エピローグ
氷鏡京太郎
――
娘の
「パパ、頑張ったじゃない」
「運動不足かなぁ、もう走れないや。もしくは年齢のせいかな」
「なに言ってるの、まだ三十三でしょ。男が一番輝くのは三十代って言うじゃない」
妻の言葉を受けて、僕は苦笑する。一番輝いているかどうかは分からないけど、一番幸せなのは間違いない。可愛い娘にも恵まれて、巴絵のお腹の中にはもう一人、男の子が宿っている。一姫二太郎だねって巴絵に前に伝えたら、そんな義務みたいに言わないでって言われたけど。
僕達の結婚式から三年、居なくなった二千華を武大は探し続け、遠い九州の地で彼女をようやく見つける事が出来たと連絡があった。その言葉はまるで十代の頃の様に弾んでいて。何年も探し、想い続けている間に、どうやら武大の想いも変化していたみたいで。
「まさかそのまま二人で住むなんてね」
「本当、二千華さんの心が落ち着くまでは私達に会いたくないって言ってるし。もう私達もいい大人なんだから、気にしなくてもいいのにね」
会いたいと伝えた巴絵だったけど、武大を通じてそれは断られてしまった。まだ、もう少し時間が欲しいという言葉と共に。
時間はいくらでもある、そう思い毎日を過ごしてきたけど。
気付けば武大の連絡から更に五年が経過している。
僕達に向かって走ってくる娘だって、もう五歳だ。幼稚園年長ともなれば身体も大きくて、元気も一杯で。僕に対して微笑んだあと、早く出て来て一緒に遊ぼうねって巴絵のお腹に語り掛ける。
幸せって、こういう事を言うんだろうなって、心の底から思う。
色々な事があったけど、過ぎ去ってしまえばそれらは全て過程として美化される。
何か一つでも足りなければ、きっと今の幸せは無かったのだろう。
そう伝えると、巴絵もそうねって頷いて。
「氷鏡課長、守衛から連絡です」
その連絡は、僕が帳票に目を通している時だった。僕に対して個人的に会いたいと言っている人がいる。本来稼業時間はダメなんだけど、その風体を伺い、僕は課長権限を発動させた。今すぐに会うと。
帳票をしまい、隣に座る班長へと残務を頼むと、僕は商談室へと向かう。足が自然と速足になってしまい、曲がり角で他の従業員とぶつかりそうになってしまう事もあったり。ヒヤリハットや安全月間とか決めてる僕が規律を破ってちゃ意味がないよな、そう思いながらも、足は加速した。
「お待たせしました」
扉を開けて目に入ってきたのは、引き締まった体躯に、日に焼けた肌。傍から見るとどこかの不良中年に見えなくもないが、その表情はとても微笑んでいて。旧友との再会を懐かしむ男の顔だ。
そして、僕はその横に座る女性へと視線を移す。
男の笑顔とは対照的に、俯いたままで、僕の方をチラリとも見ようともしない。でも、それでいい。彼女からしたら今ここにいる事が、何よりもの勇気の証なのだから。
春先に着心地の良いチュニックスタイルにロングスカート、ショートボブへと髪型が変わっていたけど。それでも、僕は彼女が誰だか一目で分かる。
「武大、二千華、久しぶりだね」
声を掛けながら席に着くと、二千華が少しだけ僕を見て、また目を伏せた。そんな二千華の頭を優しく撫でながら、武大が頭を下げる。
「五年ぶりだな、二千華からしたら八年ぶりか? ようやく落ち着いてきたみたいでな……謝りたいって言ってたんだけど。いざ本人を目の前にしたら、ちょっと厳しいみたいだ。悪い」
「いいよ、そんなのを責める訳ないじゃないか。……二千華」
僕の声に少しだけ反応し、顔を上げる。随分とやつれているみたいだ、春なのに日に焼けて小麦色の肌をしているし。やつれている……というよりも、引き締まった感じかな?
