絡め取られる心②

1.逃れ得ぬ因果


 カールが賊をまとめて雇い上げた翌日の朝。

 一行はある宿場町で宿を取ることとなった。

 夜中に式神を用いて移動していたから休息が朝になったのである。


「竜子、虎子、お前らの部屋の札だ」


 カールは部屋番号の書かれた札を二人に放り投げると、

 庵を伴い欠伸を噛み殺しながら宿の二階へと上がって行った。

 残された竜虎コンビは受け取った札を一瞥し部下に向き直る。


「むっちゃん、ウサミン、皆を頼むぜ」

「久しぶりのまともな寝床ですからね。しっかり休ませてあげてください」


 二人はそれぞれの腹心にそう告げるが、

 ウサミンはともかくむっちゃんは不服そうな表情を崩さない。


「おや……しら様。やはり私も……」

「平気平気。旦那は私らを害する気はねえよ。おかしな行動をしない限りはな」

「思うところはあれども内心は押し殺しなさい。下手に不興を買って面倒事を招きたくはないでしょう?」


 そう諭され、むっちゃんは渋々宿を離れて行った。


「ウサミン、彼女のことを気にかけてあげてください」

「ええ、お任せください。若者の世話を焼くのは老人の仕事ですからね」


 ウサミンは軽く一礼し宿を去った。


「悪いな」

「今更でしょう。かつてはともかく、今は同胞なのですから気にしないでください」

「そうだな……じゃあ、私らも行くかあ」


 のたのたと階段を上がり割り当てられた部屋へ向かう。

 明るい中で寝るのは少し辛いと思ったが、部屋の中は暗かった。

 どうやら窓に雨戸がついているようだ。


「はぁー……柔らかい布団……何か一気に疲れが噴き出す気分だ……」

「野宿ばかりでしたからね」


 二人は布団に飛び込むや、ゴロゴロと転がり始めた。

 人目があれば自らを律しもするが今は二人だけ。

 ある意味、誰よりも気心の知れた腐れ縁。

 両者共に取り繕う気はさらさらなかった。


「…………なあ竜子」


 ひとしきり転がった後、虎子が切り出す。

 竜子は何を聞かれるか薄々分かっていたが何ですかと問い返した。


「旦那――あの異人の小僧、カールだったか? どう思うよ」


 やはりか、と竜子は嘆息する。

 だが、虎子が切り出さねばこちらから話を振っていたことだと静かに語り始めた。


「龍虎相搏つ、とよく言いますよね」

「おう、私とお前のようにな」


 それがどうした?

