第13話:感情の価値
日々日常は変化する。街も、人も、そしてティア自身も。本人すら気付かないうちに少しずつ姿を変えていく。人を作るのは環境だ、と誰かが言った。周りが変わり、自分が変わり、人を見る目が変わり、自分自身の捉え方も変わり。
目まぐるしい変化の中で、孤独なゴーレムは順応しようとした。たった一匹で紛れ込んだ化物は少なからずトーカスの街に影響を及ぼす。良い影響も悪い影響も、全ては起きてからでしか測れないのだ。
◯
ジルベールの依頼を受けてから幾分かの月日が経った。あれからもジルベールの屋敷へは何度か通い、花壇が完成してからも依頼は続いている。つまり、ジルベール・レーベンの専属花屋といったところだ。
「すみませーん、これ下さい」
「はーい、まいど」
人の噂とは早いもので、レーベン卿の御用達と聞いて買いに来る客も増えた。一体どこから噂が流れたのかとティアは不思議に思うが、客が増えたのはありがたいことだ。今も若い女性が嬉しそうに花を買っていった。庭に植えるのか、はたまた部屋に飾るのか分からないが、ティアの名前は確実に広まっていた。
「お姉ちゃん凄いね。どんどん売れてるよ」
「うん、ジルベール様々ってわけだ」
ティアの横に座っているのはミリィだ。ジルベールの依頼を受けてからは店を閉めることが多く、結果的にミリィと会う機会も減っていた。その反動か、店を開けると真っ先にミリィがやって来たのだ。以前買えなかった幽玄草を買った後、何故かティアと一緒に店番をしている。ティアにとっては話し相手になるし、ミリィも今日は暇らしいため丁度良かった。
「もう大きな仕事は終わったの?」
「んー、終わってはないけどちょっと落ち着いたかな」
「じゃあまた前みたいにお店をやるの?」
「そうだね。しばらくは休む暇も無さそうだけど」
「ふふ、やった」
今日は一段と上機嫌なミリィ。ミリィが笑っているだけで店の雰囲気は柔らかくなる。人々はこの笑顔に魅せられ、ふらりと店に立ち寄ってしまうのだ。罪な笑顔である。
「お、やってるねー」
「クォーツさん、こんにちは」
やって来たのはクォーツだ。隣にはアディが立っており、相変わらず無愛想な顔をしている。一応ティアは頭を下げると、アディも同じように頭を下げた。話したことは無いが悪い人では無いかもしれない。
「今日は可愛い子がいるね。もしかして妹?」
「妹じゃないんですけど、何でしょう……客?」
「友達!」
「だそうです。友達のミリィです」
「あはは、よろしくね」
ティア達のやりとりにクォーツは思わず笑った。二人の話す姿はまるで姉妹のようだからだ。よく見るとアディも穏やかな笑みを浮かべていた。ティアは彼の笑っている顔を初めて見たが、案外優しそうな顔をするものだと思った。
「この前の花は渡せたんですか?」
この前の花、とは以前クォーツが買った
「あぁ、渡せたぜ。しかも気に入ってくれて、店の名前を教えたら今度行きたいって言ってたぞ」
「それはぜひぜひ。いつでもお待ちしております」
なんと、本人の知らない所で店の名前が広まっているようだ。これは嬉しい。今回の依頼で得たものは大きく、ティアの花屋は知名度を上げることに成功していた。以前は誰も知らない隅っこの店だったが、今では知る人ぞ知る花屋である。古今東西の珍品が集まるトーカスと云えども、ティアの扱う花は唯一無二だ。
クォーツと話している間も客は待ってくれず、「邪魔をしては悪いからな」と彼らは帰っていった。客足は断続的に続き、日々の退屈を遥か彼方に追いやってくれる。悠久の無為な毎日を過ごしてきたティアにとっては、忙しさが
○
事件が起きたのはそれから数日後だった。珍しくミリィもマリエッタも居らず、一人で店を開いていた時である。
