ヴァイオレット・アイズ

髙木ルイ

第1話 青紫色の花

私の人生に孤独が訪れてから、もう1年が経とうとしている。私の両親は、昨年、私が高校に入学する直前に、交通事故で亡くなった。それから私は、孤独を抱えながらも、それなりに強い心を持って生きてきたつもりだ。具体的には、まず、通う予定だった全日制高校には入学せず、通信制高校に入学した。これによって、かなり時間の融通が利くようになったので、空いた時間にアルバイトをして、生活費を稼いでいる。基本的にはアルバイトに没入し、時々、学校に登校する……そんな日々を、この1年の間、送ってきた。もちろん、両親の死が悲しくないはずがない。しかし、両親を亡くした今現在、頼れるものは自分自身だけで、私は感情を押し殺して生きる決意を固めるほかなかったのだ。

今日もいつも通り、アルバイトに励んだ。いつもより帰りが遅くなってしまったものの、夜道には、心地よい風が柔らかく吹き抜けていく。少し、遠回りして帰ろう。そんな思いが心に芽生えた。冬の澄んだ、気持ちよく深呼吸のできる空気が満ちている。私は冬のこの空気が好きだ。綺麗な満月が見下ろす中、いつもと違う道を、好奇心のままに歩いていく。そして、知っているような、知らないような、そんな道に出た。ここは恐らく、商店街。既に全ての店のシャッターが下ろされている、寂れた商店街だった。夜の商店街には、人の姿はなく、ただ静かに朝を待っている空間のように見える。そんな商店街を抜けると、仄暗い路地裏につながる道があり、なんとなく私はそっちの道へと進んでみた。ところで、私はこの時点で迷子状態だった。それでも、スマートフォンのGPS機能を使うのは、なんだか癪で、そのまま直観の通りに歩いていた。

ふと、青白い光が私の視界に入る。その青白い光を放つ何かは、路地裏の先の方に存在するようだった。気になって、少し歩くスピードが速くなる。そうして見つけたそれは、紫がかった青色の綺麗な一輪の花だった。形はチューリップに似ているが、どこかそれとは違う。水彩で描かれたような絶妙に儚い色をしたその花は、まるで満月の光に呼応するかのように光を放っている。非常に不思議な花だ。……私は、その絶妙に儚い花びらに、触れてしまっていた。

————その一瞬のうちに、私を取り巻く景色は一変した。夢か現実かわからないほど、突然の出来事。

「ここ、どこ……?」

はっきりとわかる。ここは、私の知る場所ではない。私の周りには、端正に手入れをされた真っ赤なバラの咲いていて、背後には、洋館のような建物が立っている。そして何よりも不思議な光景が、空に浮かぶ満月が綺麗な紫色であることだった。……そうだ、さっきの花は?そう思ってそちらに目をやると、不思議なことに、あの紫がかった青色の花は、私の目の前ですっとその姿を消した。一体、何事……?

そのとき、誰かが歩み寄ってくる足音がして、反射的に私は視線をそちらに向けた。

黒髪短髪の男性の姿を、私の視界が捉える。アジア系の顔立ちの彼は無表情で、何を考えているのかもよくわからない。そんな彼が、そのショコラブラウンの瞳で私を見据え、口を開いた。

「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

そう聞かれたが、彼から発せられた言葉は英語だった。私の亡き祖父がイギリス人だったので、私は一応英語は話せる。むしろどこか懐かしい気さえした。

「藍川エマ……です。」

私も英語でそう返す。この会話の間でさえ、彼の表情は変わらない。

「では、エマ様。ご主人様がお呼びです。参りましょう。」

淡々と続く英語での会話。しかし、彼の言葉には何の感情もこもっていない。しかし、ここは素直に受け入れるべきところだろうと思い、私は立ち上がって、彼についていくことにした。

真っ赤なバラが咲く庭園を後にして、私たちは洋館の中へと入っていく。

「申し遅れました。私、ラ・ロンファと申します。ロンとお呼びください。」

洋館の長い廊下を歩きながら、彼がそう名乗った。その名前の時点で、日本人ではないことがわかる。恐らく、中国人だろうか。彼が身に纏う服も、いわゆるチャイナ服っぽいし、そんな気がする。彼に聞きたいことは山ほどあったが、彼には必要最低限のこと以外を話すような素振りがまるでなかった。何も聞けないまま、私はただただ彼の後ろをついて歩いていく。そして、とある部屋の扉の前で彼が足を止めたので、私も立ち止まった。彼はその扉をノックする。

