相談者「イチノセ サオリ」
コミュニケーション不足というのは、危険なものである。
それで人間関係が崩れるとかざらである。
……俺に大した人間関係無いだろ、ってツッコミはやめて頂きたい。
俺にだってあるもん。ほら、凛堂とか
片手で数えられるくらいしか居ない俺ですら、億劫がりな俺ですら、いかに意思疎通が大切かという事くらいは分かっているつもりだ。
その分かりやすい例を目の当たりにした俺が、最初に何を思ったかと言えば。
――妬ましい!!
これに尽きる。
もう本当、そういうの見えない所でひっそりとやってくれませんかね。
いい加減俺も当事者になりたいんですけども。まだですか、僕に訪れる予定の春は。
というわけで、俺が一ノ瀬に頭の皮膚をやられて保健室でヒィヒィ半べそをかき、保健室教諭の陽太に手当てを受けた後の五時限目の選択授業の音楽の時間に、俺は同じクラスの田中と話をした。
覚えているだろうか。ワイシャツを腕まくりして見える筋肉質な腕の、襟足のやたら長い田中だ。
一番最初の相談者が教室に現れた時に、俺を呼ぶ相談者を仲介したあの田中だ。
そして三年生の生徒の中で、俺が『恋愛マスター』であることを知っている数少ない奴だ。
……数少ない、よな?
話を聞いていき、分かったこと。
――田中が一ノ瀬を振った理由。
――そして
その全ては先にも言った『コミュニケーション不足』という単語に尽きる。
妬ましくて忌々しい。もうみんな勝手にしてくれって感じだ。
俺を巻き込まないでくれ。
いや、勝手に恋愛マスターとして出しゃばったのは俺だけど。自己矛盾甚だしくて自己嫌悪が募る。
それにしても、田中はマジで裏表なく何でも話してくれる奴だった。男らしくて良い奴だった。
普通、恋愛ごととか好きな奴の話とか、さらっと言えるもんかね?
人は見かけによらないんだな。俺も襟足伸ばそうかな。
ともあれ、田中と話してみて方向性は決まった。
それは恐らく一ノ瀬にとっては最も理想的で、俺にとって最も妬ましい展開になるだろう。
◆ ◆ ◆
その日の放課後、俺はいつも通りの足取りで音楽準備室に向かった。
しかしその頭の中は思考が
しかも今回は崩壊狙いのアドバイスではなく、情報や状況に基づいた正しい助言だ。
……俺、何がしたいんだろうね?
特にこれといって『困った子を見ると放っておけないのさ』みたいな某花輪君スタイルを持ち合わせている訳ではない。
差し当たり、このままだと俺が新たな暴行の標的で在り続けてしまうから、これはある意味自己保身のための行動だ。
痛みの残る前頭部を優しく撫でながら音楽準備室の扉を開けると、既に凛堂がいつもの定位置で読書をしていた。
「おっす、凛堂」
一瞬俺に目線をくれた凛堂が、いつもと同じくらい小さく頷いた。
隣に座った俺は、これから現れるであろう人物の事を思うとなんとなく落ち着かなく、傍にあった楽器を見て凛堂にこう問うた。
「凛堂、バイオリン弾けるのな」
「……」
相変わらずの無反応、ありがとうございます。
寧ろ無反応こそがいつも通りで安心するわ。負け惜しみじゃないぞ。
「何回か弾いてたろ? 上手だよな」
「……」
「ほら、あの曲、バッハだっけか」
「そう。管弦楽組曲第三番ニ長調BWV1068 第二曲エール」
「え、お、おう?」
正式名称か? G線上のアリアのことだよな?
「いい曲だよな。その、深いって言うか」
「わかる。本当はピアノ伴奏があるともっといい。約三百年前からバックは旋律に不協和音を用いていて、テンポアダージョで最大限の哀しみと不安を前半に漂わせるのも、後半に向けて穏やかな旋律になるのも、最終的に
火がついたように喋り倒す凛堂に圧倒され、俺は頷きマシーンと化した。
バック? アダージョ? ツェー?
音楽的内容はあまりよく分からないが、真剣な目を俺に向けている凛堂に気圧され続けてしまった。
その結果、
「おい! 無視すんな!」
ビクンと身体を揺らしてしまった。何とも情けない。
俺と凛堂が顔を向けた先には、なかなか進まない行列の最後尾にでもいるような顔の一ノ瀬沙織が居た。
「アンタ、こんなところに呼び出しておいて、そこの女といちゃついているところでも見せつけたかったわけ?」
腕を組んでビームでも飛び出しそうな強烈な視線を飛ばしてくる。
いちゃついてるって……。
「おう、一ノ瀬、いらっしゃい。来てくれてありがとう」
「……ふん。別にアンタの為に来たわけじゃない」
おお……おおおお!!