「お前が噂の花屋か」
店先に並ぶ花達に一つの影が落ちた。ティアが顔を上げると、
「はい、そうですが」
「ふむ、この花が……扱っているのはこの三種類だけか?」
「そうですね」
男は何か思案するように黙り混んだ。本通りから外れているといえども、店先でじっと立っている男は邪魔で仕方がない。しかし、ティアは特に文句を言うでも無く彼の返事を待った。
「こんな花が……いや、しかし……」
男はなお、ぶつぶつと何かを呟いている。人の街で暮らしているうちに、ティアはある力を手に入れた。
――観察力だ。
人の文化、常識、または言語を学ぶために観察を続けた日々。時には物陰に潜み、時には道端のゴミに擬態をした。一日中じっとするのは常人なら耐えられないだろう。しかし、ティアにとってそれは苦痛ではなかった。少しでも早く、この眩しい世界の住人になりたいという一心でひたすら耐えたのだ。
結果、ティアの観察力は研ぎ澄まされていた。赤い瞳は様々な情報を正確に読み取る。男の目に揺れ動く感情は戸惑い、疑心、不安、あるいは………敵意。少なくとも好意的な感情は読み取れなかった。
「……うむ、仕方ない。少女よ、今すぐ店を閉めて街から立ち去れ」
散々悩んだ末、男はそう言い放った。話の意図が全く読めないティアは首を傾げる。
「……何故?」
「神託を頂いたのだ。神はお前を脅威だとおっしゃった。我らがファルス様のお言葉だ」
男は懐から聖書を取り出した。何度も読み返したのであろう聖書は変な癖がついている。本に描かれた白十字の紋章は街でよく見かけるものだ。
(あれは確かファルス教の紋章か。面倒な狂信者に絡まれたってわけだ)
「少し唐突では?」
「神託とは祈りの末に頂く一握りの奇跡。いつ何時訪れようと、それは絶対である」
「私は神を信じていない」
「お前が信じているかどうかは関係ない」
「断ったら?」
「神の御言葉に逆らうのは重罪ぞ」
「私の意思はどうなる」
「それは仕方ない」
ティアはため息をついた。トーカスの法を決めるのは教会ではない。つまり、ファルス教に逆らって重罪になるわけがないが、あえて口を出さなかった。彼の意思が揺らぐことは恐らく無いだろう。盲信した瞳は理知の輝きを失い、ただ神の言葉とやらに従うのみ。
少しずつ周りには人だかりができ、騒ぎを聞き付けた野次馬が何だ何だと駆けつけた。中には、ティアの花を気に入った客が男に対して批難の目を向けている。ティアはどうしたものかと困惑した。穏便に済ませるには時既に遅し。面倒事を避けるためになるべく摩擦の少ない生活をしてきたが、面倒事が向こうから現れては避けようがないだろう。ゴーレムとバレるわけにはいかないが、街を立ち去るのはティアの本意ではない。むしろ到底頷ける話ではない。
「んー、困ったなぁ」
「困ることはない。神託に従えばよいのだ」
ティアは段々と、この見下すような視線を向ける男に苛ついていた。衝突を避けるために腰の低い性格を演じてきたが、そろそろ限界である。
「私はここを去る気が無いんだけどねー」
「それは残念だ。出来れば穏便に済ませたいのだが」
「私もそうしたい。うん、ぜひ諦めてほしい」
「そういう訳にはいかない。お前が諦めてくれ」
男は腰に携えた剣に手をおいた。威嚇のつもりだろう。これ以上抵抗するなら実力行使だぞ、と。それを見たティアは諦めた。弱肉強食を生き抜いたティアにとって、剣を抜くということはそういうことである。
「ふーん、そっか……あなたは敵ってことね」
「っ!」
鳥達が羽ばたいた。男は思わず後ずさる。ティアの雰囲気が変わったのだ。野次馬達には分からなかったが、戦いの場に身を置いている
(何だ……!?)