「今は、何をしているの?」
「…………畑」
小さいながらも声に出してくれた事に喜び、僕はそのまま彼女に語り掛ける。
留置所で叫んでいた二千華とは比べ物にならない程に静かな喋り方だったけど、なぜだか僕にはこれが本来の二千華なんだろうなって感じる事が出来た。自分の居場所を作る為に嘘を付き、自らを壊していたあの頃の二千華は、きっと無理をしていたんだ。
「畑か、僕じゃ役に立ちそうにないね。武大には丁度いい感じかな?」
「そうだな、鍛えた体が無駄にならないで済んだよ。とはいえ、今はほとんど機械だけどな。幸い格闘家時代の稼ぎがあったから、なんとか。それよりも、課長とは出世したな、京太郎」
「ありがとう。課長程度、頑張れば誰でもなれるとか昔の漫画にあったけど。頑張ればの一言がここまで大変だったとは思わなかったよ。資格も取ったし、上司の信用も得ないとだからね。今日は定時で上がるんだ、時間はあるんだろ?」
僕が言うと、武大は微笑む。
巴絵に会わないで帰ったら、来た意味がないって言いながら。
ノー残業デイだった事も幸いし、定時になり次第僕はパソコンの電源を落とし、急ぎ待ち合わせの場所へと向かう。昼間と同じ服装の二人と合流し、僕の運転する車で愛する妻と娘が待つ家へと向かったのだけど。
途中、二千華さんは震えていた。一番迷惑を掛けてしまった相手に会うのが怖い。昔、病室で巴絵に睨まれた事が未だに頭から離れないのだと。
「安心して、もう巴絵も二千華さんの事を怒ってないから」
僕や武大が優しく語り掛けたけど、二千華さんはハンカチを目端に当てていて。
家に到着するなり、巴絵は玄関を開け車椅子で僕達の側までやって来た。
「…………ごめ、なさい……あの、全部…………」
小鳥のさえずりの様な声で二千華さんが巴絵に謝罪するのだけど。巴絵は二千華さんへと手を伸ばし、近寄った彼女をそのまま優しく包み込む様に抱きしめ、そして。
「お帰りなさい」とだけ言った。
僕達は、歪み切った関係だった。
直すには、一度全てを壊す必要があったほどに。
とても長い時間が掛かってしまったけど、僕達はようやく一つになる。
まだ三十代、人生の半分も生きていない。まだ、これからだ。
誰にだって幸せになれる権利がある。
いくつも失敗を重ねた僕達だって、幸せになれたのだから。
諦めるな。何度だってやり直せる。
「どうしたんだよ、京太郎」
「ん? ああ、ちょっと覚悟を決めてたんだ」
「なにそれ……ねえ、京太郎、二千華さんが作った野菜があるんだって。これで今日はポトフでも作ろうか?」
「あ、あの、結構地元でも評判なんで……きっと、美味しい、です」
「二千華と武大が作ってるんだろ? それは美味しいに決まってるさ」
「言ってくれるな京太郎のくせに。ま、俺と二千華の愛が込められてるからな」
「何だよそれ……あ、娘を紹介するよ、いつまでも外にいちゃアレだろ」
その日の晩、僕の家からは笑い声が絶えなかった。巴絵のお腹の中にいる赤ちゃんに二千華さんも声を掛けて、俺達もって武大が言って。楽しい一日だった。
この幸せを、永遠に守ってみせる。
僕達の失敗の一番の原因はコミュニケーション不足だ。
話し合おう、言葉にしなければ伝わらないし、始まらない。
僕は娘の絵京を呼び、何も言わずに抱きしめる。
会話が無理なら、身体で表現だってすればいい。
きっとそこには、無限の可能性が広がっているのだから。
――
fin
『後書き』
まずは、当拙作『だから僕達は幼馴染を辞めた』を最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。無事完結まで投稿出来た事を心から嬉しく思います。
