オウガ・ボーダーライン ー僕と彼女の殺人考察ー

光闇 游

前編




0.


 喩えるなら、それは自然災害にあったような感じ。

 右を向いたか、左を向いたか、後ろを見たか、それとも見なかったのか。ただそれだけの違いによって発生する。


 そう、僕は自然災害の被害者となった。


「な……」

 僕にもたれかかるようにして、小さな人影がそこにいた。

 視線だけを下へとやれば、それは自分よりも頭一つ分、身長が低い。染めているのか地毛なのか、長いくすんだ銀色をした髪を後ろで一つに括っているのが見える。

 いや、まぁ、それぐらいなら問題はなく。

 問題なのは、胸が焼けるように痛いこと。

「……ん…だ、これ……?」

 どくどく、と。

 胸から何かが流れていく感覚がする。

 あぁ、なんだか、頭が真っ白になってきた。

 と、顔を伏せていたその影がゆっくりとこちらを見上げてくる。

 少年のような、少女のような、やけに奇麗な顔立ちだった。長く伸ばされている前髪から見える、薄めの赤色をした瞳が印象的で。

 そしてその顔は、ニヤリと嫌な笑みを、浮かべる。

「おめでとぅ……お前は記念すべき、1人目だ」

 やけに澄んだ声が聞こえてきた、その頃になってやっと、僕の胸に刺さっているのが、銀色をした、そして赤く染まり始めている刃物だということを知った。


 ――連続通り魔事件。

 そういやここ最近、ニュースでそんな名詞をよく聞いていたっけ、と今更のように思い出した。


 僕はその日、初めて死んだ。



1.


 幼い頃からよく同じ夢を見た。

 水の中、僕の体はどこまでも深く沈んでいく。

 いや、本当に沈んでいるのだろうか? それとも水面に浮上していっているのだろうか? そんなことを考えている間に景色は変わって、どこか知らない真っ白な空間に放り出される。

 そして、目が覚める。

 今回も。

「……あ?」

 やけに背中が固いと感じ、重い瞼を無理やりこじ開けてみれば、黒い画用紙の中に白く切り取ったような曇り空が見えた。

「えー……あー……?」

 背中がひんやりと冷たい。ゆっくりと体を起してみれば、そこがどこかの路地裏らしいことが判明した。

 僕が寝ていたのはアスファルトの上。なるほど、背中が痛いわけである。辺りを見渡せば黒く見える高い建物の壁が両側にあり、さらにその奥には塀。いわゆる、袋小路である。

「あー……うー……えーと……?」

 うーん、とりあえず落ち着こうか。

 多少行儀が悪いが、僕はそのままアスファルトの上に胡座をかいて腕を組む。うむ、いい具合に頭が混乱している。整頓するにもどこから手をつけたらいいのかわからない。とりあえず、今日一日の記憶を振り返ってみようか。確か、軽い散歩のつもりで歩いていたら、この路地裏にうずくまっている銀髪の子供を見つけて……

 とその時、ふいに背後から声がした。

「へぇ、こいつは驚きだぁ」

 素っ頓狂な声、とでも言おうか。

 振り返れば、袋小路の奥。塀の上に、黒い人影が器用に立っているのに気がついた。

「えーと、どちら様?」

「おいおい、オレを忘れたのかよ。酷いなぁ、せっかくお前の死に際に立ち会ってやった、てぇのにさぁ」

「はい?」

 今、僕の死に様とか言わなかった?