それは戦士だけが感じ取れる格上の覇気。たかが花屋と侮ることなかれ。ここに立っているのは悠久を生きる化け物だ。サルバは自らの力量に一定の自負を持っている。班長の責務。戦士の誇り。それらはあっという間に吹き飛んだ。男は信じられなかった。何故、このような化け物が花屋などやっているのかと。
「ま、待て、平和的な解決をしようではないか」
「剣に手をかけるのが平和的なやり方だと……私は知らないよ」
「ヒッ!」
ティアが男に手を向けた。少女の体から魔素が滲み出る。仮面の奥で赤い瞳が瞬いた。力を使えば正体がバレるかもしれない。そうなったら最初からやり直しか、とティアが諦めていたときだった。
「ストップストーップ! 何の騒ぎですかー!」
「防人だ、どいてくれ!」
聞き覚えのある声が路地に反響し、二人の男女が野次馬の間からすり抜けた。急いで駆けつけたのであろう。立派な隊服が乱れてしまっている。
「て、サルバ班長!? 何やってんすか!」
「ほらほら、皆さん散って下さいー。あとは
クォーツとピルエットだ。二人を見た瞬間、ティアは集めていた魔素を霧散させた。流石に防人と争うのは得策ではない。ましてや彼らは既に顔見知りだ。ティア自身もできれば手を出したくないのである。
「おお、お前らか! 丁度いい、あいつを捕まえてくれ!」
「はぁ? 何言ってんすか?」
「奴は教会に歯向かうだけでなく、私に対して――!」
「いやいや、俺はファルス教の信者ではありませんし……てか丸腰相手に何で剣を抜いてるんですか」
「あいつは私達の脅威になるのだ! 今すぐ排除せねば!」
その言葉でクォーツはある程度察した。ファルス教の信者が暴走するのは珍しいことではない。今回もサルバ班長が暴走してしまったのだろう、と判断した。
「脅威ですか……」
クォーツがティアに顔を向けると、彼女はコテンと首を傾げた。何の事だか分からないと言っている。白藍の髪がふわりと揺れた。
「しらばっくれるな!」
「まぁまぁ。ティアさんは確かにふざけ……変わった格好をしてますが、ジルベール様のお墨付きですし大丈夫ですよ。ていうか彼女を追い出したら俺が怒られちゃいますから。取り敢えず本部に戻りましょう」
「ふざけるな! おい、貴様!」
クォーツとピルエットが二人がかりでサルバ班長を引きずっていく。申し訳なさそうにクォーツが頭を下げていたが、彼も苦労しているなぁとティアは同情した。あのような男が上官では大変に違いない。今度お礼も兼ねて労いの花を持っていこう。
「ティアちゃん大丈夫!?」
「あ、マリエッタさん」
野次馬達も去った後、マリエッタが駆けつけてくれた。ぎゅっとティアの頭を抱きしめると、優しく髪を撫でてくれる。
「ティアちゃんの店で騒ぎが起きてるっていうから心配したのよ!」
「あー、その……すみません」
「あら、何を謝っているの。ティアちゃんは悪くないんでしょ?」
「うん……うん、多分悪くない」
「なら謝ることはないの」
マリエッタの言葉はどこまでも優しかった。先ほどまでの殺伐とした雰囲気は消えている。
「それでも、もうちょっと賢い方法があったんじゃないかなーって思いまして。私も少し短気になっていました」
冷静に考えれば、他に方法があったような気がする。従うふりして逃げても良かったし、わざわざ歯向かう以外にやり方があったはずなのだ。しかし、いつの間にかそれらの選択肢は頭の中から除外されていた。
「私は詳しく知らないけど、ティアちゃんは怒っていたんでしょ? なら仕方ないわよ」
「……怒っていた?」
「そうじゃないの?」
「……そうかも」
どうやら、自分が思っている以上にティアは店を大事にしていたらしい。森の中で無為な日々を過ごしてきたティアにとって、怒りという感情を抱いたのは初めてだった。
(そうか、私は怒っていたのか)
初めての感覚に戸惑うと同時に、ティアは少し反省する。今回は助けが入ったが、正体を隠すためにはもっと冷静でいなければならない。感情を殺してでも、合理的になるべきであった。いっそ感情など無くても良かったのに。
(いや……それは違うか)
マリエッタの腕の中で、ティアは考えを巡らせた。感情は大切だ。しかし、合理的な判断に感情は不要。でも人間は非合理的だが楽しそう。それなら自分はどうだ。自分は合理的か。答えのない問いがぐるぐると化け物を掻き乱す。
その後も、マリエッタは抱き締めたまま離してくれなかった。
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