エピローグ

 ――声が、止んだ。

 近くから、遠くから、あらゆる場所から聞こえていた、助けを求める人々の声。魔族と戦う戦火の音。それがある日、ふいに消えた。

 その日私は、ほんとうに久しぶりに、私のまま目覚めた。眠りをほとんど必要としない体の、ほんの少しの睡眠……いつもは、助けを求める声によって叩き起こされ、ただ力をふるうのだが、その日は違った。まるで今までのことが全部夢だったかのように、ゆっくりと、私は目を開けた。

 おそらくフィン王国近郊の、森の中だった。朝日が差しこみ、鳥が鳴く声と風にそよぐ葉の音が聞こえる。向かうべき地点だけを指し示す光はなく、耳をふさぐ救援要請の轟音もない。静かな、ほんとうに静かな朝だった。

「……えっと」

 私は思わず、そんな無意味な声を出してしまった。何せ、【使命】から完全に解放されることなど、今までまったくなかったからだ。

 もちろん、一日に数時間ぐらいは……そして、あの〈汚濁の邪竜〉にありったけの魔力をぶつけて焼き払ってからは出力が落ちたためか、もう少し頻度が上がったが……私が意識を取り戻す時間はあったが、それでも頭の奥で声が鳴り響いてた。今はそれもない。

 なぜいきなり声が消えたのか?自分の中から【何か】が出ていった感覚はない。今も全速力で駆ければ隣国まで数分でたどり着けるだろう。実は人間が全くいない場所まで来てしまった?そうではない。この森は以前通ったことがある。ならば王城からそこまで離れていないはずだ。そうすると、考えられる可能性は一つ。

 、ということだ。

 そこまで考えたところで、いつのまにかポケットに入っていた封筒のことを思い出した。


 『モーガン殿 草月の10日、以下の場所にお越し下さい』


 どういうわけか、指定された日付は今日の日付だった。そして、その差出人に、私は覚えがあった。

 堅苦しい文章に、懐かしい文字だった。相変わらず字がヘタで、筆圧が強すぎるのが端々から見て取れる。指定された場所は、ここからほど近い。きっと彼が、ここで私を待っているのだろう。

「久しぶりに、会いに行くか」

 ユージーン。元気にしているだろうか。

 

――


「うん……静かで、いい朝だね。おはよう、主人」

「ああ、おはよう、ハラウラ……」

 『みなの湯』の番台に立つユージーンのところに、さきほどまで隣にいたホロンのかわりにハラウラがやってくる。挨拶を返すユージーンの様子は、どこか普段と違ってそわそわしているようだった。

「……大丈夫だよ。みんながんばってくれたじゃないか。きっとうまくいくよ」

「それは、そうなんだが……」

 ユージーンが不安になるのもムリはない。人間と魔族のサウナ外交から1年余りが経ったこの日は、ユージーンが両種族にはたらきかけて作った、初めての休戦日……つまり、人間と魔族の争いを一時的に止める日だった。


 ショチトの手引で周辺地域の魔族側の了解は比較的簡単にとれたが、その後は苦労した。ハラウラやラクリやホロン、それに『みなの湯』の常連になった魔族たちの働きかけのおかげで、なんとかこの日一日だけ、人間を襲わないことを約束させることができた。

 人間側は主にフィン王国や騎士団との交渉になったが、これは想定していたよりもかなり順調に進んだ。といっても、1年たらずで魔族との融和が進んだ、というわけではない。この日を騎士団の創立記念だとかで「兵士たちの休日」として、祝日とすることが決まったのだ。王族のセレーネ姫が提唱し、教会がそれを後押ししたのだという。何でも、とある大司祭が是非にと勧めたため、教会としてもそれを無視できなかったとか。


「……ユージーン。きみがやってきたことは、たしかに今、実を結んでいるんだ。あとは、彼女を歓迎してあげるだけだろう。きみが、いつもお客にしているみたいに」

 ハラウラはユージーンの背中を、小さな手でポンと叩いた。

「そうだな。……ありがとう、ハラウラ。ここまで来れたのも、お前のおかげだ」

「よせやい、照れるだろ……ボクは、好きでやってるだけさ」

 二人の間に、静寂が流れた。

「そういえば……彼女に来てもらうのは、きみの目標だったろう。実現したら……つぎは、どうするのさ?」

 ユージーンは目線を下げ、ハラウラの耳をなでながら応えた。

「そうだな……。いろいろあったな、騎士団を追放されてから……」


 これまでの『みなの湯』のこと、そして集まってくれた者たちのことを、ユージーンは思い出す。騎士団を追放されたユージーン、ウ族の里を追われていたハラウラ、同種族の群れから逃れてきたラクリとホロン。変わり者のマ族のショチト……みな、どこか普通からはずれ、居場所のない者だったのかもしれない。だが、『誰にでも安らぐ権利がある』。人間も魔族も受け入れ、安らぎを平等に与えるサウナだからこそ集まり、出会うことができたのかもしれない。


「……だから、まあ、これまで通りだな。魔族でも人間でも、誰でも受け入れて……サウナを楽しんでもらえれば、俺はそれでいい」

 ハラウラはユージーンの言葉に、静かに微笑んだ。

「そうだね、それがいい……例え追放されたって、サウナさえあれば幸せになれる。そんな場所でいられたら、きっとすばらしいだろうね……」

「ああ、そうだな」

 ユージーンも、彼女に穏やかに微笑み返した。

「できれば、水風呂と外気浴スペースもつけてほしいがな」

「ふふ、違いないね……おや、今日のお客が来たみたいだよ」

 『みなの湯』の入り口の扉が開き、朝の光がカウンターに差し込む。やってきた客に、ユージーンはいつもどおりに挨拶した。

「いらっしゃい」


異世界で追放されても、サウナさえあれば幸せです

―できれば水風呂と外気浴スペースもつけてください―


おわり

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