 しかし塀の上の子供(見た目は僕より年下っぽい)は、そんな僕の様子なんて気にした様子もなく、ただ愉快そうに笑い声を上げる。

「あっはっは! ちゃんと会話できんじゃん。すげぇなお前!」

「え……いや、えっと?」

「今まで散々人を殺しかけてきたけどさぁ、殺した奴と会話をするなんて、そうそうにない事例だよな。いやぁ、いい体験させてくれてありがとな」

「へ? あ? 殺し……?」

 その時になってようやく、何だか自分の服がやけに肌にべたつくことに気がついた。視線を落として、自分を見下ろして……目を疑う。

 なぜなら、白かったはずのシャツの胸元が真っ赤に染まっていたからだ。

「う、うわぁっ?!」

「いいねぇ、その反応! 気にいったよ、お前」

 すたっと、塀から跳躍してアスファルトへと降り立つ。そいつはコツコツと小さな靴音を立てながら僕の前へとやってくると、上体を倒して僕へと顔を近づける。

 やけに奇麗な顔だなぁ、と場違いなことを考えてしまった。

「よっし、これも何かの縁だ。オレが殺して、お前が殺されて生き返った記念に、デートしようじゃねぇか」


 笑顔で。

 そいつ――解き放たれた自然災害にして、鬼になりきれない殺人鬼もどき――サキは、そうのたまった。


×××


 京都と言えば。

 一、誰もが知っているような寺とか神社とかがある。

 二、日本という国の中では結構有名な観光地である。

 三、それぞれの名所に負けないぐらい伝統が数多く残っている。

 四、よく学生達の修学旅行の目的地となる。

 そして。

 五、しかし地元民は京都観光なんて滅多にしないから、京都のことを尋ねられても案外答えられないことが多い。


 と、どこかでそんなデータを見た覚えがある。

 事実、僕は京都に長年住んでいるにも関わらず、かの有名な清水寺や金閣寺にさえ行ったことがない人間だ。行ったことがあるといえば、地元のやたらと階段が長い神社ぐらいである。

 案外、似たような境遇の人は結構いたりするんじゃないだろうか。自分が住んでいる場所ほど、知らないことはないのだと。

 自分が住んでいるこの町に、殺人鬼もどきが入り込んでいることなんて知らなかったのと、同じように。


『連続通り魔事件』。

 正しくは、『京都連続通り魔事件』というのが世間から与えられた名称である。「京都」と限定して括られているのは訳があり、京都府北部をスタートとして、南部へ向かって点々と町を渡り歩いては人を襲い、その罪を重くしていっているからだ。

 おかげで、京都でも南部の位置に値するこの田舎町は、ゴールデンウィーク二日目だというのにやけに人通りが少なかった。皆それぞれ家に閉じこもっているのだろうか、普段なら連休と限らずはしゃぎまわっているはずの子供の姿さえ全く見当たらない。

 そんな中、僕こと『うぐいす スグル』は、特に連休中の予定もなく家の中でだらだらと過ごすのもどうかと思い、穏やかな昼下がりに町をぶらつくため出かけたのだった。


 確かに、危機感というものが欠けていた、と自分でも思う。

 だが、しかし。まさか、こんなところに来るとは、誰が思うだろう。

 京都の中でも田舎と分類されるこの町に、殺人鬼が白昼堂々と紛れこむなんて。


「えっと……デート?」

「そっ、デートだ」

 自信満々に、そいつは言い放った。

 けれど僕は首を横に振る。

「いや……僕、男とデートするような趣味は持合せてないから……」

「んん? あぁ、心配すんな。オレは見た目こんなんだけど、身体的には立派な女の子だから」

「へ?」

 改めて、自分より頭一つ分小さいその姿を見下ろす。

 首の後ろで一つに括られた、暗がりの中でもわかるくすんだ銀髪と、薄めの赤色をした瞳。黒い半袖シャツと、黒い半袖のパーカー。腰にはやけに大きいウェストバッグが装着されていて、おそらく男性用である大きめの白いラインが入ったズボンは足首の辺りで縛ってある。靴は、いわゆるショートブーツというやつだろうか。ファッションには疎い方なのでよくわからない。

 失礼ではあるだろうが、一見しただけでは女の子だと判断することができなかった。確かに顔は良い方だと思うのだが、口調といい態度といい、とりあえず男勝りであるのには違いない。

