやろう。
んで、俺は何で憎き一ノ瀬の恋を成就させるために奮闘してるんだ?
自らの保身のためだったか? 顧問の言いつけだからか?
違う、そんな誤魔化しはもういい。
これは、
どうして
――
陽太はそう言った。
どんなに恨まれようとも暴行されようとも、
『僕、氷花くんのこと、好きだよ。もちろん、友達として』
俺の事を友達と言ってくれた
……きっかけはちょっとアレだったけどな。
とはいえだ。
マスターの次は天才ですか。
恋愛の天才とか自分で言う奴になりたくなんてなかった。
いくら目的のためとはいえ、これじゃ『真の恋愛』とか言いだす四ノ宮の事を馬鹿にできない。
四ノ宮――
――凛堂に『G線上のアリア』の良さについて訊いてきてくれ。
今頃、凛堂の熱弁を延々と聞いているであろう四ノ宮に心の中で手刀を切ってから、俺はもう一つ、一ノ瀬に言うことがあった。
「俺が一ノ瀬にいろいろとやってもらう前に、一つ約束があるんだが」
「何?」
残りのパフェ食べ始めた一ノ瀬に俺は一つ約束をさせた。
物憂げな表情のまま、一ノ瀬はそれを了承してくれた。
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