さて、私事としての発表があれば良かったのですが……。申し訳ない事に機密上の問題があるらしく、この場での発表は控えさせて頂く事となりました。残念。
このまま何も無いと言うのも寂しいものなので、作者目線での物語の考察を、お目汚しにならない程度で語らせて頂けたらと思います。
まず京太郎君についてですが、この物語を通して彼は一人の男としての成長を遂げたのかなと思います。学生時代の頃は何も無い自分に対してコンプレックスの様なものを感じつつも、学校のスターとも言える巴絵と武大、この二人と肩を並べ過ごし、どこか肩身の狭い思いをしていました。
だからこその引っ込み思案、自分の価値を理解しているからこその一歩引いた考えであり、二千華が付いた嘘も幼馴染二人の幸せを想えば……だったのでしょう。
そして紆余曲折を経て巴絵との再会、婚約に至りますが、そこで彼が一番成長したなと感じたのは、招待状を武大と二千華の二人へ出すという決断をした事です。
勿論、彼は二千華との別れが完全には終わっていない事を理解しています。それまでの逃げの姿勢のまま、一方的に別れてしまったのですから。ですが、このままでは自分でも語っていた通り、より悪い障壁となっていずれ自分達を苦しめる事になる。もう巴絵を守るのは自分なんだ、そういった決意から武大と二千華へと招待状を出したのでしょう。
巴絵に関しては、多分彼女がこの物語の一番の被害者なのかもしれません。想いを告げたくても告げられず。頑固で努力家、だけど寂しがり屋。少し見栄っ張りな所も邪魔してしまったが故の歪み。素直になれたのは全てを失ってからでした。
途中の二千華の言葉にありましたが、まさにその通りなんじゃないかなって。面倒臭い事しないでとっとと告白すればいいのにって、私でも思います。だけど、それが出来るほど器用な子じゃなかったんですよね。勇気も無かったのでしょう。
そんな彼女が提案した「私達、結婚しない?」は、多分、弾みで出てしまった言葉なのかなって感じました。直後に否定もしてますし、それまでの勇気の無い彼女からしたらこれはとてつもない事で。本来なら、そこまでの意味を持つ言葉を言うつもりは無かったのでしょうが、言葉として出てしまったのは願望でした。
それは幸運にも受け入れられ、京太郎と巴絵は全く同じ考えを抱いたと言う事を知り……そこからは、もう語る必要は無いと思います。
武大ですが、彼も彼でくせのある人物でしたね。学生時代は自信過剰で、彼の周りには同調者しかいなかったのでしょう。周囲からの囃し立てもあったとはいえ、巴絵がいずれは自分の彼女になると信じて疑わなかったのですから。
完全に何も無くなった高校生最後の日、彼の苦しみはそこから始まりました。想い人への想いは伝わる事もなく、自分の周囲には相も変わらず同調者しか存在しない。腹を割って語れる相手が欲しかった。道場の師範にそこまで語る事もできないでしょうから、大学、社会人になってもずっと孤独だったのだと思います。
ただ、努力は止めない、一つの事に打ち込むこと。それこそが彼が人生を通して学んだ事でした。そして一人の女性の事が気になり始める。綿島二千華、自分と似ている二千華に気付いた時から、武大の心は揺れていました。
それこそ、学生時代の様に我武者羅に求めるべきだったのかもしれませんが、それで一度失敗している武大の動きは鈍く、連絡が付かないというだけで諦めておりましたが……ラストは、全てを捨てて二千華を求めてましたね。あの行動には過去の巴絵に近い物を感じましたが、読者様はどう感じましたでしょうか?