 虎子の問いには直接答えず、竜子は淡々と言葉を紡ぐ。


「双璧成す強者。しかし、虎が翼を得れば果たして竜は並び立つことが出来るでしょうか?」

「……」

「あの少年は、その類の生き物でしょう」


 ようは真性の化け物ということだ。

 表面的な強さではない。

 内面に潜む魔性をこそ、竜子は危惧しているのだ。


「戦の素人だとか言っていましたし、実際に軍略の知識はないのでしょう」


 だが、戦が“弱い”ようにはどうしても思えなかった。

 それは虎子も同意見だろう。

 だからこそ、こんな話を振って来たのだ。


「…………仮に、仮に私らが居なかったらどうなってたと思う?」

「そう、ですね」


 表面的には理性的な人間だ。

 芯を噛まねばよっぽどのことにはならない。

 なので普通に専門家を探し、雇うなり何なりするだろう。


「そいつが満足の行く能力を示せなかったら?」

「無体な真似はしないでしょう。普通に雇用を終わらせ――――“自らで何とかする”」


 そうなった時が問題だ。


「無軌道で無差別で無慈悲な戦をするでしょうね。

理性的な為政者が敢えてそこまでは踏み込まないというラインを平然と越えてしまう」


 そんな寒々しい恐ろしさをカールからは感じるのだ。


「まあ、それでも何とかならないものもあるでしょう」

「…………私らが見た“アレ”のようにな」

「ええ。ですが、アレの力を得ていい気になっている程度の者なら」

「殺せずともやりようはあるだろう。あの男は多分、それをやってのける」

「ですが、そこまで辿り着くためにはどれほどの血が流れるか」


 長い付き合いだ。

 互いが何を考えているかなど分かってしまう。

 虎子はきっと、内心こう思っているはずだ。


 逃げ出すか? と。


「金子も頂きましたしね。全員で外海に渡るのも難しくはないでしょう。

思い入れや愛着がないと言えば嘘になりますが、この国に居るよりは良いかもしれない」


 ですが……と言葉を濁す竜子。

 そんな彼女の意を汲み虎子が頷く。


「分かってる。逃げるのにも、強さが居る。既に圧し折れちまった私らには……その強さも残っちゃいない」

「……ふ、ふふふ……洗ってない負け犬の臭いがするとは実に正鵠を射た指摘でしたね」


 自分も彼女も、その本質は惨めな敗残兵。

 辛うじて体裁を保っているのは未だ付き従う部下が居るからだ。

 もしも彼らが居なければどうなっていたか。

 場末で身体を売りながら緩やかな破滅へ向かっていた可能性が高い。


「逃げる勇気もなく、留まって何かをする度胸もない。……腐ってんな」

「そうですね、私も、あなたも、どうしようもない」


 暗い部屋の中、自嘲の笑いが木霊する。

 ひとしきり笑った後、再度虎子が切り出す。


「逃げられないし、留まって何かをすることもできない。

流されるしかない私らだが……どこに流されていくかは知っておきたくないか?」


「それは……まあ」


 カールの目的というものがまるで見えて来ないのだ。

 戦を、戦争をすると彼は言った。

 だが、何のために?


 立身出世――には程遠い。

 そういう目をした者らを幾度も見て来たから分かる。

 あの少年は地位なんてものに大した価値を見出してはいない。


 では国のため、御家のため?

 流れ者の彼らがどこぞの御家に仕えているわけがないだろう。

 そもそも異人を好んで雇い入れる家など、あるとは思えない。

 可能性があるとすれば尾張のうつけか、大友の馬鹿殿か。それぐらいか。

 だがカールからは誰かに仕える者の雰囲気を感じない。


 立身出世でもない。国のためでも御家のためでもない。

 それなら他にどんな理由があるだろう?

 戦そのものを好む“イカレ”か? いや、あれはそういう輩ではない。

 敵を殺すことに躊躇いはないし、敵対者が複数居るなら積極的に殺しにも向かうだろう。

 だが平時に乱を起こすような気性ではない。


「気になるだろ? 知りたいだろ? 知らなきゃ不安だろ?

何もしなけりゃ無害な男が何故あれほどまでの覇気を纏ってこの国に来たのか、その理由をさ」


 知ったところで止められるとは思えない。

 しかし、だからと言って知らずに居ることも恐ろしい。


「…………じゃあ、虎子が聞いて来てくださいよ」

「はぁ!? 普通、こういう時は一緒だろうが!!」

「い、嫌ですよ……あんなおっかない小僧に正面切って何を企んでるかなんて聞けません」

「自分が聞けねえのを人にやらせんなや!」

「言いだしっぺはそっちでしょう!?」

「ざけんな! テメェ、それでもぐ――――」


 トン、トン、と控えめに戸が叩かれた。

 二人は飛び上がるように布団から出て抱き合う。


「「ど、どちらさまでしょうか……?」」


 そう恐る恐る問いかけると、戸の向こうから俺だという声が聞こえた。


「だ、旦那ですかい? あっしらに何の用で……」

「と、とりあえず中へどうぞ中へ」


 中に入れたくはないが立たせっぱなしも怖い。

 部屋の中に招き入れたのは苦渋の決断であった。


「すまねえな、寝る前にどうしても気になったことがあってよ。

いや、別に今聞く必要はねえんだが……ほら、あるだろ?

一度気になるとモヤモヤして疑問を解決するまでスッキリしないのが」


 二人は愛想笑いを浮かべ相槌を打った。


「して、あっしらに聞きたいことってのは……」


「ああ、そう身構えるな。お前らの事情を詮索しようってわけじゃねえ。

ちょっと武士の常識? とかそういうのについて気になることがあってな。

お前ら元本職だろ? 疑問を解決してくれるかなって」


「そ、そういうことでしたら……答えられるかは分かりませんが」


 予防線を張りつつ先を促す。

 さっさと聞いて、さっさと答えてお帰り願いたいからだ。


「武士……それも、偉い偉いお殿様の話だ」

「「はあ」」

「――――そういう立場にある人間にとってこの上ない”恥”と言える死に方はあるか?」

「「ッッ」」


 言葉も内容もさることながらその目だ。

 闇の中、薄ぼんやりと輝く紅と蒼の瞳が酷く恐ろしい。


「単に辱めるってだけなら幾らでも方法は思いつくんだがな?

