2-69.願いが叶うなら……

 待機室は、クローバーのように3つの円が合わさってできた大きな部屋だ。円同士は低い植木の壁で区切られており、天井は吹き抜けのように高い。それぞれの円が重なる中央には、高い天井からの糸に沿って流れ落ちる噴水と、その水でできた池がある。


 のぞみは入り口から入った。待機用の席やテーブル、スタミナ補給機能も充実しているようだ。ざっと見回しただけでも、30人以上がこの待機室にいるらしい。クローバーの頂点になる待機室の最奥には、ステージへと移動するための転送ゲートの台が見えた。


「よぉ、カンザキ」


 先に来ていたらしいヌティオスが、誰かを探している様子ののぞみに声をかけた。


「ヌティオスさん」


「調子はどうだ?」


 いつも通りのヌティオスといると安心して、のぞみは柔らかな笑みを見せた。


「快調ですよ。ヌティオスさんはいかがですか?」


「ああ。門派の特訓で負った怪我も全快だ!もうピンピンだぜ」


「それは何よりですね」


 のぞみはキョロキョロと辺りを見回してから、ヌティオスを見上げた。


「ヌティオスさん、ツィキーさんは見ましたか?」


「ああ。ツィキーなら向こうにいたぞ」


 ヌティオスに案内された別の円の隅に、ジェニファーの姿があった。

 彼女は無表情で、自分のマスタープロテタスを見ていた。

 

 のぞみとヌティオスが近付いても、ジェニファーは全くその気配に気付かず、思考の海に潜りこんでいるようだった。


 のぞみは、ジェニファーが眺めている映像を裏側から見る。

 それは写真だった。写真の中でジェニファーは、年少の男の子を抱きしめ、二人とも朗らかに笑っている。その後ろから、少し年配の男性が腕を広げ、妻らしき女性とジェニファーたちを、張りつくほど抱きしめていた。

 のぞみはハイニオスに来てから今まで、こんな表情のジェニファーを見たことがない。


 目の前にいるジェニファーをもう一度見ると、黒目の中で星がちらちらと揺れていた。


「ツィキーさん」


 のぞみの声を聞いた時、ジェニファーは一瞬だけ飛び上がりそうになった。そっとしておいてほしかったのか、のぞみの方を見たジェニファーの顔には嫌悪感が浮かんでいる。


「Ms.カンザキ。君、何故ここに?」


「あと二組でツィキーさんの番ですよね?応援に来ました。それ、素敵な写真ですね。ご家族ですか?」


 ジェニファーはマスタープロテタスを見ると、直ちに映像を切った。


「君には関係ない!私を応援する?それはどういう意味だ」


「ツィキーさんは、ルビス先生のダンジョンの課題で一緒に戦い、クリアした仲間ですから。応援するのは当然のことですよ」


「ハッ、くだらない。あんなもの、機元端ピュラルムがランダムで選んだだけだろう?偶然の結びつきは、ミッション終了までだ。私には君と友情ごっこを続ける暇などない」


 冷たくあしらわれ、のぞみはランの悲しみがよく分かる気がした。だが、今のジェニファーは明らかに、初めてハイニオスで声をかけてくれ、色々なアドバイスをしてくれた彼女とは様子が違っている。まるで窮地に陥った野獣が、唸りながら、何度も爪を振るって威嚇しているように見える。


「薄情だな、ツィキー。オ、オレたちはたまたま集まったのか?皆同じ2年A組だろ、それって、仲間じゃないのか?」


 見上げるように首を伸ばし、ジェニファーはヌティオスを睨んだ。


「黙りなさい。彼女と馴れ合うのは君の勝手だがね」


 ジェニファーは、これから殺すより他に選択肢のないターゲットとなど、付き合いを続ける意味はないと思っていた。


「ツィキーさんと一緒に戦ったこと、よく覚えていますよ。任務を遂行することの大切さ、教えていただきました。ツィキーさんが全力を出してくださったおかげで、魔竜ベルティアートも倒せて、皆を助けられましたよね?」


 ジェニファーは、のぞみの言葉を否定することもなかったが、どこか投げやりに「それがどうした?」と言った。


「ツィキーさんは、引き受けたミッションは必ず達成する方です。それに、無関係の人を巻き込まないようにしたり、できる限り、チームメイトの犠牲を最小限に抑えようと努力を惜しまない方です」


「当然だ。指令されていないものに被害を出さないことは、プロとしてのテーゼだろう」


「ツィキーさんは、内容を問わず、どんなミッションでも受けられるんですか?」


「そうだな、人を選ばない場合はある。私は自分の大切なものを守るためなら、どんなミッションでも迷いなく遂行する」


 その言葉から、のぞみはこの暗殺が、ジェニファーの意志ではなく、誰かの指示に従っているだけであることを悟った。


「それは一つ、安心です」


 のぞみはジェニファーの言葉を信じ、和やかに微笑む。


「ツィキーさん。もしも一つ、願いが叶うなら、ツィキーさんは何を願いますか?」


「君は神か聖霊にでもなったつもりか?君に願いを言ったところで、叶えてくれるわけじゃないだろう」


「私は生家で巫女をしていたんです。自慢ではないですが、生家で祀っている神様にはとてもご利益があると言われているんですよ?ツィキーさんが望むなら、絵馬を創りましょうか?どこの言語でもきっと神様には通じますから、良かったら願いを聞かせてください」


 食い下がるのぞみから視線を外し、ジェニファーは不愉快そうに呟いた。


「家族の安全と自由……」


「素敵な願いですね……。分かりました。ツィキーさんの願いが叶うように、ちゃんと絵馬を創りますね。きっと神様に届きます」


 のぞみの笑顔は、春の陽射しのように、あまりにも眩しい。心を魔に巣食われたジェニファーにとっては直視するのも辛く、思わず下を向いた。


「馬鹿馬鹿しい」


 のぞみは全くグラムを纏っていなかった。ジェニファーは、今なら腰のベルトに差してあるさいで簡単に刺し抜くことができるだろうと思った。


 この世界では、他者の物理的・心理的なシークレットゾーンに踏み込みすぎた場合、武力で相手を追い払うこともできる。たとえ相手が重傷を負ったとしても、自衛権が認められれば、猶予処分の判断を受ける可能性もあった。


 だが、ジェニファーは釵に手をかけなかった。

 その一つの理由は、5メートル先に座っているコミルだ。彼は不気味な笑顔のまま、先ほどからずっとこちらの様子を窺っており、鋭い目付きで「ボクが見ているよ」と告げている。


「テスト前にこんなおかしなことを言って、私の気を乱すつもりか?!」


「そんなつもりでは……」


「うるさい!君はもう下がりなさい!」


「すみません……。テスト、頑張ってください」


 のぞみは本気でジェニファーに協力したいだけだった。彼女の悩みや暗殺の首謀者について知りたかったが、直接聞くわけにはいかなかったので、少し回り道な話し方をしてみた。だが、今はこれが限界だろう。のぞみは切ない気持ちのまま、ジェニファーの元を去った。

 ジェニファーの機嫌が悪いと思ったヌティオスも、のぞみの後を付いていった。


 一方のジェニファーも苦しい心境だった。

 例えば今この待機室で、彼女を暗殺することもできたかもしれない。しかし、他クラスの心苗コディセミットも多数いるここではあまりにリスクが高い。どんなに上手くやっても騒ぎになって、テストは中断。下手をすれば取り調べを受けることになる。今は怒鳴って追い払うくらいが関の山だった。


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