おめでとう、高津臣吾監督




 11月27日、東京ヤクルトスワローズが20年ぶりに日本シリーズを制して日本一になりました。


 前年度リーグ最下位だったチーム同士が今年は頂点まで駆け上がり対決したオリックスとの日本シリーズ。

 全6試合全てが接戦で、近年稀に見る面白い日本シリーズだったそうです。

 決着した第6戦も延長12回を戦い抜き、試合が終わったのは23時過ぎという死闘でした。


 などと偉そうに書いてますが、実はリアルタイムで私は見てないんですね。


 近年は地元のサッカーチームに関心が移ってしまっていたので、申し訳ない。

 更に言えば一応リアルタイムで見た第1戦はヤクルトが負け、王手をかけて決まるだろうと思ってリアルタイムで見た第5戦も劇的な負け。まさか山田哲人の同点3ランなんてイケイケな展開のあとに1発に沈むとは思いもしないでしょう。


 つまり、私が見るとヤクルトは負けるのだ、今年の日本シリーズは。

 そう思って見ませんでした。


 そんなテケトーな、野村ヤクルト以降徐々にヤクルトファンをフェードアウトしてしまった私が何書いてんだって話なんですけどね。


 何となく高津臣吾監督のことを書きたいなと思ったのです。


 今になって高津臣吾って選手の残した実績を書くと、かなり偉大な投手です。

 日本球界で歴代2位の通算283セーブ、日米通算313セーブ、日米韓台通算347セーブ。

 晩年になっても現役での投球に拘り続け、韓国、台湾、日本の独立リーグで投げ続けました。独立リーグ(アルビレックス新潟BC)でプレーした名球会資格保持者は高津が初めてで、今に至るまで唯一です。

 日本では一貫してヤクルトスワローズに在籍しており(独立リーグは除く)、ヤクルトの1993年、1995年、1997年、2001年の4度の日本一に貢献。4度の日本シリーズで全て胴上げ投手になっており、日本シリーズの最多セーブ数8を誇っています。


 広島県出身で、実は広島カープに入団することを希望していたそうですが、多分広島カープに入団していたら先のような成績は挙げられなかったでしょう。

 やはり野村克也監督と、捕手の古田敦也選手の影響は大きかったのではないかと思います。

 有名なエピソードで、1992年の日本シリーズで相手の抑えピッチャー潮崎哲也のシンカーが全く打てなかったヤクルト打線。潮崎と同じくサイドスローだった高津に野村監督が「潮崎のシンカーを身に付けろ」と言い、1993年のシーズン開幕から高津はシンカーに取り組みます。

 元々速いシンカーは投げていた高津。球速の遅い「潮崎のシンカー」には戸惑いもあったようですが、試行錯誤の末に物にすると、5月以降は抑えとして定着し、この年のリーグ優勝と日本一に貢献します。


 ただ、見ている方からするとその当時の他球団のストッパーは速い勢いのあるストレートとフォークボールで打者を抑える、横浜ベイスターズの佐々木主浩のようなスタイルが主でした。今でもストッパーと言えばそういったスタイルのピッチャーが多いと思います。

 そんな中、コントロールは良いものの、130km台後半とそれ程球速が速くないストレートと落差のあるシンカーで抑える高津は、応援している立場からするとけっこうハラハラドキドキしました。

 やはりこれも有名ですが、松井秀喜にプロ初ホームランを献上したのも、松井がどの程度内角を打てるのか確認したいというのと、シンカーをモノにして結果が出始めた高津の気を引き締めるための二つの命題で野村監督が内角にストレートを投げる指示を出したそうです。要はコントロールが命の高津に、投げミスして内角にストレートが行くと高卒ルーキーにも打たれるぞ、と身をもって教えるためだったとか。

 そうしたこともあってか、投げ間違うと一発食らうというハラハラドキドキは孕みつつも、コントロールが良いこともあってリードする古田の配球を忠実に描ける高津は何だかわからんけど抑えてしまう不思議なピッチャーでした。


 ただ、やはりチームのストッパーに君臨するには、絶対に抑えないといけない場面でも怖気づかない強い心が必要です。高津はその点申し分ありませんでした。

 むしろコントロールが命の投手ですから、球の勢いで勝負するピッチャーよりも心は強かったかも知れません。

 4度の日本シリーズで全て胴上げ投手になっていることでも伺えますが、大舞台になるほどに闘争心を出しつつも、平常心も同時に保ちながら相手バッターに立ち向かっていきました。


 こうしたスタイルを確立できたのは1993年の日本シリーズ第4戦の9回の登板を乗り越えたからではないか、と私は思っています。

 この日本シリーズで高津は既に第2戦の8回に登板し2イニングを投げ、日本シリーズの舞台を経験してはいましたが、第2戦は3点のリードがある多少楽な状況でした。

 対してこの第4戦は、前年故障で登板がなかった川崎憲次郎が熱投し、バックの巧守で1点リードのまま9回を迎えたという緊迫した試合でした。

 特に8回表のツーアウトランナー2塁1塁でバッター鈴木健の放ったセンター前ヒットで完全に同点にされたと思われた場面を、風を読んで前進守備で守っていたセンター飯田哲也がホーム突入したランナーをダイレクト送球でアウトにしたビッグプレーで奇跡的に凌いだ後を受けてのマウンド。

