2-94.柱の間の向こう側に

 橋の入り口では、扉を開けたところで女子六名がどよめいていた。

 制限時間まではまだ、時間はたっぷりとある。だが、


「ローランド様……!柱の間が開く様子が見えました。一体何が起きているんでしょう?」


 ローランドも、開いたままの扉をじっと見つめ、険しい表情になった。


「これは面倒なことになりましたね……」


 柱の間に入ってすぐのところで、のぞみは電球が光るように意識を取り戻した。

目の前には、天然の源気グラムグラカ濃度が高すぎるゆえに結晶化した、巨大な柱が聳え立っている。のぞみはまだぼうっとしたまま、頂点の見えない柱を見上げた。柱の表面には謎の文字と、神秘的な紋様が刻まれ、台座の部分は50人の大人が手を繋げるほどの太さがある。

 辺りを見回すと、そこは広々とした部屋で、床には直径10ハルもあろう石板があり、古の怪物か何かの彫刻が施されている。


「あれ……?ここ、どこ?私、さっきまでヌティオスさんと……」


「ノゾミ!何してるの!?」


 ラトゥーニが張り詰めた表情で駆け寄ってきた。後ろから他の心苗コディセミットたちもやってくる。


「ラトゥーニさん、メリルさん、皆さん……!あの、今は、どういう状況でしょうか……?」


 ティム、楓、ほらるたちも続々と柱の間へ入ってくる。皆、緊張感のある面持ちだ。


「ノゾミが自分でここへ来たんだよ?」


「えっ?私が、自分で……?」


 蛍はのぞみの様子をじっと見つめながら、近付いていく。


「あんた、何ぼうっとしてるのよ、しっかりしなさい」


「彼女を責めるのはおやめなさい。何かの術に操られています」


 ラーマにかばわれても、のぞみにはまだ、自分が何故ここへ来たのかよく分からないままだった。


「でも、怪しい人なんて見かけなかったヨン?」


魔導士マギアであれば、状態修飾系の『章紋術ルーンクレスタ』を使って、気配や実体を消すことも可能です」


「つまり、その魔導士がまだ近くにいるってことですか?」


 そう言うと、ランは見えない暗殺者を意識するように身を屈めた。


「そいつ、神崎さんを狙ってる暗殺者なんじゃないのか?」


 修二は直感的に言っただけだったが、ジェニファーはゾッとして彼を一瞥した。


(ここで狙ってくるとは)


 治安風紀隊として、のぞみの事件について情報を与えられているジェニファーは、未来から来た刺客の中に、魔導士がいることも知っていた。


 マスターからの指示は、第三勢力である未来の刺客よりも早く、任務達成することと言われていた。だが、その条件さえ諦めれば、未来の刺客を利用してのぞみを始末することは可能だろう。暗殺者としての評価は下がるが、最低限の目的を達成できている限りは家族の命は守られるはず。ジェニファーは打算的な考えから、魔導士の介入を朗報だと思った。


 のぞみも修二の言葉から、自分を幻術で操る人物について考えていたが、


「皆さん、気を抜いてはいけません。柱の間に侵入してしまった以上、何が起きてもおかしくありません」


「確かに源気の気配は濃いッスね。でも、今んとこ何も起きてないッスね?」


 その時、彼女たちの足下に刻まれた聖霊の石板が光った。地鳴りとともに床が強く揺れだす。のぞみがその場所を跳び離れると、十数ハルもある、大きな貝が現れた。

 殻の表面には、月のクレーターのような複数の穴を持ち、その穴から太く長い、ハオリムシの触手のような首が伸びている。軟体動物のような特徴を持つその虫は、鱗のない蛇のような動きで、気流の流れに応じて体を揺らしている。無数の穴から、ざっと数えて35本の首が生えだした。


 首はのぞみたちの源気に気付くと、エサと認識したらしく、獰猛に体を揺らし始める。口が大きく裂けるように開き、鋭く立派な歯が見えた。


「ギャオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 魔獣たちの威嚇の雄叫びを聞いて、のぞみは自分の胸の中のもやもやを一旦置いておき、意識を取り戻したように気を引き締めた。