これこれ! これがツンデレのテンプレートですよ! 頬までちゃっかり赤くして!
分かったかい? 凛堂や、しっかり吸収して――
「んで、この子「誰?」」
誰、の部分で凛堂と一ノ瀬はシンクロした。
図的に、浮気現場に出くわした彼女と浮気相手両方の詰問のようだった。
……もちろんそんな経験があるわけないけどな。
俺が説明し倦ねていると、
「アタシはアンタと二人で話したいの。こんな暗そうなおさげちゃんに聞かれたくないし」
一ノ瀬は凛堂を指差して俺にムスッとした顔を向けた。
「マスター、この不躾な人、誰? 部外者なら出て行ってもらう」
凛堂も一ノ瀬を指差して俺にムスッとした顔を向けた。
……修羅場疑似体験?
冗談はとにかく、凛堂にいろいろと知られるのはあまりよろしくない。
ついこの前、「次からはちゃんと話すよ、助手だからな」と言った手前、新たな恋愛相談的な事案を凛堂に相談なく進めようとしていることを知られると、今度は凛堂の目からビームが発射されるかもしれない。
「えーと……凛堂、俺今日は先に帰るよ。ちょっとやることあるからさ」
取り急ぎ一ノ瀬と話をしなければならない俺は、音楽準備室を脱することにした。
俺は凛堂の疑いの
扉を閉めて、溜息を一つ。凛堂が追いかけてくる気配はなかった。
明日以降、音楽準備室に行くのがちょっぴり億劫だな、などと考えていると、
「んで、あの子誰なの? アンタの彼女?」
一ノ瀬が含み笑いを浮かべながら訊いてきた。
「違う」
「じゃ何? なんであんな部屋で二人で仲良く話してたわけ?」
仲良く? 見えたのか?
俺は凛堂のレアな止まらない熱弁を必死に咀嚼していただけなのだが。
「同じ部活ってだけだよ。さあ、いくぞ」
「行くって、だからどこによ! 変なところ連れて行ったら承知しないわよ!」
一ノ瀬の怒号を無視しつつ、俺は足早に校舎を出た。
なんだかんだで後ろを付いてくる一ノ瀬を時折確認しながら、向かう先はすぐ傍の喫茶店だった。
かつて俺が四ノ宮を口説き落とした、あのエクストリームなパフェのある喫茶店だ。
「何か頼むか? 何なら俺金出すぞ」
「っそ。じゃあコレ」
テーブルに肘をついたまま、全く遠慮する素振りもなくメニューの一つを指差した一ノ瀬。
指先に目を遣ると……。
「す、スペシャルエクストリームゴールデンパフェ……」
「そ」
「これ食べるの?」
「そ」
「食べられるの?」
「何? 悪い?」
「い、いえ……」
嘘だろ……もう軽々しく「出すよ」って言うのやめよう。
やってきた店員に先程の巨大パフェ (千九百八十円)と自身のブレンドコーヒー (一杯三百八十円)を注文したところで、問題が発生した。
「あ! 冬根君! 奇遇ね!」
大きな声を出して近づいてくる小さなポニテ女子。
四ノ宮と鉢合わせてしまった。
「と、あなたは一ノ瀬さん、よね?」
「……そうだけど。アンタ誰?」
頬杖をついたまま、ギロリと四ノ宮を睨む一ノ瀬。
それに全く怯まず、それどころか目を爛々とさせていく四ノ宮。
「もしかして! もしかして!」
そう言いながら強引に俺の座っている側の横長の座席に座ってきた。四ノ宮のアイスホッケーのチェックのような横体当たりに俺は席を詰めざるを得ない
「恋愛相談かしら! そう!? そうなの!? ねえ冬根君!」
興奮する四ノ宮は俺に極限まで顔を寄せてきた。近い、荒い鼻息がくすぐったい。
「いや、まあ、その……」
「そうなのね! あは!」
四ノ宮は淑やかな胸の前で手を叩き、満面の笑みを一ノ瀬に向けた。
あは! じゃなくてさ。
「一ノ瀬さん、冬根君と私が居るからにはもう大丈夫よ! きっとあなたを真実の愛へと導くきっかけになってあげられるわ!」
対して一ノ瀬は怪訝な顔で口をポッカリ開け、俺に目線を向けたと思うと、そのまま「コイツ、何なの」とでも言いたげに四ノ宮に指を指している。
もう本当、
誰だよ、こんな奴引き込んだの。俺か。
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