42.

「ほら、こっち来て。もっと近くに来て」

「……」


 じゃらり。

 返事をする前に鎖を引かれ、バランスを崩してしまった。目と鼻の先には冷たい床。そんな耐えがたい屈辱に何も抵抗しない、出来ない。


「……何か言いなよ」

「……」

「はぁ……堕ちてくれたのは嬉しいけど、面白みはないね。手足をそぎ落としたり、目玉をくり抜いたら少しは悲鳴が聞けるのかな?」

「……」


 目の周りに冷たい指が触れてゾクリとした。

 でも。もう、どうでもいい。ここから逃げても私には戻る場所がない。どこにも居場所がない。

 既にコウセイジャーレッドがいるのなら私は不必要だろうし、透子だって違う人の教育係をやっているかもしれない。

 涙が一滴、頬を濡らす。

 こんな状況で、こんな世界で私は生きている意味があるの……?


「安心して? 居場所ならここにある。君はずっとここにいればいい。私の側に居て」

「……」

「ずっと守ってあげる。結社の奴らが君を見たら殺せと言うだろう。きっとコウセイジャーが君を見つけたら連れ戻すと言うだろう。でも私が守ってあげる。結社なんかに殺させるもんか。コウセイジャーなんかに渡さない。私のモノに手出しはさせない」

「……う」


 無理やり顔を上げられて少しだけ苦しい。くぐもった声が漏れる。

 結月は満足したようにそれを見て笑う。自分の玩具が完全に屈服している、情けない姿を見て、嗤う。


「ゾクゾクする。もっと苦しそうにしてよ。その声、もっと聞きたい」

「う……ううう…………」


 結月は這いつくばる私に追い打ちをかける。横腹を蹴り、右足で私の左手を踏みつけた。


「いたい……やめ、て……。結月ゆづき、やめて……」

「……ッ!」


 結月と呼ぶと驚いたように動きを止めた。自分の額を押さえ、苦しそうに顔を歪ませる。


「…………その呼び方は止めて。頭痛に障る」

「………………もう分かってるんだよ、私は。君は結月。私の幼馴染のゆづ——」

「止めて! その名前で呼ばないで!」


 追い詰めているのはどちらだったか。

 床に這いつくばっているのは私なのに、結月のほうが顔色が悪い。元々白かった肌が今では青白く見える。


「……ハァ……ハァ…………」


 荒く呼吸を繰り返し、壁にもたれかかる。何かに耐えるように強く目を瞑っているようだ。

 その姿が幼馴染と重なった。やっぱり私はこの子を放っておけない。苦しんでいるのは見ていられない。

 私には戻る場所はないけれど、目の前には結月がいる。どこにいるのか何もわからなかった頃とは違う。今、目の前にいる。

 なんで別の人格が顔を出しているのか分からないけれど、この子は結月だ。私はこの子を助けたい。この子と一緒にここを出たい……!


「だいじょう、ぶ?」

「放っておいて。頭痛に障る」

「そんなところにいるほうが頭痛に障るよ。ほら——」


 苦しそうに喘ぐ結月の手を引いて、ベッドへと誘う。


「おいで、結月」

「ぐ……うう…………」


 私が名前を呼ぶたびに苦しそうに、額に汗を浮かべながら呻く。

 本当は寝かせたかったけど、結月は頑なにそれを拒んだ。私に抱き着き、両腕を背中に回す。

 時折、背中を掴む手に力が入り、痛かったが我慢した。


「ゆづ、き……って、呼ぶな」

「じゃあなんて呼べばいいの」

「知らな、い。名前なんか呼ばれたことない。でも、その結月ってのだけは……やだ」

「……分かった」


 結月だけど結月じゃない。そんな曖昧な存在。いつ自分が乗っ取られるか。どちらの人格が顔を出すか。もしかしたらずっと怯えていたのではないか。

 ……そういえば今朝、二人の人格が入れ替わった時も頭痛に顔を歪ませていた。もしかしたらそれが一つのトリガーなのかもしれない。


「名前、私が決めて良いの?」

「……」


 こくりと頷いた。声には出さなかったけど、今確かに頷いた。


「…………結陽ゆうひは?」

「ゆうひ……?」

「月の反対は太陽だから。結はそのままで結陽。安直すぎるかな……?」

「……いいよ、それで。結月じゃないなら何でも良い」

「分かったよ、結陽」


 ゆうひ、と自分の名前を反芻するように何度も呟く。


「……っと」


 何度かそれを繰り返すと満足するように目を閉じた。支えを失った結陽の身体はぐったりとしている。それを抱き上げ、改めてベッドに寝かせた。


「……目を閉じているとどっちか分かんないね」


 安らかに眠るその顔をそっと撫でた。

 次に結陽が目を覚ましたらちゃんと話そう。

 私は結月と結陽、二人と一緒にここを出たい。結社の言いなりになっている結陽なんて見たくない。

 コウセイジャーがそれを許さないのならば、私は反旗を翻さなきゃならない。結社が結陽を渡さないのならば戦うしかない。

 その覚悟はもう出来ている。結陽がいる場所が私の居場所だから。

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