2-81.一教師として
プライベート階層とは言ったが、そのフロアの構造は意外にもシンプルだった。エレベーターホールの先は一本道になっており、途中で一度、左右に分かれる。右の道を選んで奥へ進むと、もう支部長室に行き当たった。
彩度の低い壁とカーペット。入り口の近く、左側には、面会用なのだろう、二人がけのソファーが、ローテーブルを挟んで二脚置かれている。反対を見ると、右側には壁と同化して見える扉があった。
部屋の最奥は一面のガラス張りになっている。これは強化ガラスだろう。窓を背にした机には何も置かれていないが、その上空に、何かしらの情報が投影されている。
事務椅子に座ってそれを見ていた男が、キーボードのスイッチを押した。投影されていた諸々の情報が瞬時に消える。
とび色のベリーショートの髪をきっちりとスタイリングしたその男が立つと、義毅よりも10センチほど背が高いことが分かった。スーツを着た男は、義毅を一刻たりとも待たせないよう速やかに手を伸ばし、友好的に呼びかける。
「我がネオヨーク州支部へようこそ。コーディ・バーニーです」
義毅は伸ばされた手に応じ、握手する。
「豊臣義毅だ、よろしく」
「先代のユフィーリア支部長より、あなたの功績はよく伺っております。アトランス界の千年戦争を終結させたのみならず、かつては地球(アース)界においても多数の難事件を解決に導いたと」
「ハハ、昔の話だぜ」
バーニーは手を離すと、「こちらへどうぞ」と義毅をソファーに誘導した。
「クローイ、飲み物を用意してくれないか」
「いつものですね。英雄トヨトミは何を飲まれますか?」
擬人人形の秘書が、義毅の方を向いた。
「コーヒーを頼めるか?」
「かしこまりました」
そう言うと、クローイは右側の扉を出ていった。
二人が腰を下ろすと、早速バーニーが話し始める。その口調は、義毅の行動についてすでに把握している様子だった。
「地球界へ来られたのは家庭訪問のためと聞いていますが、機関にお越しになったということは、何か事件でも?」
「ここに来る前に、ジェニファー・ツィキーの家族の家に行ってきた。だが、どうも様子がおかしくてな。何かしらの事件が関わっているはずだ」
バーニーは、義毅の英雄としての直感、そして経験値を信じていた。
「なるほど。私に何か協力できることは?」
「単刀直入に言えば、入学以前のツィキーについて詳しく調べたい。もちろん、彼女の家族の現在地についてもだ」
バーニーは話を聞きながら、ローテーブルに触れた。すると、キーボードディスプレイが光り出す。バーニーが内線チャンネルにかけると、情報支援係の男の顔が宙に映された。
「アウラー君、ジェニファー・ツィキーの経歴および、ツィキー一家の行方について情報を集めてくれ」
「情報ランクはいかほどでしょうか?」
「Sランクだ」
バーニーのランク指示から大事件が予期され、アウラーの顔に緊張が走った。
「少しお時間が必要ですが……」
「今、必要なんだ」
「了解です。15分後に連絡いたします」
チャンネル通信が切られた。
Sランクは、個人のプライベートな情報から機密事項まで、ローデントロプスの情報管理庫に記録されている情報全てを示すことを指す。
「少し時間がかかります。先に、事件について最初からお話しいただけますか?」
その時、クローイが入室し、コーヒーとケーキをそれぞれの前に置いた。そして、談話の邪魔にならないよう、その場を辞した。
「ああ、それは……」
義毅はジェニファーが雇い主の命令により、のぞみの暗殺を目論んでいることを聞かせた。話を聞きながら、バーニーの顔に深刻な色が浮かぶ。
「それは何とも気の毒な話ですね。すると、ジェニファー・ツィキーは、カンザキノゾミだけを狙っているわけではないんですね?」
「具体的な人数までは把握してないが、多数の暗殺を請け負ってきただろうな。家族が人質になっている可能性もある」
「なるほど、脅迫されて暗殺を強いられていると。では、あなたは彼女の雇い主を掴むのが目的ですね?ただ、まだ情報がないので断定できませんが、この件はグレーゾーンに入るかもしれません」
その時、回線が繋がった。ローテーブルに情報が映し出され、アウラーが事務的な口調で説明を始める。
「ジェニファー・ツィキーは州立のウィルター養成学校に、5回に渡り落第。13歳から19歳までは、政府設立の傭兵団で戦闘訓練を受けています。しかし、親が急に職を失い、しばらく無職状態になってしまったようです。さらに莫大な借金があり、傭兵団の学費が支払えない状態でした。傭兵団を卒業後、彼女は自分の学費を支払う代わりに、『レッドドラゴン』と呼ばれる半グレ組織に入っています」
アウラーはジェニファーの家族の居場所について、別の画面を示す。そして、ツィキー夫婦の周辺に、怪しい人物の顔写真を映しだした。
「また、彼女の家族ですが、すでにネオヨーク州にはいません。ツィキー夫妻は現在、テキサス州の小さな町で、レッドドラゴンの監視下にあります。彼女の弟も、組織によって厳しく管理されています」
アウラーの説明を聞いて、義毅は苦々しげに呟く。
「レッドドラゴンか」
「これは厄介なことになりますね。政治家や財閥の者が、匿名で暗殺を指名することもある組織です。政府としても彼らがいることで、暴力団を抑えこむ機能を持っていると理解しているので、実質的には黙認されています。我々が直接、手を出すのは難しいでしょうね……」
「よく知ってるんだな。この情報はどうやって入手したんだ?」
この点に関しては、アウラーの代わりに、バーニーが自ら説明を始めた。
「いくつもの組織を横断的に活動しているエージェントから集めた情報です。しかし、Ms.ツィキーに指示命令を出している人物を掴んだとしても、それは組織の末端の人物に過ぎないでしょう。それに、組織にMs.カンザキの暗殺を依頼した者を洗い出すところまでとなると……一日や二日では不可能ですね」
それを聞いた
「そうか。傭兵団のやり口も気に入らねぇが、俺はレッドドラゴンを組織ごと潰すことができれば十分だぜ」
「それは……とんでもないビッグマウスですね……。教え子二人のためだけにあの巨大な組織を丸ごと潰すとは……。私はその動機に感動します」
バーニーは義毅に敬意を払ったが、義毅は当たり前のことだと言うように薄く笑った。
「ハハ、それが、一教師が
記録に残る大英雄。その本人と実際に話し合い、彼の思想を知ったバーニーは感激した。
「あなたはまさしく英雄ですね。ぜひ我が機関のエージェントたちに協力させてください」
「ほぅ?意外と話が早ぇな。そう簡単に決めちまっていいのか?」
「我が機関としては、あの組織の存在を擁護しているわけではないですから。組織ごと根絶することは、我々にとっても悪くない話です」
「助かるぜ。それで、具体的にどうする?」
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