関ヶ原の戦い⑤

1.GO


 暖かな風が頬を撫でる。

 心地良い倦怠の中、俺はゆっくりと目を開けた。


「…………あ?」


 雲ひとつない青い空。野外?

 それにこれ――水の中に居る? 溺れるほどの深さはない極々浅い泉? 池? で寝ていたらしい。

 身体を起こすと水飛沫が舞う。濡れているというのに不快感はまるでない。

 良い陽気だからってのもあるがそれ以上にこの泉が……いや、そこはどうでも良い。


「どこだよここ……」


 視界いっぱいを埋め尽くす命萌ゆる自然はとても美しいが、こんな光景に見覚えはない。

 どうしたものかと棒立ちしていたら、ふと気配を感じた。

 視線をやると、


「アンヘル?」


 泉の畔にアンヘルが――いや違う。


「誰だお前?」


 外見は寸分違わずアンヘルだが中身が違う。

 隅から隅まで恥ずかしいとこも隈なく探索(意味深)した俺だから見ただけで分かる。

 肉体は完全にアンヘルのそれだ。しかしアンヘルではない。

 こっちは完全にフィーリングだが偽アンヘルが驚いたように目を丸くしているあたり当たっていたようだ。


「驚いたな。カールくんの感覚は本当に鋭いね」

「アンヘルみたいな喋り方は止めろ。テメェは一体どこの誰だ? 事と次第によっちゃ……」

「待って。カールくんの大事な恋人さんをどうこうしたってわけじゃないから」


 嘘は……感じない。


「喋り方もこうしなきゃコミュニケーションが取れないから……ああもう、櫛灘ちゃん! ちょっと来て!」


 櫛灘? どういうことだと問い詰めるよりも前に初代櫛灘姫が姿を現した。


「ああ、目覚めたのですね。本当に良かった」

「…………そうか。俺、くたばったのか」


 偽アンヘルが何なのかは分からないが初代さんが居るならそれはもう死後の世界だろう。

 そうか、ここが天国か。清廉潔白品行方正な俺が極楽行きなのは当然だが、それでも死ぬのは堪える。

 俺が勝ち名乗りを上げた時点ではまだ日付は変わってなかったと思うし……うわぁ。

 またか。またクリスマスを越えられずにくたばったのかよ俺……享年も同じ十七だし呪われてんのかなぁ。


「違います。カール殿は死んでなどいません」

「え? 死んでないの? マジか! いや当然か。俺みたいな良い奴が死ぬわけないよな!!」

「……とりあえず事情を説明しますので聞いてくださいますか?」

「ああうん。よろしく」


 曰く、勝ち鬨を上げた後、俺はその場で意識を失ったらしい。

 肉体はボロボロだったがそれでも戦場に刻まれた術式のお陰で一命は取り留められた。

 しかし、魂の方が問題だったらしい。


「八俣遠呂智の魂魄を蝕む毒に長時間侵されていたせいで幽羅殿ですら手の施しようがない状態でした」


 むしろまだ息があった方がおかしいのだと言う。


「ともかくです。葦原全ての恩人であるカール殿を死なせるわけにはいきません。

だから私があなたの魂魄を肉体から剥離させて高天原へと導いたのです」


「たか、まがはら……何だっけ。どっかで聞いたような」


 ああ、祝詞だ。庵が俺に草薙を渡した時の儀式で高天原に住まう何とかって言ってた記憶がある。

 確か神様の住まう領域だったっけか。


「はい。生前、天照大神と面識があった私は神域でならばカール殿の魂を癒せると考えたのです」

「ほーう。しかし人間が入って大丈夫なんかよ?」


 幾ら俺がジオングよりもパーフェクトな男だからって神様ん家に転がり込めるとは思えない。

 アウトかセーフかで言ったら絶対アウトだろう。

 俺がそう言うと初代はクスリと笑った。


「天照大神は快く受け入れてくださりましたよ。葦原を救った英雄に恩を返せるのならば是非にと」

「それはまたありがたいこって。俺も礼を言わなきゃな」

「では言ってあげてください」


 偽アンヘルを見ながら告げられた言葉に俺はギョッとした。

 え、天照大神? あの偽アンヘルが? 何でアンヘルと同じ姿を――そうか!