 しかも一人称が「オレ」って……『オレっ娘』って、まだこの時代に生き残って、いや、そもそも存在していたのか。てっきりアニメ世界の中だけだと思っていた。

「大丈夫だ。今時、貧乳はステータスだ」

「いいのかそれで?!」

「なんだぁ、疑ってんのか。脱ごうか?」

「いえ、結構です!」

「えーなんだよぉ、ぺったんこだと興味が湧かないってか?」

「恥じらいを持てよ!」

 少年……否、少女はけらけらと愉快そうに笑っている。本当に気にしていないらしい。はぁ、と僕は溜め息を吐いた。

 と、ふと目の前の彼女の腰に、ウェストバッグから吊られているものに目が止まった。

「君、それ……」

「んん? あぁ、これか。これはオレの愛用品だよ。さっきお前を殺した時にも使ったんだぜ」

 それ何? と聞く前に彼女はそう答え、ウェストバッグにぶら下がっているホルスターから、何の躊躇いもなく刀身を抜き取った。

 見た目はナイフ、だった。小さいがその刃は日陰の中でも輝いて見え、よほど丁寧に手入れがされているのがわかる。しかし、明らかにその刃渡りの長さでは日本の法の下では罰せられるだろう、という代物でもあった。

「ダガーだよ。それとも短剣って言った方がわかりやすいか? こいつは小さすぎて致命傷を与えるのは難しいが、オレみてぇな奴だと人間の急所ってところを熟知しているから、こんなんでも人間は殺せる。で、オレはこいつを使ってお前を殺したってぇわけだ」

 ニッと、無邪気な笑みを浮かべている。

 それに比べ、僕は自分でもわかるぐらいの怪訝な表情でもって返事をした。

「殺したって……僕は生きているじゃないか。君が殺したっていうのなら、なんで僕は……」

「そっ、まさにそこなんだ」

 待ってました、とばかりに言葉を遮られた。少女は腰を折って僕と視線の位置を同じにする。赤みを帯びた瞳が愉快そうに細められている。

「オレは確かにお前を殺したんだ。なのに、どうしてお前は生きている?」

 彼女は問いかける。

 が、その質問に僕が答えられるわけがない。なぜなら、僕自身は自分が死んでいたのかわからないのだから。

 それでも、彼女は心底不思議そうに言うのだ。

「手ごたえはあった。お前の生命器官が全て止まるのもこの目で見た。てぇのに、お前はこうしてオレと対峙し、話をし、生きている……これはもう異常なんだよ」

 この意味がわかるか。

 そんなことを言い切られてしまった。彼女に見つめられ、僕は言葉を失くし、そっと胸元に手をやる。まだ服は少し湿っている。嗅覚が麻痺しているのか、咽るような血の臭いに慣れている自分に気がついた。けれど、彼女が突き刺したという心臓付近に傷は一切見当たらない。痛みすらもない。

 ただ僕が横たわっていた場所と服だけが、赤く染まっているだけで。


 と、その時。

「……ちっ。降ってきやがったか」

 彼女が空を見上げる。

 つられて見上げれば、ぽつりぽつりと切り取られた空から雫が降ってきていた。雨だと認識すると共に、今朝ラジオで聞いた天気予報を思い出す。確か、夕方から雨が降り始めるという話だったか。だから夕方になるまでに家に帰ろうと、そんなことを僕は思いながら家を出たはずだった。

 ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。表面にこそ少々の血がこびりついていたが壊れてはいないのを確認し、画面を表示させて時計を確かめる。僕の記憶に残っている最後の時間帯は、15時。しかし表示された数字はなんと17時25分だった。軽く計算してみれば、僕は2時間半近くもこの路地で寝そべっていたということになる。

 あぁ、どうりで体があちこち痛いはずだ。

「あぁ、くそ。まだ今日の宿も決めてないってのによぉ」

 彼女はそんなことをぶつぶつと言いながら、がしがしと頭を掻く。せっかくの銀髪がぐしゃぐしゃだ。

 そんな彼女の様子を見ながら、僕はふと思いついたことを口にした。

「宿って……君、泊まるところがないの?」

「あ? だってオレは鬼だぜ? 『殺人鬼』なんだぜ? といっても、まだ一人も殺せてねぇから、『鬼もどき』だけどな……一箇所に留まっているわけじゃないし、オレにとって人間は『殺し』の対象だ。誰がこんな危険人物、家に上げようと思うかよ」

「……」

 どうにも、この少女は自分を人間外だと定義したがるらしい。いや、そもそも彼女を人間だと思うのが間違いなのだろうか?

