ごーぜろ 眠りのさなか

 荒々しく起こされ、わたしはまどろみからすぐに出立することになった。

――急げ! 獣たちがやって来る!

――鳥だ! あれを目指せ!

 と大人たちが騒ぎ、鉄の音、砲撃の音、泣き叫ぶ隣の生意気な子、そして追いやられていく。つまずかないよう、木の根に注意しないと。

 大人たちがわたしの背中を押して、押して、押して、後方に熱。炎が木々を舐める。

 どこへ逃げるの? どうすればいいの?

 頭の中は堂々巡りを続けて、けれども体は急く。逃げなければきっと最悪なことになる。それらは、鉄の音、砲撃の音、そして導く鳥の声がただならぬ状況を知らせるから。

――先へ! 先へ! 待つな! 行け!

――許さない。

 砲撃が木々を破り、目の前の群が弾けた。

 わたしの前を走っていた獣狩りが得意な女の人は木々の闇に紛れ消えて、その家族も皆吹き飛んだ。

 その凹みを見て、悲しむ時間も、恐れる時間ない。

 ただ、ただ逃げるの。

 前を見て、鳥を見て、この大地の縁まで走るの。

 囁く声は誰の声でもない。わたしは大人と、子供と、沢山の人と、泥だらけになりながら、この森を抜けた。

 その先は荒野になっていて、普段なら危険な獣が出るからとあまり立ち入らない場所だ。

――獣が、立ち塞がる。やるしかねえぞ!

 大人たちが叫ぶ。わたしも叫ぶ。

 何も持っていないけれど、大人たちが棍棒や手斧で獣を退けながら走るから、その間に続く。

 鬼気迫る様子に獣たちは少し動揺している。寄ってきた獣は棍棒で叩かれればすぐに去る。

 ただ鉄の味が広がって、わたしは凍える。急斜面を滑りながら、逃亡を続ける。やるしかない。まだ眠りたかったのに、望まない戦いが迫ってくる。鳥は泣いているように感じた。

 大地の縁まで走る。そんなことはかつての大英雄も成し得なかった。かつて望郷の都にわたしの帰る場所があった時、夢潰えた英雄たちの話を漁った。

 成功とその名のとどろきは一瞬に過ぎず。

 夢見た風景は瞬間にしか現れない。

 わたしの腕を伝う生暖かいものが自分の血ではなくて、隣の父のものだと気付くのは父の体がほとんど血の塊みたいになってしまった後だった。

 砲撃は止まず、鉄の音は規則的に、強制的にわたしたちを傷つける。逃げても逃げ場はなくて、父はやがて崩れ、わたしは止まろうとしても腕を引かれて先に進まされる。

――どうしてっ! まだ間に合うのに!

――うるさい! もう仕方がないの!

 叫んでも走るのはやめられない。跳ねる石はわたしを切りつけ、大人たちは一様に傷つき、どうしてこの泥濘のような暴力に囚われてしまったのだろうかと考える。体は自動で動くから、わたしは頭だけが回っている。


 そうして、もう逃げているのか、ただ終わらないだけなのか、もう判断がつかなくなった頃、わたしたちは走るのをやめた。

 もう隣にいた父も、わたしの手を握っていた母も、兄も、大人たちも、ほとんど残っていない。一様に傷ついて、涙を流して、とぼとぼと歩くばかり。

 わたしは不思議と何も感じられなくなっていた。ただその場を眺め、通り過ぎるばかりで、みんなとの距離を感じてむなしい。

――鳥は、どこへ?

――鉄も、砲撃も、獣たちも、もう‥‥。

 安堵していた。まだ死んでいないから、生きているから続く。

 わたしにその継続の意味はあるだろうか。この暴力的な行為の跡に、何が残るというのだろう。後ろを振り返れば、不毛の砂漠。鉄と砲撃と獣たちによって、破壊しつくされた灰色の砂漠が広がるばかり。

 ひゅおぉ、ともの悲しく、恨めしそうな風が鳴る。

 わたしはまどろみの中から、出て来なければいい。そう願って、周りを不感のままに俯瞰している。

――ここで、どうして、なぜ?

――あのような、怒り、不毛な暴力が、我々に必要だっただろうか?

 もう獣たちは追っては来ない。わたしたちが逃げて逃げて、あの灰色の砂漠すらも越えてしまったというのなら、ここは。

 <孤影の牢獄>と呼ばれる。かつての生と文明と、その力があったとされる場所。

 そこでは、いかなる流れも存在せず、灰色の砂漠に囲われた忘却の廃都市。

 わたしたちはその入口に立っていた。眠らないから、眠れないから。暴力から逃げて、多くを失って、肌は焼け、脚はひび割れ、ただ生きていた。

 わたしは、このような排斥がどうして起きたのか、心当たりがあった。

 あの鳥も、獣も、ある流れを持つ。そして、その循環を止めることは出来ない。昔、そんな世界の了解を聴いた。

 それを意図的に止めようと、滞留し積み上げ、星、鳥たちの声を更に深く得ようとしていたから。不死のままに積み上げ合体を続ける獣の内循環、合成された不死。

 循環の最小単位にひとつ、歪な流れを取り付けた。死者たちの祭事だ。

 死は決してわたしたちの中に存在しないのに、それを中に存在させる逆説的儀式を執り行っていた。わたし含め、子供たちは、そのために作られた。

 だから、この廃都市は、とても馴染みがある。

 わたしの中には死が存在していて、それによってあらゆる死に至る出来事がわたしを通過できない。

 大人たちはこの場所を恐れて、狭間で火を焚こうとしている。

――火は決してつかないよ。

――お前たち、お前たちのせいだ!

――……何を馬鹿な。

 わたしに怒鳴る大人がいた。自分たちがやったことじゃない。どうして逃げるの。

 分からないから、わたしは廃都市の中心を目指した。

 かつて。

 かつて存在した。

 極点に至ったものは、この都市から全てを。

 

 わたしは、人形師に作られた。

 だから、そして、ここにいる。

 追われた者たちはここで朽ち、やがてあの離宮と、絢爛けんらんたる鋼の大地を、追い落とさなければいけない。

 ただ。

 ただ、役目を。

 だからわたしは狙い撃つ。

 この砂漠も、都市も、わたしも。

 酷く昏く渇いて冀っていたから。

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