「アンヘルは天照大神の子孫だった?」

「違います。我々と語らうためにあの姿を取っておられるのです」


 神と人間。そのままではとてもコミュニケーションが成立しないのだと言う。

 チャンネルが違うのだ。ゆえに神は人とコンタクトを取る際はその者の記憶を読み取り親しい人間の姿を借りるのだとか。


「ちなみに余計な記憶は見てないから安心して良いよ」

「ああうん……あ、いやこれじゃまずいか。あー、まずは無礼をお詫び致します」

「ふふ、気にしないで」


 寛大なゴッドやのう。八俣遠呂智とは大違いやで。


「しかし記憶を読み取る力か。八俣遠呂智は何でそれを使わんかったんかねえ」


 最初は侮ってたからだとしても俺が謎の超強化貰ったあたりで使ってれば展開はまた変わってたはずだ。

 こっちの目論見がバレてたら最終進化も別の形になってただろうしな。


「そういう力が備わっていなかったのでしょう。まあ眷属化したり自らの内に取り込んだりすれば同じようなことは出来るかもしれませんが」


 もしくは進化のやり方によっては記憶を読み取る力を得られたかもしれない。

 そう語る初代だが……ちょっと待て。


「同じ神なのにか?」


 神と言っても荒事に長けているわけではないというのは幽羅から聞いた。

 権能っつーのかな? 出来ることに差があるのだろう。

 だが初代の話を聞くに記憶を読み取る力は神ならば備えていて当然の機能っぽい。

 何故、八俣遠呂智にはその機能が備わっていないのか。


「八俣遠呂智――九頭竜は人造神ですし」

「人造神?」

「上の世代が葦原に流れ着く以前の記録は抹消されており私も詳しく知っているわけではありませんが」


 九頭竜は元々、人の営みを助けるために作られた神なのだと言う。

 だが何かが切っ掛けで暴走し、滅ぼすことも出来ず田村麻呂の腹に封印されたのだとか。


「…………ああ、そうか。だから田村麻呂は九頭竜も感謝してるとか言ってたのか」


 何か妙なこと言ってるなと思ってたら……そういう背景があったのね。

 だが納得だ。人に作られたのなら人とコミュニケーションを取れて当然。

 記憶を読み取って親しい人間の姿を借りるなんて機能は要らんわな。


「まあ、天然物だからって優れてるわけでもないんだけどね。八俣遠呂智より力があるなら私が止めてたし」


 天照大神が苦笑気味に言う。

 彼女……彼? まあどっちでも良いか。彼女は彼女で八俣遠呂智については悔しい思いをしていたんだろう。

 だから初代さんの草薙を預かったり俺に療養場所を貸してくれたのだ。


「ちょっとした下心もあるんだけどね」

「下心? それはあれかな? 人間のエロい営みに興味が……」

「違うよ。カールくんさえ良ければ神にならないかって話」

「はぁ?」


 神? 俺が? いや確かに俺はゴッドクラスのイケメンではあるけどさ。

 普通に人間よ? ベルンシュタインさん家に生まれた珠のような男の子よ? ゴッドになんてなれるわけないじゃん。


「なれるよ。カールくんへ向けられている葦原の人たちの信仰があれば私が少し手を加えるだけで神格に至れるよ」

「信仰って……」

「カール殿の戦いは戦場を共にした者だけでなく葦原全ての人間が見守っていましたから」


 あの戦いを見て畏敬の念を抱かない者は居ないと初代は笑う。

 葦原全ての人間がってのも気になるが……それよりも何故、天照大神は俺を神にしようと思ったんだ?


「高天原には色々な神が居て中には戦う力を持つ神も居る。けど、誰も八俣遠呂智には及ばなかった」

「あれがおかしいだけな気もするけどね」


 それはさておき、だから八俣遠呂智に勝った俺を神にしてまた八俣遠呂智みたいなんが現れた時に備えようってか?

 つってもなあ。八俣遠呂智に勝てたのは色んな人の協力があったからこそだ。俺一人で殺ったわけではない。


「そうだね。でも同じように支援を貰ってもカールくんと同じことをやれる人は居ないよ。

私には分かる。カールくんが神になれば単独で八俣遠呂智を倒せるだけの力を得られるよ」


「ふぅん……そこまで言われて悪い気はしないが遠慮しとくよ」

「葦原にずっと縛り付けるつもりはないよ? 普段は故郷で暮らしてくれれば良いし」


 何なら庵たちも従属神という形でずっと一緒に居られるようにしてあげる。

 そう天照大神は言うが、俺は重ねて神になる気はないと断った。


「永遠になんか興味はないんだ。俺は限りある命をめいっぱい生きて……そんで笑って死にたい」


 何の因果か二度目の生を得た俺だが三度目が欲しいとは思わない。

 終わりがなくなり死に重さがなくなれば、生もまた軽くなってしまう。

 俺は俺の人生を全力で肯定してやりたいんだ。

 末期の時、精一杯生きたな! 凄いぞ俺! めっちゃ幸せだった! ってさ。

 前世では叶えられなかった夢を今度こそ叶えたい。

 前世云々は語らなかったが、俺の気持ちは伝わったらしい。


「そっか。残念だけど――うん、そんな君だから皆が惹き付けられたんだろうね。ならこれ以上は何も言わないよ」

「悪いね」

「ふふ、でも気が変わったら何時でも言ってね? 強く念じてくれればしっかり届くから」

「ま、一応覚えとくよ」


 それよりもだ。


「俺ってもう大丈夫なん? 身体の維持は幽羅がやってくれてるらしいけど不安だしそろそろ帰りたいんだけど」

「それはもうばっちり。数年は眠り続けるだろうと思ってたのに三ヶ月で目覚めちゃうんだもん。びっくりだよ」


 三――え、三ヶ月? 三ヶ月も寝てたん!?