 殺人鬼。

 殺人をする鬼。

 人を殺すことができる鬼。

「いや……まさか」

 彼女は僕を殺したという。けれど僕はまだ生きている。それが意味することを、僕はまだわかっていない。一度どこかで落ち着いて、改めて頭の中を整理する必要がある。

 そのためには……僕は何を思ったのか、まるで昔からの友達であるかのように、彼女に口走ったのだ。

「えっと……良ければ、僕の家に来る?」

「へ?」

 彼女がまぬけな声を発した。呆気にとられたように、目を見開いて僕を見つめる。よほど予想外だったのだろう。それもそうか、と僕は自分自身に呆れつつも、そのまま続けた。

「今日は僕以外、家に誰もいないからさ。えっと、女の子を雨の中放っておくわけにもいかないし……あ、僕の名前はスグルっていうんだ。『鶯 スグル』。君は?」

「オレは……」

 人は、名乗り合うことでお互いの存在を認識しあう。

 しかし彼女は違った。


「オレには名前がないんだ。好きに呼んでくれ」



2.


「へぇ、結構いい部屋持ってんだな」

 感心したように、頭からバスタオルを被っている彼女は珍しそうに辺りを見渡した。「そりゃどうも」と返して、僕はその場に彼女を座らせる。

 ちなみに彼女には今、サイズが大きくぶかぶかではあるが僕の服を着てもらっていた。というのも、それには訳があり。

「で、君。何日風呂に入ってなかったって?」

「あぁー? えっと、施設を出たのが一カ月前だったから、えーと……」


 ここで少し話を遡ろう。

 あの路地裏を抜け出して(その際、血だらけだと通報されると思い彼女にパーカーを借りた)、家に着いた頃にはずぶ濡れだった僕は、同じくずぶ濡れの彼女に着替えの服を渡し、シャワーを勧めた。

 だが、彼女は途端に嫌な顔をしたのだった。

「えぇー、面倒だから、いいや」

「面倒って……」

 そこで僕は思い当たる。そういえば彼女は帰る場所がないと言っていたではないか、と。

「えっと……つかぬことを聞くけど、君、普段は風呂とかどうしてるの?」

「んん? さっきの雨で結構汚れは落ちたと思うぞ?」

 その言葉を聞いた直後、彼女を問答無用で風呂場へと押し込む僕がいた。


「いやぁ、久しぶりに風呂入ると気持ちいいな」

「シャワーだけだったけどね。おかげでこっちが風邪をひきそうだよ、サキ」

 彼女の髪をわしゃわしゃと拭いてやっている僕は未だにずぶ濡れのままなのだった。わしゃわしゃと拭いてやっている彼女の髪色が、風呂に入る前より輝いているように見えるのは、深く考えないようにしておこう。

 ちなみに、『サキ』というのは僕が彼女につけたニックネームである。家に帰る途中、名前がないと言った彼女に、僕がそう命名してやったのだった。

 というのも、試しに「ニックネームでもいいから何かないのか?」と訊ねてみたところ、彼女は「んー……じゃぁ殺人鬼の『さっちゃん』で」と、さもどうでもいいように答えたのだ。それはあんまりだ、という僕の判断により、それならせめて『サキ』にしてくれという話になった。彼女はどうでもいいような様子で、それでいいと了承してくれたというわけである。

「ところでさぁスグル。お前、この家に一人で暮らしてるわけ?」

「いやいや、さすがにこんな一軒家に一人で暮らせるほど金持ちじゃないから」

 とんでもない話である。慌てて両手を横に振る。

「ちゃんと親は健在だよ。ただ、このゴールデンウィーク中は両親とも旅行中だし、兄貴は去年の春から上京して家を出て行ったから、今日は一人なだけだ」

「へぇ、なるほど……そっか、今世間では噂に聞く『黄金に輝く連休中』なのか」

 いや、なぜに和訳する必要がある?

