3.手伝い

 空腹を刺激するほのかな香りに目を開ける。

久しく見ていなかった夢を久々に見たが、どうやら眠ってしまったようだ。


 体を起こすと、テーブルに椀を置いていた黒目と目が合う。


「あ、起きた?」


 改めて明るい場所で見ると、随分整った顔をしている。

筋肉の無い細い人属だが、この世界の母性を司るフィルメとして将来はかなり有望だろう。


 長い髪を後ろにまとめ、穏やかにニコリと笑う。

その顔は全くすれていない。

ここが俺のいた所からそう遠くない場所なら、黒目黒髪のこの少年は誰にも汚される事もなく奇跡的に過ごしてこられたのだろう。


 いくら瀕死の状態だったとはいえ俺は獣人の中でも背は高いし筋肉もあり、耳と尻尾で肉食系の獣人だとわかったはずだ。

肉食系の獣人は例外なく何らかの魔力を保持している上、剣術や体術に長けている可能性だって俺の出で立ちから予想できる。

手足の傷も癒えた今、人属の魔力量がどれだけ多くても小さな子供などいくらでも組み敷ける。

まともな危機管理ができるなら、せめて鎖や縄でちゃんと縛っておくべきなのに、昨夜は真横で無防備に眠る始末。

こんな世間知らずな少年が街にいれば、確実に人身売買の人拐いにでもあって獣人達の手酷い慰め物にされたに違いない。

さっきから俺の耳と尻尾に目がいっているようだから、獣人自体が珍しいのかもしれない。


「君が助けてくれたのか?」

「うん、おじさんと約束したから。

····覚えてる、よね?」


 少し不安そうな顔つきになる。

その顔がやけに庇護欲をそそる。


 俺は獅子属の獣人で、父性を司るメルだ。

子供には優しいが、伴侶には加虐心を抱く肉食獣の一面がある。


 ちなみにこの世界を創ったとされる童話にも出てくる創造神ゼノリアは下位の魔獣や動物には雌を存在させた。

しかし竜のような力も知能も上位の魔獣や、種族は違っても人体を取る者の性は雄しか創らなかったとされている。


 白い肌に白い髪、藍色に金が散った目をしたこの神を信仰する教会からのみ孕み石を得る事ができ、メルが性を放ちフィルメが妊娠するが人属は全てフィルメだ。


「君と何を約束したんだ?

俺の手足は千切れてたはずだ。

なぜくっついている?

異能の治癒師でも千切れた手足をくっつけるなんて出来ないはずだが、何をした?」


 そう、どんな腕の良い治癒師も切断した手足は繋げられない。

獣人の中には稀に異能という内包する魔力量は関係なく何かに突出した能力を持つ者がいるが、過去にいた異能の治癒師でもぎりぎり手足が繋がっていないとくっつけられなかったらしい。

この少年は人属だ。

人属でも魔法は使えるが、数が少ないし魔力量が規格外に多いとされる黒を髪も目も纏う人属は王宮書庫の過去の文献を見ても実例は無かったはずだ。

そんな話は聞いた事がないのに、この現状はどういう事なのか。


「あれ、そうなの?

うーん····すごい出血はしてたけど、えっと、手足はくっついてたよ?

あのままだとこの寒さで死にそうだったから、連れて帰ったの」


 おい、少年よ。

目線があらぬ方を向いてて嘘がバレバレだぞ。


「それで?」

「えっと、連れて帰る前におじさんに僕のお手伝いしてくれるなら助けるよって持ちかけたら、おじさんは良いよって····」

「言ってないぞ」

「え、でもちゃんと頷いて····」

「だから言ってはいないな。

頷いたように見えただけだろう。

約束は不成立だし、俺の手足は千切れてた。

これは間違いない」

「えっ、えっと····」

「おじさんは騎士だ。

嘘はいけないぞ、少年。

君はどうやって俺の手足をくっつけた?」


 明らかに狼狽え始めた。

焦った感じが小動物のようで、かなり可愛らしい。

顔がにやけそうになるが、何とか厳しい顔を固定する。


「わ、忘れ····」

「嘘はいけないと言っただろう?」


 畳み掛けると少年はきゅっと口を閉じて俯いた。


 やばい、可愛い····あぁ、虐めたい。

その華奢な首筋を舐めたい。

その汚れのない体を俺の色に染めてやりたい。


 そこまで暴走しそうになって、いかんいかんと己を戒める。

まだ子供だ。

匂いも子供特有の未成熟な乳の匂いだ。

だが、微かに違う甘い香りがする。


「····秘密····」


 ボソッと呟く。

駄目だ、膨れた頬がこれまた可愛らしい。

思わず笑みがこぼれる。


「秘密か。

なら、仕方ないな。

それで、何を手伝って欲しかったんだ?」


 こっちを向いた黒目がキラキラ輝きだしたように見える。

幻覚か?

可愛すぎる。

やばい、近くに寄ってきたけど、何だ、この甘く心地良い匂いは。


(あー、この子、番だ)


 俺は本能的に確信してしまう。

昔から会えば番だと分かると言われているし、俺の周りの番持ちもそう言っていた。

その意味がようやく分かった。


「僕、ここに1人で住んでて、もうすぐ冬なのに、でも薪がたりないの。

去年それで危うく凍死するかと思ったから、早く作らないといけなくて、でもどうしたらいいかわかんなくて、秋も終わってて····」

「手伝いって、そんな事か?

というか君はそれより前は親といたのか?」


 もっと何かふっかけてくるかと思ってたから、拍子抜けだ。


「えっと、だから手伝って欲しいって思って。

人手、ていうのかな、それも無くはないんだけどそういうの嫌がられちゃうからなかなか頼めなくて。

どうせあんな所で見かけたら助けるしかないんだし、でもおじさんにも嫌がられたら何かなって思って。

ほら、おじさん力強そうだから、薪割りもすぐに終わるかなって。

あ、でもやっぱり知らない家の薪割りとか面倒だよね。

ごめんね。

親じゃなくて、もう亡くなったお爺ちゃん達から家を譲り受けたの。

親は最初からいないよ。

いたのかもしれないけど、少なくともここにはいない」


 再びしょぼーんと俯く。

いや、本当に可愛すぎるからやめてくれ。


「それくらいは手伝うさ。

君のお陰で命拾いしたんだ。

親の事は、見ず知らずの者が無遠慮に聞くべきではなかったな。

すまない。

俺はグラン=ウェストミンスター。

まだ30才だからおじさん呼びはちょっと傷つく。

グランとか、ランとか気軽に呼んで欲しい」

「本当に?!

良かったぁ!

ありがとう、グランさん!

僕はレンカ=キサカ。

レンて呼んで」


 レンの笑顔に鼻血が出そうだ。

名字があるということは、元は豪商以上の身分だろうか?

ただの平民なら名字はないはずだ。

そのうちちゃんと教えてもらおう。

さすがにこれ以上はまだ踏み込むべきではないだろう。


「あぁ、安心しろ。

騎士は一宿一飯の恩は忘れん。

他に手伝って欲しい事はあるか?」

「うーん····ない····多分?」

「ふ、手伝える事は手伝ってやるから、ちゃんと言うんだぞ」


 そっと手を伸ばして頭を優しく撫でる。

髪の毛がサラサラじゃないか。

レンはくすぐったそうに目を細めて頷いた。

その顔と夢で見たあの幼児が少しだけ似ている気がした。

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