ご-よん 潜水-無意識

 深く、体に根付いたもの

 愛。または生命

 そこから生え揃うさまざまが忘却を

 潜水、つまり朝

 忘れてしまったから飛び出していく

 慈しみ。故に窓

 

 わたしの体を覆う、入り込む潜航虫は緑色をして、からころと音がする。

 皮膚の隙間から薄く見えて、飛び出す触覚。

 とても居心地が悪くて、すぐにでも焼失させてしまいたい。

――とにかく、ここに潜って、微睡の主を見つけてきて。役目でしょ。

 断ってしまえないのは、なぜだろう。別に他にやりようはある。けれども、意味不明に広がるこの世界はそこにいるから、そこに行ってみたい。

 神経質で、やや怒りっぽい上司は、いつも何かに不満があった。

 それがイヤだったのもあって、生返事でやってきた。海底で微睡まどろむのは、なぜいけないんだろう。

 見つけて欲しくないからそこにいるんじゃないか。

 潜るほどにシャッターは何度も切られていく。次のシーンがまた、ぶつ切りのように潜航していく。

 居心地が悪いから、そうもしていられない。寝ているんですよね。微睡なんて関係なく虫は生きている。

 雷を丸く固めたようなものが時折あって、クラゲはそれを追う。引き寄せられている。

 弾けて、子孫を残すんだ。

 この水底にはいろいろから。あの主は眠り続ける。どうにか起こしてあげて。

 

 微睡、どこへでも行け

 哀。または逃避

 たくさんのものが意識を押しつぶす

 くさび、そうして夜

 忘れてしまいたいから沈みゆく

 無為、故に再来


 数えてみる。

 12345で切れる。そしてまた1234で切れる。6の時も3の時もあるけれど、7以上はない。

 その間にどれだけあるか、珊瑚様の深海の森。手探り、体の感覚だけが頼りだ。

 何も見えない。聞かない。ただ感覚だけがある。

 切れた後も、どうやら進んでいるようで、海底に突きつけられた棒のあとがあった。

 きっとそれもわたしがやったこと。

 無意識には支えが必要だから、線引き棒。

 わたしが持てるのはそれだけだから。

 そして。

 眠りとは違う断絶を何度も繰り返して、体中に入り込んだ潜航虫の居心地の悪さと、1、2、3.パシャリ、連射のレンズ。

 ここは海底なんだろうか。わたしは、生きているんだろうか。

 線引き棒と、わたしの感覚だけが底にある。


 そして。

  そして。

   眠りは来ない。


 微睡の主が、ぼうっと光るのを見つけたのは、どれほど経ってそれに辿り着いたのか、ほとんど分からなくなってから。

 どうやら底にはいるらしい。その光とわたしの感覚と、どうやら洞穴のようになっている場所であることだけが分かる。

 硬化して動かなくなった潜航虫は生きている。

 だから。

 わたしはこの場に潰されずに済んでいる。

 主は静かに眠り続けた。橙の光を、トパーズを、瞬かせて、この冷たく暗い場所で微睡む。

――かわいそうだよ。助けてあげないと。

 説明を聞いているときに、上司はそう言っていた。私たちが扱うのは〈かわいそうなものたち〉だから、慈愛が必要だ。なんて悦に入っていうものかな。

 ただそれをやる。それで生きてる。

 頭で考え過ぎるから、いつも何かに怒ってる。

 けれども微睡の主はそんな思惑も関係なく、眠りの中で穏やかに体を光らせていた。

 彼はなんだろうか。丸く大きい。

 わたしは彼をどのようなものにも分類できないような気がした。

 近づけば、周囲にエビ、沢山の光るもやもやがあって、主の呼吸、鼓動に合わせ動いていた。

 

 震え、終わることのない

 静。膨らみ

 生命はまたたきと大きなものに

 火、霧煙る

 あるがままにあることが

 微睡、果ては雲


 やらなきゃいけないから、ずっと不愉快な体の感覚のままでいたくないから、周囲の水を沸騰させて起こそうとした。

 運悪くエビたちは火に炙られて、茹だってしまう。

 主は居心地悪そうに体を動かし避けようとする。

――ごめんよ。

 ぼうっと光るものが、主の周りに集まる。

 わたしは目の前の海水を蒸発させながら、ぼこぼこと、ごぼぼと、バブルになる。泡だらけの視界があるのも、彼のお陰だった。

――どうか、どうか。

 微睡の主は言葉を発する。それはわたしの頭の中で響き、言語化された意識のやり取りが生じる。

 ぞわぞわぞわと、潜航虫がさざめく。その声に居心地の悪さを感じていた。

――やくめ、なんだよ。

 役目。または厄目。わたしはどこへ行っても、問題を解決することを求められるから、問題と解決は別だって、みんな知らないんだ。

 だからこれも間違っている。

 主に近づけば、柔らかな光がわたしをも包み始める。

 それは暖かく、まどろむ。

――おねがいなんだ。ここにいるだけなんだ。

 主の体から、上に向かって大きな流れが生まれる。

 この底から、天に届く流れが生じる。

 それに光るもやもやはついてこれない。わたしも主も、この底から拒絶されたように、その流れに逆らえずに巻き込まれている。

――わかってるさ! この外へ抜け出したいんだ! 眠らせてくれないのなら!

 円形のように見えた主の体には巨大なヒレがあり、白く、黒い。

 わたしは急激な変化についていけないから、手近な壁面に棒を突き立てる。それはピックで、的確に打ち込むと壁が崩れ、別の流れに合流するだけだった。

 そこでも流され、体を様々な場所にぶつけ、棒をやたらめったらと振り回して最低限の身は守ろうと空しい努力を続ける。

――もう。痛いな。なにやってんだろ。

 ぼんやりとしてくる。

 ぐるぐると回り、そうしてようやっと空に投げ出される。

――抜け出したんだ! この青い空空! また巡らないといけない!

 微睡の主は打って変わって元気よく、その白い尾びれで水面を勢いよく叩くと、するりと海に潜って去っていった。

――……調子、いいなあ。

 そんなことを思うけれど、わたしの体はぼろぼろだ。

 本当は痛くて痛くて仕方ないのだろうけれど、もうそうならないことは分かってる。

 海面に投げ出された時、わたしの口からは血が流れた。

 体は壊れても、またすぐに治るから。

 体を守っていた潜行虫は散り散りに消え、ようやく心地よい流れが体に戻ってきた。

 ようやく。眠ってもいいかな。

 凪いだ海に寝そべって、勝手に拾ってくれるだろう。

 きりきりと歯噛みして、またぞろ不安と怒りのお説教が始まるんだ。

 それはそれとして、いまはこう。

 ただ、海の上にある。

 目を閉じる。

 埋まっている。


――後は、無意識に任せて、何とかしてくれるよね。

 線引き棒も、きっと、ぼろぼろだから、わたしとおんなじだ。


 だから、

  大丈夫なんだって。

   どうにかなるからさ。

 

 微睡に落ちる最中、わたしを残して消えた先輩の姿が脳裏に写った。

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