「ノア様、失礼いたします。」

彼が先ほど言っていた”ご主人様”とは、きっとこの扉の向こうにいる、”ノア”という人物なのだろう。

「入っていいよ。」

扉の向こうから、どこか艶っぽい、色気のある声が返ってきた。扉が開かれ、広い部屋の中へと、私は導かれる。そこにいたのは、肩より少し長い、紫がかった銀髪と、横に流した前髪の隙間から見えるサファイアブルーの瞳を持つ、モデルのような容姿を持つ男性だった。私と目が合った瞬間、その人物は、一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに艶めかしく微笑む。

「いらっしゃい。そこに座って。」

銀髪の彼は、自分が座っているソファーの、ローテーブルを挟んだ向かいにあるソファーを指差して言った。何もわからないまま、私はその指示に従う。

「ロン、下がっていいよ。」

私をここまで連れてきてくれた男もまた、銀髪の彼の指示に従い、この部屋を出て行く。

静かさが急に自己主張をしてきた感覚がした。その静かさを打ち破ったのは、目の前の彼の声。

「俺は、ノア・ローズブレイド。ノアって呼んで。この屋敷の主で、この世界の王子。よろしくね。」

「藍川エマです。」

名乗ったものの、何から聞いていいのかがまるでわからない。そんな私の思考を読み取ったかのように、ノアは口を開いた。

「色々と説明が必要だね。」

少しだけクスッと笑いながらそう話すノアは、とにかく色っぽい。絶対、私よりも色気がある。なんだか負けた気がするのは気のせいだろうか。私のそんな考えなどつゆ知らず、ノアがまた口を開く。

「ここは、魔界。魔族の生きる世界。」

この瞬間、私の思考回路がフリーズした。

「エマ、君が触れた花のことを、俺たちは”転送花”と呼んでいる。魔力を持つ者を人間界から魔界へと誘う為に咲く花だ。咲くときは常に対になって咲く花で、1輪は人間界に、もう1輪は魔界に咲く。そして、人間界に咲く1輪の花弁に触れることで、もう1輪が咲く魔界へと瞬間移動できる仕組みになっている。エマは転送花によって魔界へと導かれた、というわけ。」

淡々と、でも丁寧に、彼は説明をしてくれる……が、しかし、いまいち状況が飲み込めない。何もかもが理解しがたいけれど、百歩譲って、この世界は人間の世界ではなく、魔族の世界だということは認識できたとしよう。でもそうすると、さらに別の疑問が出てくる。

「その説明だと、私は魔力を持っている、っていうことにならない……?」

 必死に自分の脳内を順応させた上で出てきた私の純粋な疑問に、ノアは「頭がいいね。」と言いながら微笑んだ。

「この世界に入れるのは、魔力を持つ者だけ。今ここにいる時点で、エマは魔族だったってことだよ。」

その言葉を受けて、考えるより先に言葉が出る。

「そんなこと言われても、私に魔力なんかあるわけ……。」

「じゃあ、試してみる?」

私の言葉を遮って、ノアは妖艶な声で愉しそうにそう言った。何を試そうと言うのか、まるで何もわからず、呆気にとられているうちに、ノアは傍らにあった大きめの水晶玉を私の目の前に置く。

「魔族が繁栄してきた歴史の中で、もちろん魔法も進化してきた。今では多種多様な魔法が存在する。この水晶玉で、エマの持つ魔法がどんなものなのか見てみよう。」

なんだか、そろそろこの不思議な環境にも適応してきた気がする。いい意味で無駄に驚かなくなった。

「エマ、両手で水晶玉を包むようにして手を添えて。」

言われた通り、私は水晶玉に手を添える。そうすると、水晶玉は淡い紫色の光を放つようになった。水晶玉の中をよく見ると、何かが浮かび上がって見えるけれど、私にはそれが何を示しているのかまるでわからない。

「……これは……、。」

そう声を発したノアの表情を見ると、これまで私に一切見せてこなかった、驚きと焦りが混じったような表情をしていた。

「……エマ、ちょっとそのまま動かないで。」

ノアのその声は、私がこれまで聞いたどの声よりも真剣だった。そして彼はソファーから立ち上がり、この広い部屋の片隅にある本棚の前へと移動する。私が座る位置から見える限りでは、かなり古い本がいくつも並んでいるように見えた。

「これ……じゃないな。もっと古い本……。」

ひとり言を漏らしながら、本を手にとって開いては閉じ、本棚に戻す動作を繰り返すノア。でも、そろそろ彼に言いたい。私、今のこの体勢をキープするのに疲れてきた、と。そう思って口を開こうとしたその瞬間だった。

「これだ。やっぱりこれだったか。」

ノアが一際大きな声を発し、ある本のあるページを開いた状態で、それをこちらに持ってきた。先程の定位置に戻ってきた彼は、水晶玉と本とを見比べて、「間違いない。」と言葉を発する。それと同時に、「手、離していいよ。」との許可がやっと下りた。しかし、ノアの表情は深刻だった。

