形式上の部活「チョコレート部」
三時限目、最も眠くなると噂の日本史の授業中、俺は一枚の紙切れを改めて見つめていた。
『昨日はありがとう。借りた服は洗濯して返します。これからも氷花くんのことをもっと近くで見て知って、男を学びたいです。また、学校でね』
どう見ても女の子の文字のこのメモは、今朝俺の部屋の机に置いてあったものだ。
いやね、俺も一応中学校は男子校でね。可愛い男の子ってのも見てきたさ。
働きアリの割合の話じゃないけど、こう一つの場所に男があれだけ集められれば、その中には男らしい男、女の子っぽい男ってのがいるものなのだよね。
しかし、
女の子っぽい男、ではない。モロ『女の子』だ。いや男なんだけど。
卑怯なほど仕草も顔も女の子で、なんなら女の子よりも女の子らしい。
だけど、男ということだった。マジかよ。
男子校時代、俺は直接関わったことはないが、中には男同士でくっつく奴らもいた。それは事実として認めよう。
だがどうだ? ここは共学校で、もちろん俺に
あれだけ踊っていた心臓も、煩悩やリビドーと戦っていた俺の脳味噌も、それは男相手だったというわけだ。
興奮してホッとして、ガッカリしてメソメソして、俺の感情の峠はこれ以上ないくらいに激しい高低差とヘアピンカーブを辿った。
まあ分かっていましたけどね。俺に都合よく青春なんて訪れないなんてことは。
なんせ、俺『恋愛マスター』ですから。
普通そんなこと自ら
◆ ◆ ◆
まあいいさ。
基本俺は嫌なことはすぐに忘れることのできる都合のいい人間だ。
同学年とはいえ、
放課後、音楽準備室に向かう道すがら、廊下の窓から見える中庭でどこかの運動部がトレーニングをしている様が見えた。
ブルーのジャージ姿の集団を見ると、どうしても
駄目だ駄目だ、早く忘れよう。俺は目を閉じて頭を振った。
完全に手続き記憶と化している放課後の俺の音楽準備室への訪問だが、今日ほど驚いた日はないだろう。
侵入した音楽準備室には、凛堂の隣である俺の定位置に座る、ジャージ姿の
ニッコリと微笑む
「氷花くん、今朝はごめんね、僕、先に出ちゃって。メモ、見てくれたかな?」
げ、幻覚が喋った!?
俺は再度、目を閉じて頭をぶんぶんと振ったが、
凛堂も珍しく、目線が本ではなく俺に向いている。いや、目は開いてないけど。
「どうしたの? 氷花くん、頭でも痛いの?」
頭は今朝からずっと痛いさ。少なからず淡い思いを抱いてしまった相手が、俺と同じ男の子だったんだから。
小首を傾げる
うん、もう分かってるけど、幻覚と違うね。本人だね。
しかし解せないのは凛堂だ。コイツなら、相談者以外の
その疑問は、すぐに解消される事となる。
「メモは見たよ。別に洗濯しなくても、そのまま置いて行ってよかったんだけども」
「えー、そんな訳にはいかないよ。僕もほら、一応男の子だし、寝汗だってかいちゃったしさ」
グッサリ。
ちなみに
それはいいとして。
「ところでさ、どうしてここにいるんだい、さくら」
俺の『さくら』呼びに、凛堂はピクッと僅かに動いた。
普通なら気付かないくらいの小さな挙動も、まあまあ一緒に過ごしている俺なら見逃さない。
ってか何に驚いたんだよ。下の名前呼びか? 名前の女らしさか?
「うん。僕ね、氷花くんと同じ部活に入ったんだ! えへへ……」
えーと……うん、チョットヨク分カラナイ。
「ここの部長さんに、もう入部届も出したんだぁ。バドミントン部は退部してきたよ。えへへ、これでたくさん一緒に居られるねっ」
「入部届って……何部の?」
「え? チョコレート部って言うんでしょ? 部長さんはそう言ってたし、届にそう書いたけども……」
「ここが何する部活かちゃんと聞いたのか?」
「うーん、よく分からないし聞いてないけど、でも氷花くんも所属しているんでしょ? そしたらやっぱり僕も入らなきゃ。できるだけ、氷花くんを見ていたいし……」
……言葉自体は憧れを慕う可愛げな女の子のそれだ。
が。
いや女の子だったとしてもちょっと怖いな。
「さくら、そんなことでバドミントン辞めちゃっていいのか? 折角続けてたんだろ?」
「いいの。だって僕がバドミントンやってたのも、そもそも男らしくなりたかったのが理由だし。恋愛マスターさんと一緒に居られるなら、そっちを優先するのが当たり前だよ」
……めちゃくちゃ可愛い笑顔で言ってますけど、意味不明な事言ってるの気付いてます?