 試合のスコアは1-0。

 自身の投球次第ではこれまで全員が必死で守って来た1点のリードが飛んでしまいます。

 そんな痺れる場面で迎えるバッターは4番清原、5番秋山と続く西武の誇る重量打線のまさに中核。普通なら緊張して普段通りの投球は難しいでしょう。

 実は書いていて、この場面をもう一度見たくなってYouTubeで探したら、この試合のフル映像があったんです。解説の江本孟紀さんが「(シンカーみたいな)緩いと、ちょっと甘くなるとね……(今日の髙津は)ブルペンで何かピリッと放ってないんですよね。こういうピッチャーはずっと経験がある訳じゃないですからね。調子ってのはけっこう(勝負を)左右すると思うんですよね」と、不吉なことを言っています。

 最初のバッター清原に対する髙津は、かなり失投というか甘い球も多く、清原の打ち損じに助けられたという印象です。

 結局11球目にインコース高めのストレートに清原のバットは止まりボールの判定で先頭の清原を歩かせてしまいます。

 出してはいけないノーアウトのランナーを出してしまい、清原への投球からすると髙津の調子自体は良くないと思える内容。ただ、普段は130km台のストレートが、時々140kmを計測しており、どう判断したらいいのか。今は結果を知った上で見ているから安心して見ていられますが、リアルタイムで見ていた時は「今日の高津は緊張と闘志が入り混じり自分自身の制御ができてないんじゃないか」と心配しながらの観戦でした。やはりこの時の高津は緊張が勝っていたのでしょう。

 続く5番秋山に対しても、ストレートのコントロールは定まりません。ただ、秋山はシンカーには全くタイミングが合っておらず、コース自体は甘かったのですがシンカーで三振に打ち取ります。

 1死1塁で続く6番垣内はこの日先発川崎から2安打と調子は悪くありません。

 落ちるシンカーは全て見逃されてしまいカウントを苦しくしてしまいますが、ここから高津はストレートのコントロールを取り戻し、垣内をショートゴロに打ち取ります。

 垣内のショートゴロでランナー清原は2塁に進み、2死2塁。

 秋山を打ち取ったことで緊張がほぐれ、球のコントロールを取り戻したことで垣内も打ち取れたのでしょう。

 ただ、続くバッター7番の田辺は選球眼がよく甘い球は逃さない嫌らしいバッターです。得点圏にランナーを置いて迎えたくない選手。

 田辺は初球内角シンカーを空振り。

 ただ、タイミングが合っていないというわけではなく、シンカーを狙ってスイングしたという感じ。

 2球目シンカーが外に外れ1ー1。

 3球目もシンカーで2球目と同じく外ですがコースギリギリに決まり1-2。

 4球目は外に140kmのストレート。これは外れ2-2。

 中継では、先発して8回を0でしのぎ切った川崎が祈るようにマウンドを見つめる姿が時々映されています。川崎も昨年一年間を故障で棒に振り、西武に負けたゲームをベンチにも入れずに見ていたという悔しい思いがあります。この試合を勝ちたいという気持ちは人一倍強いでしょう。

 そんな川崎の思いも背負ってマウンドに立つ髙津は、この時は静かな闘志とでも言うべき表情を見せています。この回の最初で清原に対した時に見せていた、どこか危うい印象はもうありません。

 投じた5球目は外のシンカー。これは外れて3-2。

 ベンチの川崎は目を閉じ祈り、外れたのがわかると落ち着かず息を吐きます。マウンドを見るのが怖いような、でも見ないといけないという逡巡。私なら耐えきれません。

 髙津が投じた6球目は、インコース111kmのやや速いシンカー。

 これをバッター田辺は思い切り体を開いてスイングし、空振り。

 三振に打ち取って試合終了です。

 駆け寄る古田を見る高津の笑顔は、自身の弱い部分を相手のミスに助けられた部分はあったものの乗り越え、一つ成し遂げたという男の顔でした。

 これで3勝1敗としたヤクルト。

 試合後のヒーローインタビューは先発の川崎でしたが、その目は涙で濡れていました。


 この年の日本シリーズはこの後西武が底力を見せ、2勝を挙げ3勝3敗とします。

 決着の第7戦、4-2のスコアの8回から高津はこのシリーズ3たびマウンドに上がりますが、この時はもう緊張した様子はありませんでした。8回の2死1塁で西武の1番バッター辻にシンカーをレフト前にヒットを打たれていますが淡々としたもの。気持ちの切り替えが出来ているようで、続く安部をレフトフライに打ち取っています。

 9回も3番石毛から始まるクリーンナップを石毛サードゴロ、清原三振、鈴木健には粘られたものの三振に切って取り胴上げ投手に。実に堂々としたものでした。



 そんな髙津監督が今年ヤクルトの選手たちに掛け続けた言葉が「絶対大丈夫」です。これは多分髙津監督が己の強み弱みも知った上で、それでも己のやるべきことを怯まずにやってきた人だからこそ言えた言葉なんじゃないかと思います。


 野村監督は髙津監督がヤクルトの監督に就任する時に「髙津はワシの教え子としては珍しく周囲に慕われるみたいで人柄がいいんだろう。いい監督になる条件は持っている」と言っていたそうですから、もう少し野村監督が長生きしてくれていれば、この髙津監督の戦いぶりに対する評価を聞けたのにと思います。

 内心嬉しいのに、やっぱり辛口に「まだまだ甘いな」とボヤくような気がします。

 野村監督って手放しには選手を褒めませんからね。


 ともかく、高津監督、日本一おめでとうございます。


 来年もまた私たちを楽しませて下さい。



 しかしこの文章を書くために色々YouTubeを漁っていたら、ついつい1992年、1993年のヤクルト対西武の日本シリーズの動画を見入ってしまいました。

 書き出したのは日曜日なんですけど。

 流石、最高の日本シリーズと言われるだけのことはあります。恐るべし。

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