「エマ、君の使える魔法は、”回復魔法”と”予知魔法”の2つだ。でもこの2つの魔法は”古代魔法”と呼ばれていて、今では使える者がいない魔法……のはずだった。」

何か不思議なことが起きているということは、私にもなんとなく想像がつく。

「なぜエマが古代魔法を使えるのか……。とにかく、エマを野放しにしておくことは避けた方が良さそうだね。」

「私、危険人物扱い……?」

「ううん。そんなことはただの口実で、本当は俺のわがまま。」

一瞬で、何の話をしているのかがわからなくなってしまった。ノアはゆっくりと立ち上がり、私の隣へと移動してくる。そして、私の頬に優しく手を添え、その妖艶な瞳で私を見据え、こう言葉を発した。

「俺がエマのこと気に入ったから、この屋敷にいてもらうね。……俺の婚約者として。」

急に胸がドキッとして、目を逸らしたくなったけれど、ノアがそれを許してくれない。

「……待って、話が飛びすぎてわからない……!しかも婚約者!?急すぎるでしょ!」

「じゃあ、エマは今日からどこで生活するの?行く宛もなければ、人間界にも帰れないんだよ?」

言われてみると、確かにそうだ。私には行く宛がない。例えば、今からこの屋敷を飛び出したとしても、私はきっと野垂れ死ぬ。

「これは契約だよ。俺の婚約者を名乗ってくれるなら、この屋敷に住まわせてあげる。」

契約……、。

「あくまでも、名乗るだけだからね……。」

「ありがとう。もちろん、いつかは俺のことを好きになって欲しいけどね。」

気のせいだろうか。艶っぽく笑う彼の表情に、一瞬だけ翳りが見えた気がした。それが気になって、しばらく彼の瞳を見つめていると、彼は何かを思いついたような表情をした。

「そうだ、契約の印をあげるよ。」

契約の印……?何だろうと思っていると、彼の右手が私の両目を覆って、視界が真っ暗になる。

「ちょ、……。」

「はい、できた。」

急に視界が開けて、一瞬眩しさすら感じた。ていうか、”できた”って何?……そう思っていると、ノアが傍らにあったシルバーの手鏡を私に渡してくる。

「見てみて。」

その彼の指示に従って、私は手鏡に自分の顔を映した。

「え……?」

それと同時に口から素っ頓狂な声が漏れる。映っていたのはいつもの私なのだが、瞳だけが違う。黒色だったはずの私の瞳は、紫色に変わっていた。ノアは呆然とする私の顔をクイッと自分の方に向かせ、艶めかしい笑顔を浮かべる。

「長い黒髪には紫の瞳が似合うね。俺好みだよ。」

こいつ、絶対自分がやりたかっただけでしょ……!

「ていうかこれ、カラコンとかじゃないよね?」

素朴な疑問をぶつけてみると、

「カラコン?何それ?」

という返答が返ってきたので、どうやら本当に瞳の色を変えられてしまったらしい。「いや、なんでもない。」と言って、この話題を切り上げた。

「ところでエマは、俺と一緒の部屋で生活してくれる?」

私の髪を撫でながら、ノアはそう言葉を発したけれど……ちょっと待って。

「えっと……それは強制?なんかされそうで怖いんだけど。」

私の返事に、ノアはクスッと笑った。

「冗談だよ。部屋はいくらでもあるから、ロンに準備させるね。」

心臓に悪い冗談だ。ノアはそんな私の思いなどつゆ知らず、部屋のベルを鳴らして、私をここまで案内してくれた彼を部屋に呼び、指示を出す。私がノアの婚約者となったことまでノアは彼に話していた。一通りの指示を受けて、ロンが下がったところで、私はふと思った。

「なんかロンに申し訳ないから、何か手伝うことあったら私にも手伝わせて欲しい。」

「だめだよ。エマは俺の婚約者だから。何かあったら全部ロンに頼んで。この屋敷の使用人はロンだけだから。」

私の主張は一蹴される。慣れないなあ……この待遇。私は偉いわけでもなんでもないのに。

「それから、この屋敷には、俺とエマとロンしかいない。気を遣わずに過ごしてね。」

この広い屋敷に3人しかいないのか。それは確かに無駄に気を遣わなくて済みそうだ。そして、そのうちの1人のロンは、しばらくしてからノアの部屋に戻ってきた。

「エマ様、お部屋の準備が整いました。ご案内いたします。」

ロンは言葉遣いは丁寧なのに、表情が無愛想だ。

「エマ、今日はゆっくり休んで。おやすみ。」

そのノアの言葉に「おやすみなさい。」と返して、私はロンと共に、ノアの部屋を後にした。


こうして、私の魔界での生活が始まった。

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