 そんな疑問はさておき、ひとまず彼女は納得したようで何度か頷いてくれた。ここは誤解が解けたということで良しとしておこう。細かいボケを拾っていると後々疲れてきそうだし、うん。

 ともかく、と僕は話をむりやり本題へと持っていくことにした。彼女をそこに座らせたまま、僕は床を濡らさないように気をつけながらなんとかその場に座って彼女と視線の高さを同じにする。

「今日はうちで泊まるとして、これから君はどうするの? 本当に君が『通り魔』だというのなら……」

「オレはちゃんとした『殺人鬼もどき』だよ、スグル。んー……これからどうするかは考え中。なんせお前はオレを知っちまったわけだからなぁ……」

 腕を組み、眉をひそめて悩み出す彼女。

 いや、そんなに悩まれても、こっちが困るんだけど。

 彼女はそのまま一人でぶつぶつと何かを呟き、やがて考えがまとまったのかポンッと手を打った。

「そうだなぁ、やっぱその方がいいかぁ……暫くはお前の側にいようかなぁ」

「……はい?」

 思わず聞き返してしまった。

 今、彼女はなんと言った?

「だからお前の側にいようかなってさ。今は連休中で、親も旅行中なんだろ? じゃぁ、問題ねぇじゃんか」

 にんまりと良い笑顔を見せる彼女。名案だとでも言いたげである。

 対する僕は軽く眩暈を覚えた。

 確かに両親は連休明けに帰ってくるという話だったし、兄貴は仕事が忙しいらしく帰ってこないと聞いた。つまり、あと3日の間はこの家にいるのは僕だけということになる。まさか、その3日間の間、こいつはこの家に居座るというのだろうか。

「そのまさかだよ」

「心を読まれた?!」

「ふっふっふ、なめてもらっちゃぁ困るんだぜ、スグルん」

 なんだか可愛く名前を呼ばれてしまった。

 なんだよ『スグルん』って。

 いや、確かに小学生の頃とかそんな風に呼ばれていたような気がしなくもないけれど。しなくもないけれども!

「まぁ安心しろって。やましいことはあるにしても怪しいことはしねぇって」

「やましいことはするのか?!」

 再度、とんでもない話である。

 彼女は「あっはっはっ!」なんて豪快に笑ってから、付け足すように続けた。

「ちょいと確かめてぇことがあんだよ」

「確かめたい、こと?」

「あぁ。たぶんすぐに決着がつくだろうし、それ以上は長居するつもりはねぇから、とりあえず心配しなくていいぞ」

 なんて。

 簡単に言われてしまったのだが、しかし、果たして、『確かめたいこと』とは何なのだろうか。心配しなくていいだなんて、ますます心配するようなことを言いやがって。

 そう思っていると、どうやら顔に出てしまっていたらしい。彼女はニヤリと笑い、挑発するように僕を見た。

「なぁ、スグル。お前、自分がどんな存在か、知ってるか?」

「え? どんなって……」

 鶯 スグル。

 高校生。

 一般男子。

 鶯家の次男。

 ただそれだけの存在じゃないか。

「どんなって……どんなだよ?」

「オレは知ってるぜ。なんせ、オレがお前を殺したんだもんなぁ……お前は『死ねない存在』だ。『発生した自然現象』にして、『語り継がれた伝説の再現』。それが、お前だ」

 彼女はそう断言する。僕の反論など意味がない、とでも言うかのように。

 けれど、もちろん僕が反論しないわけがなかった。

「何のことだかまったくわからないよ……僕が、伝説? なんの冗談だよ」

「冗談なんかじゃぁないね。実際にオレはお前が生き返るところを見ているし、お前が世界にとって一歩間違えれば危なくなる存在だってことも理解した。このオレが言うんだぜ? お前を殺した張本人である、『殺人鬼もどき』であり『歩く自然災害』であるオレがさぁ」

 長い前髪の間から、赤い瞳が鋭く細められるのが見えた。

 僕は何のことだかわからず、言葉に詰まる。彼女はそれを見通していたかのように、一人で言葉を続けた。

「お前は別に不老不死というわけじゃぁ、ない。いや、不老不死なんて、そんな言葉じゃ足りねぇぐらいだ。なにせ、お前はちゃんと歳を取るし、死ぬ事もできる。けど、死にきれない。なぜならお前は死んでもすぐに蘇る。何の仲介もなく、何の助けもなく、そのたった一つの体の中だけで輪廻を構成してしまっている」