 マジかよお前……体感的には休みの日に昼過ぎまで寝た時と同じようなもんなんだけど。

 しかしまずいな。庵もめっちゃ心配してるだろうし早く帰らんと。


「初代さん、悪いが俺を……あ、そういやあんたは……」

「カール殿を送り届けたら在るべき場所に還ります」

「そうか。世話になった、本当にありがとう」

「それはこちらの台詞です。葦原を救ってくださったこと、兄のことどれだけ言葉を尽くしても足りません」


 本当にありがとう。

 深々と頭を下げる初代に俺は俺のためにやっただけと答えようとしたが――止めた。

 ここは素直に感謝を受け取らなきゃ立つ瀬がないだろう。

 だから一言、おうとだけ言った。


「ふふ、それでは魂を現世に御返ししますね」

「ああ、頼む」

「――――あなたと庵の人生が幸福に満ちたことでありますように」


 気が遠くなり視界が暗転したかと思うと、俺は御所にある寝所の布団で横になっていた。

 身体を起こすと多少、身体が軋んだものの特に異常はなさそうだ。


「よ、おはようさん」


 入り口で桶を抱えたまま固まっている庵に笑いかける。

 庵はしばし呆然としていたが、


「あ、あ、あ、あ……」

「ほら、おいで」

「ッッ~~兄様ぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「おお、よしよし。心配かけてすまんかったなあ」


 胸に飛び込んで来た庵を抱き留め頭を撫でてやる。

 もうガン泣きじゃん。流石に心が痛むぜぇ。


「大丈夫。俺はここに居るから。な?」

「だっで……だっでぇえええ! 兄様が……兄様が死んじゃうかもって……う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!!!」


 こりゃもう好きなだけ泣かせるしかないな。

 それから数時間、庵は泣きに泣いて最終的に泣き疲れて眠ってしまった。

 俺の看病の疲れとかもあったんだろうなあ……申し訳ないぜ。


(しかしこれ動けんな)


 絶対離さねえぞと言わんばかりに庵がキツク抱きついてるもんだから身動きが取れない。

 いや取れるけど庵を起こすのは申し訳ない。

 このまま二度寝しようかとも思ったが、その前にやっておかなきゃいけないことがあるな。


「庵がごめんなさいね。病み上がりだと言うのに……」

「いや良いっすよ。心配かけたの俺なんで」


 部屋の隅で俺達を見守っていた真宵さんに気にするなと手を振る。

 彼女が未だ現世に居るのは俺が目覚めるまでは庵の傍にって幽羅の計らいだろう。


「カールさん」

「はい」

「改めて……本当にありがとうございます」


 両手を畳について頭を下げる真宵さん。

 気まずいなんてものじゃないが初代ん時と同じで素直に受け取っておくべきだろう。


「返し切れない恩を受けておきながらこの上更になどと厚顔無恥にもほどがありますが」

「良いですよ」


 何を言われるかは分かっている。

 これは互いにしっかり言葉にしておかねばならないことだから。


「――――娘を、どうかよろしくお願いします」

「はい」


 安堵の笑みを浮かべる真宵さんの身体がすぅ、っと透けていく。

 え、ちょ、もう!? 慌てて庵を起こそうとするが真宵さんにやんわりと止められる。


「いやでも……!!」

「八俣遠呂智が滅びてから今日まで、夢のような日々でした」

「……」

「だからこそ、これ以上はいけません」


 自分は死者で庵は生者。

 本来は交わってはいけない存在だから、もう逝かねばならない。


「夢から覚めて愛する人と新しい明日に進んで行くこの子の邪魔にはなりたくないのです」

「……強いんですね」

「母親ですもの。きっとカールさんの御母上もそうだったはずですよ」


 強い……うん、まあ強くはあったんだろうね。

 死の間際に面白いことをやろうとしてド滑りするぐらいには。


「――――さようなら。二人の幸せを何時までも祈っていますよ」


 真宵さんは逝ってしまった。

 本当はずっと一緒に居たかったはずなのに、そんな素振りを見せることもなく。


「なら、俺も切り替えなきゃな」


 新しい明日を迎えるために――俺たちの人生はまだまだ続いていくのだから。

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