最後に二千華ですが、何気に第一話からいる彼女こそが、この物語最大のキーパーソンだったのではないのかと考えております。
輪に入ることすら出来ない女の子。語られこそしてませんが、彼女は失敗に失敗を重ねて生きてきました。口は災いの元、だけど、言葉を交わさないと交わる事は出来ない。不器用なんです、会話が下手くそなんです。沈黙に耐えられないんですよ。何でもいいから話題が欲しい、そんな無から生まれる話題は大抵が悪口です。京太郎君が邪魔、そこから生まれた彼女の行動は、やはりそれまでがあったからこそなのだと思います。
中学高校と逃げを重ね、遠方の地へと逃げたにも関わらず同窓である京太郎と再会し、話掛けられた喜びでなぁなぁに付き合いを始めてしまう。見方を変えればチョロインですが、彼女の人生を鑑みればそうなってしまう原因は顕著に出ています。話掛けられる事が好きなんです、頼られる事が大好きなんです。とても嬉しかったのだと思います。
そして別れ、サブタイトルにもある通り、やっと心通ずる相手であった京太郎との別れは、二千華には耐えられるものではありませんでした。18年生きてようやく願い叶った相手だったのに。平凡でも良かった、普通で良かった。なのに、それが破壊されてしまった。あの時の二千華の絶望は果てしないものだったのでしょう。
そしてあの惨劇へと繋がる訳ですが……。
余談ですが、二千華が望んでいた平凡や普通って、存外難しいものです。
普通ってハードル高いんですよ。私も全力で生きてやっと普通かなって思います。
さて、話変わりまして、たらればの所ではありますが。
もし書籍化等のお話があるようならば間違いなく加筆する場面がございます。
それは、巴絵が家を飛び出し京太郎の下へと向かうシーン。あの時、巴絵は京太郎の下へと向かう際に一日だけ遅れて向かっています。その事を知っているのは武大のみなのですが、あの日、巴絵が何をしていたのか。そこの部分は絶対に書くと断言します。何故一日遅れたのか、何故夏服だったのか。
他にも加筆しようと思えばいくらでも可能です。
高校生時代の巴絵や武大との修学旅行のシーン。
大学時代の二千華との甘い生活のシーン。
働き始めた巴絵と京太郎のデートシーン。
高木さんと巴絵の出会いのシーンなんかもですね。
個人的にボドゲ大好きなので、そういうので遊んでいるシーンなんかも本当を言えば書きたかった所なのですが……それらも、願い叶えばと言ったところでしょうか。カルカソンヌで遊ぶ巴絵と二千華とか、そういうラブコメも書きたい様な、私には求められてないような。
web小説はリズムが命。今作は中だるみしかねない内容は全てそぎ落としてしまいました。だからこそこの高い評価なのでしょう。うん。
さて、次作品についてのお知らせですが。
残念ながらこの二週間はずっと京太郎君に付きっきりでしたので、何も書き溜めがありません。新作構想はいくつか練ってはおりますので、そう遠くない未来に再度お目見え出来るかとは存じ上げます。その節は再度、応援の程頂ければ幸いでござます。
では、一旦の幕引きといたしましょう。
改めまして、この度は当拙作『だから僕達は幼馴染を辞めた』のご愛読、誠にありがとうございました。次回、皆様に会えることを楽しみにして、これにて閉幕とさせていただきます。
本当に、ありがとうございました。
令和3年7月18日
書峰颯
※2023/12/1 追記
昨今のコミカライズ化で幼馴染のPVが爆増している事に気付きました。
本当にありがとうございます。
今なら読者様への最高のプレゼンになるかと思い、この場をお借りして新作の宣伝をさせて下さい。
新作:僕は、非行少女と鎖で繋がる。
https://kakuyomu.jp/works/16817330666469627556
トイレで出産され生まれた時から瀕死状態、そんな親ガチャに外れた少女、火野上ノノン。
子供一人の力ではどうにもできない彼女は、非行の道へと足を踏み外す。
女という武器のみを使い一人夜の街を渡り歩くも、大人たちによって汚され、犯されていく。
おおよそ『普通の人生』とは程遠い彼女でしたが、一本の蜘蛛の糸が天から垂らされる事に。
青少女保護プロジェクト、トー横キッズに代表される非行少女を国が保護し、同世代の少年と共に生活させ、彼女を『普通の人生』へと戻すプロジェクトです。
青少女保護観察官として選任されたのは、普通の少し上の少年、黒崎桂馬。
同年代にして普通の人生を歩んだ少年と、普通の人生を歩めなかった少女。
二人が行きつく先は果たして『普通の人生』なのか。
是非とも心温まる物語を、読者様へとご提供できれば幸いでございます。
以上を持ちまして、宣伝とさせて頂きます。
お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
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