ああ、目を潰し四肢を切り落として生きたまま肥溜めに放り込んだりとかさ。

他にも豚か犬にでも犯させながら殺すってのもありかもしれねえな? さぞや屈辱的だろうて」


 続く内容で更に恐怖をかきたてられる。

 竜子の股間が若干湿ったのも仕方ないことなのだ。


「だが、どうせなら武士の恥もと思ったんだが……どうだい?」

「あ、あのぅ……旦那、何故そのようなことを知りたいので?」

「深い理由はねえよ。ふと気になっただけだ」


 嘘を吐けェ!! という言葉を必死で飲み込む。

 カールの瞳が語っていたからだ。

 これ以上、踏み込むのならば戻れなくなるぞ……と。


「それより、俺の疑問にゃ答えてくれねえのかい?」

「うぇ!? そ、そうですね……あー……」


 ちらりと虎子を見る、目を逸らされた。

 竜子は裏切り者! と腹の中で罵りつつ当たり障りのないことを言葉にし始める。


「死ぬ、と言うのであれば決して切腹はさせない……でしょうか」

「ほう」

「切腹はいわば、最後の最後。一握りの尊厳を護るための選択ですからね」


 それを剥奪されたとなると、武士としては終わりだ。

 武士として生き、武士として終わることが出来ない。


「ふむ……切腹……切腹かあ」


 顎を撫でながら何かを思案するカール。

 どうやら当たり障りのない答えではあったが、何か響くものがあったらしい。


「追加で質問なんだが切腹とかには作法……みたいなのは?」

「当然、あります。ですが正式な作法に則っての切腹は余裕がある時だけでしょう」


 パッと思いつくのは戦に破れ捕らえられ敵方の慈悲により切腹を許された時ぐらいか。

 それならばしっかり作法に則り腹を切ることも出来よう。


「最早これまでといった状況で切腹をする場合はそのような余裕はありませんからね。

そういった場合は、ザックリ腹を切ってスパっと家臣か誰かに介錯を頼み切腹の儀を終わらせます」


 そう答えるや否や、カールは何を思ったか着流しの前を大きく開いてみせた。


「つまりはこういうことか?」

「「ッ!?」」


 淡く紫色に光る左手でカールは真一文字に自らの腹部を切り裂いてのけた。

 噴き出す鮮血や激痛も何のその。

 カールは冷や汗一つも浮かべず平然とした表情をしている。


「こう切って、誰かに首をスパン。これで切腹は終了と」


 トントン、と自らの首を叩くカールに二人はコクコクと頷くことしかできなかった。


「ふむ」


 なるほどなー、などと言いながらカールは腹部の傷を塞いでみせた。

 だが傷跡はしっかり残っている。


「次の質問なんだが」


 言ってカールは傷跡の少し下あたりをちょいちょいと突き始めた。

 先ほどよりは勢いがないので浅く切れる程度なのだが、何を考えているのか。


「下の躊躇い傷のようなのは、上に比べるとやっぱりみっともないか?」

「それはまあ。死ぬのを恐れているようにしか見えませんからね、下の傷は」

「いやそりゃ誰でも死ぬのは怖いでしょうが、やっぱ武士ですからねえ」


 恐怖を押し殺し、迫る死を堂々と受け止めねばならない。

 最後の最後までやせ我慢を貫くからこそ尊厳を護れるのだ


「面子……意地と恥……ああ、何となく理解出来たような気がする」


 そう呟きながら腹を撫で今度こそ完全に傷を消し去る。


「ククク……良い話を聞かせてもらった。ありがとよ」


 不気味な笑い声を漏らしながらカールは部屋を出て行った。

 残された竜子と虎子は黙ってその背を見送り、一言。


「あの……これ、飛び散った血痕とか私らが掃除しなきゃいけねえの?」

「……いけないんでしょうね」

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