 凶暴な外見と見下すような目つきに、藍が怯えたように声を上げた。


「こ、これが柱を守る守護聖霊ですか……?」


 根っからのファイターである修二は、魂が震えるほどの闘志が湧き上がり、目をらんらんと輝かせた。


「ハハ、これは面白いことになるぜ!」


 のぞみは目の前の貝を見ながら、教養の授業で学んだ内容と照らし合わせる。


「……古の典籍に記録されています。ミテラス王国の守護聖霊……ミラドンキスです。巨大な貝竜ですよ」


 クラークもその名には覚えがあった。


「ウソだろ……。あの、侵略者は全て呑み殺すっていう聖霊か……?」


「え?ミラドンキスって東の島国を守る守護聖霊じゃないの?何でイトマーラにいるわけ?」


「それは今考えることじゃない!」と、ルルがラトゥーニに言った。


「と、とんでもなくデケェんだな……」


 聖霊は、巨人級のヌティオスでさえ見上げるほど大きい。


「攻撃が来るぞ!」


 首たちはそれぞれが自我を持っているかのように、ランダムに光弾を吐き出した。

 間一髪。心苗たちは威嚇攻撃を避ける。


「皆、脱出しよう!」


 ジェニファーの声を聞き、のぞみたちは入り口に向かい全力疾走する。


 だが、扉に最も近かった蛍が、「扉が!」と指差した。


扉は閉じていた。

血のように赤い宝石が扉の真ん中に光り、全体に刻まれた細かな彫刻紋様も光っている。


 楓が金属竹刀を振り上げ、衝撃波を扉に当てた。ラトゥーニとルルも、飛び道具で攻撃を加えていく。A組の精鋭たちの技は、魔獣など木っ端微塵にするレベルのものだったが、扉にはかすり傷一つ付かなかった。


「決め技なのに!全然効いてないじゃん!」


 ラーマが扉を見ながら、冷静に言う。


「これは国の結界と同レベルの代物なのでしょう。私たちの技で簡単に壊せる物ではないかもしれません」


「退路は封じられたってことだべな」


「逃がさねぇってことか……?」


 楓とクラークの声を聞きながら、藍の顔は恐怖の色を帯び始めている。


「背水の陣ということですか……。フェラーさん、どうしましょう?」


 ティムの胸の内は複雑だったが、実はまだ、ティフニーの予想の範囲内の展開だった。

もしも柱の間に入った時は総力戦で聖霊と戦い、後の策は自分に任せるようにと、彼女は言ったのだ。聞いた時は半信半疑だったが、ここまで来るともう、信じるしかない。ティムはクラスメイトたちを鼓舞する道を選んだ。


「皆!聞いてください。私たちはこれから、命を賭けて、全力で、ミラドンキスに抗いましょう!」


 皆がティムの言葉を聞いて、ミラドンキスを見た。

 しかし、修二だけは物足りなさそうに、ティムを見ている。


「抗うだけか?倒したら良いじゃんか、ティム?」


「ふふ、君のその、単純で前向きな闘志には嫉妬しますよ」


不破ふはさんは守護聖霊とも戦ったことがあるんスか?」


「ない!」


 そう言い切った修二に、悠之助は鼻白んだが、「これから倒すところだろ?」と、修二は続けた。


「戦争時代の英雄は、あちこちの帝国の守護聖霊を倒してきたらしいじゃん。だから今の連邦国があるんだろ?」


「不破さんの言うことも一理あるとは思いますが……。でも、どうすれば倒せるんでしょう?」


「コールちゃん、戦いながら弱点を探すしかないヨン」


 メリルはもう戦闘態勢に入り始めている。


「来るぞ!」


 地殻ごと揺るがすような動きで、ミラドンキスが追ってくる。それぞれの首は長く伸び、扉の方へと迫ってくる。ティムは聖霊をよく観察しながら指示を出す。


「陣形を散らします、最大限の力で、そして互いに協力しながら戦いましょう!」


「分かりました!!」

「はい!!」

「おう!!」

「了解ヨン!!」

「ラジャー!!」


 ミラドンキスは無数の口を開き、のぞみたちを丸呑みにしようと迫り来る。A組の心苗コディセミットたちは、各々得意な武器を翳すとミラドンキスの攻撃を避けるように跳び離れ、直ちに反撃を加えた。

 修二が鋭い斬撃で一本の首を討ち、ラトゥーニがメイスの叩き技で別の首を潰す。

 二人の攻撃を食らった二つの首は縮み、頭がクラクラしているのか、少し首を左右に振った。


 のぞみはまた別のミラドンキスの攻撃を避け、中空のままで金銀の刀を構え、『双暈ふたかさ』を繰り出す。だが、のぞみの繰り出した衝撃波は、イソギンチャクのように柔らかい首に受け流され、あまりダメージを与えることはできなかった。

 さらにその首は、揺れた反動でのぞみを狙う。排水管のように太い首は、巨大な鞭のようにしなり、のぞみの目の前に振り出され、そのまま直撃した。

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