俺がしてしまっているであろう困惑顔に気付いてか、ここで凛堂が口を開いた。
「
「いや駄目ではないけどさ……」
「氷花くん、迷惑だった……?」
その上目遣いをやめろ、上目遣いを。
一緒に居る時間が増えて、男なのにいちいち可愛くて翻弄されてしまうであろうことを想定すれば、迷惑には違いない。
俺の望む正しき青春からはどんどん離れる気がするからな。
まあ、しかし――
「もちろん、歓迎だよ。ただ、ここ狭いし埃っぽいけどね」
――俺は恋愛マスターだ。(号泣)
多少の器量も備えていなければマスターとは呼べないだろう? ははっ。
「えへへ。確かにちょっと狭いかも? とりあえず僕、空き教室から椅子もう一つ持ってくるね」
ちょっぴり照れた顔をしながら髪を摘まんでそう言った
残された俺は、クッと凛堂に目を遣る。相変わらずの無表情で無開眼で無言で本を読んでいた。
「なあ、凛堂」
「何」
「アイツ、その、男の子だよね」
「そう」
「でも、めちゃくちゃ可愛いよな」
「……」
俺がそう言うと、凛堂はゆっくりと本を閉じて、部屋の真ん中に立ち尽くす俺に目線をくれた。
そして、少しだけ目が開いた。久しぶりに見たな、その綺麗な碧眼。
「マスターは……その」
「?」
驚くことに、凛堂は徐々に顔を赤らめて、自分の右側のおさげを両手で弄りながら言葉を継いだ。
「マスターは、あのくらいの髪の長さが好み?」
長い睫毛をぱちくりさせて少し俯く凛堂。
「いや、好みって言うか……個人的には凛堂くらいの長さがちょうどいいかなぁ、なんて」
あははは、と続けた俺はどうしようもなく三枚目チックで、これなら路上のナンパ野郎のほうがもう少しいい感じの謳い文句が出せるだろうなと羞恥心が倍増した。
とは裏腹に、さらに顔を伏せて「そう」とだけ言った凛堂を見て俺も顔が熱くなった。きっと、真っ赤だ。
何だこれ。なんて歪んだラブコメだよ。
でももし、俺が欲しかった『青春』を体験することができるなら、やりたくもないのにやらざるを得ない恋愛マスターと強引で無表情な助手、そんな偏屈な関係もありなのかもね。
「冬根くん!! いえ、冬根マスター!! いるかしらッ」
俺たちの珍しい雰囲気を、扉の激しい金属音を伴ってぶち壊したのは、ポニテ貧乳メガネの四ノ宮だった。
「今日も真の恋愛の為、邁進しているかしら? 私にも手伝えることがあったら、いつでも言ってね!」
控えめな胸に手を当てて、まるで国歌を斉唱する日本代表のように上向き気味に目を閉じている四ノ宮。
「部外者は、出て行って」
それを冷たくあしらう凛堂。すっかり顔色や表情などは元通りだった。
「なっ! まだ言うのね、一年のくせに! 私も冬根君と志を共にすると言う意味では、部外者ではないのよ!」
「部員以外は部外者」
「くっ……なら私も入りたいわ! 何部なの? ここは」
「部外者には教えられない」
「何ですって! だからこれから同じ部員になって部外者じゃなくなるのよ!」
「生徒会で忙しいでしょ」
「むむむ……そうだけど、私くらいになれば生徒会と部活の両立だってきっと!」
四ノ宮と凛堂の軽跳躍のような口論も聞き慣れたもんだった。こんなもの慣れても仕方がないんだけど。
また始まったな、と心の中で呟いてから俺は先程まで
「ただいまー、ってどうしたの? 何かあったの? 僕お邪魔だったかな」
そこに小さなパイプ椅子を携えた
四ノ宮の目線と指先が
「ほら! このジャージの子だって入ってきてるじゃない!」
「その人は部員。関係者」
「はー? なんで私より先に部員になってるのよ! ずるいわ!」
「え、えーと、僕、何かまずかった?」
「あなた
「えーと、チョコレート部、だけど」
「はぁ? なによその美味しそうな……じゃなくてふざけた部活は! そんなわけないじゃない!」
「あ、はは、でも本当にチョコレート部、なんだよ。僕もちょっとびっくりしたんだけどね」
「そ、そうなの? それじゃ私も、そのチョコレート部に入るわ! いいでしょ?」
「駄目。あなたはマスターの妨げになりそう。部外者は出て行って」
「どうしてよ!」
相変わらずの不毛な口論を続ける凛堂と四ノ宮の
勿論のこと楽器の棚が有るため非常に狭く、俺と
そんな心の叫びを俺があげていると、
「何か、賑やかで楽しいね。青春って感じがする」
そうかもしれない。
もしかしたら、こんな日常も、青春と呼べるのかもしれない。
恋愛マスターなる小恥ずかしい称号で存在していることも。
無口で無表情でたまにドキッとするクールビューティおさげ女子が助手なのも。
歯が浮いて吹っ飛んでいきそうなセリフと信念を持つポニテ貧乳メガネ女子に慕われているのも。
どう見ても女の子な可愛すぎる若干メンヘラなショートカットの男にくっつかれているのも。
それに俺を監視する彩乃に、絶対的有能な隠密の凛堂の兄陽太を加えてもいい。
知らぬ間に俺は、俺の望んでいた状況を手にしているのかもしれない。
だってそうだろ?
当初の俺と言ったら、誰と話すこともなく、女子とは関わりすらなく、寂しげにひっそりと高校生活を過ごしていくだけの人間だった。
ただ甘酸っぱい青春に羨望を抱くだけの、根暗で卑屈な男だった。
それが今や、理由はいろいろとアレなれど、俺の元に集まっている人たちがいる。
想像していたものと比べれば、ちょっと、かなり、歪んでいる気はするが……こんな日々も、もしかしたら悪くはないのかもしれない――――
突然ギリリと開かれる音楽準備室の扉。
「失礼しまーす……あのぅ、恋愛マスターさんが居るって聞いて来たんですけどぉ……」
「…………」
――――
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