 僕は思わず自分の胸へと手をやった。

 おそらく僕のものであろう血で、染まってしまった服。

「それはもはや神の業、いや神以上の業なのかもなぁ。そういう存在は時代によっては神話として、伝説として、怪奇として語り継がれる対象となる」

 反応を伺うように、彼女の瞳がじっと僕を見詰める。

 その視線は確実に僕の不安を煽っていた。まるで理解できないことを、無理にでも理解させるような。

「わかるか? お前は現在、最も世界の核心に近い存在なんだ。そんな存在……そんな、脅威。世界そのものが放っておくと思うか? いや、放っておくわけねぇよなぁ」

 けらけら、と彼女は笑う。とても面白いものを目の前にしているかのようだ。

 その対象が僕であるのだから性質が悪い。だから僕は戸惑いながらも反論に出た。

「脅威、だなんて……僕はそんな大それた人間じゃないよ。人違いじゃないのか?」

「いや、お前だよ。じゃないと、オレを前にして生きていられるはずがねぇんだ」

 そんな自信がどこから湧いてくるのか。

 一度僕を殺したその殺人鬼もどきは、とても嫌な笑みを浮かべて断言した。


「お前は今にきっと、世界によって殺される」


 それは予言だった。

 預言ではなく。ましてや予報でもなく。

「……えーと」

 うーん、何と返せばいいのやら。

 そう悩んでいる間にも、彼女はけらけらと楽しそうに笑っているのだった。よく考えれば不謹慎極まりない。彼女は人の不幸を楽しんで居るのだ。

 悩んだ挙句、僕は「とぉ」と声に出しながら彼女の頭にチョップをしておいた。

「いてぇよスグルん。レディには優しくしなきゃ駄目だろ」

「あー、そういや君、女の子だったね」

「どうせオレはぺったんこだよぅ。悪かったな」

 むすっと彼女は頬を膨らませる。あれ、もしかして気にしてる? あまりにも平然と自分で「ぺったんこ」なんて言うものだから、てっきり……あぁ、でも確かに膨れている彼女はどことなく可愛いのかもしれないな、うん。

 そんなことを思っていると、気がつけば頭にタオルを乗せたまま彼女は船をこくりこくりと漕ぎ始めていた。

「あれ、サキ? もしかして眠いの?」

「んんー……久しぶりに人といっぱい喋ったから、疲れた……おやすみぃ……」

「え? ちょ、サキ」

 と呼びかけるのも虚しく、彼女はこてんとその場で横になると、本当に瞼を閉じてしまった。すぐ側にベッドがあるにもかかわらず床で、である。試しに彼女の肩を叩いてみたが、反応はない。仕方なく彼女をなんとか抱かかえてベッドの上に寝転がしておいた。

「……うーん……」

 さて、困ったな。僕は今夜どこで寝ればいいのやら。

 ともかく僕は彼女を起さないようにそっとタンスから着替えの服を取り出し、風呂場へと向かった。


 血でべとつく服を脱いで、改めて自分の体を見下ろす。

 やはり、どこにも傷は見当たらない。というか、自分の上半身が真っ赤になっているのって、こうして見ると思っていたよりも気持ちが悪いなぁ。

 とりあえずシャワーを浴びることにして、血にまみれた服の処分を考えることにした。まさかこのまま放置しておくわけにはいかない。といっても、このままゴミとして捨てるのも、ご近所の皆さんにいろいろと誤解されそうだし、やっぱり一度洗うべきなのか。

 と思考する傍ら、ふと服の胸部分に目がいった。


 そこには何かに突き刺されたような穴が、ぽっかりと空いていた。


×××


 翌日、つまり2日目。

 仕方なしにリビングの絨毯の上で寝ていた僕を起したのは、突如腹に振り下ろされた鉄拳だった。

「ぐふぁっ?!」

「よぉーおはようさんだな、スグっち! 早速だけどデートしようぜ!!」

「げほっけほっ……あ、へ?」

 なんだ、何が起こったんだ。

 突然のことに思考が追いつかない僕は、危うく呼吸困難になりそうだった息をなんとか整え、目を開ける。

 彼女と目が合った。

 目の前だった。

 鼻先、あと数センチ。


 とりあえず、一発その顔を殴っておいた。



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