第五話 スモーキー・イン・ザ・1K

 5


 ごちゃごちゃに散らかった1Kのボロアパート。

 音羽の相談を強引に切り上げ、イライラした気持ちで帰宅した後俺は、ずっとベッドの上に寝転び何をするでもなく天井を見上げていた


 〝やってらんねえよ〟


 自らの口からこぼれた何気ない一言。

 俺は自分が発した癖にこの一言の真意がよくつかめていなかった。

 一体何が〝やってられない〟のか。

 そもそもこのこの一言を発する原因となった腹立たしい気持ちはなんだ、なぜ俺は急に音羽に対してムカついたんだろうか。


 音羽は言っていた、先輩に恋愛相談しても相手にしてくれない、と。

 確かに俺は大学生の恋愛など心底からくだらないと思っている。しかしどうだろう、仮に音羽が殊勝な態度で相談をしてきたならそれを無碍にするような性根の冷たい人間だろうか。

 否、そんな腐った人間じゃない。その証拠に今、俺はお人よしにも大石と音羽の関係が上手く行けばいいと考えているのだ。

 そう、音羽は面白い奴でいい女だ。劣等感で大学にも行けない自分とはモノが違う。

 そしていい女は幸せになった方が良い、それが友達となればなおさらだ。

 だから俺は音羽がいい恋を手にするなら素直にそれを応援したいと思う。


 そこのところを勘違いされたから、俺はイラついているのか? 

 見くびるなと、お前の目の前にいる喫煙所の妖怪はそんな器の小さい男なんかじゃないと憤慨しているワケか?


 俺はごろりと寝返りを打ち体勢を変える。

 点けっぱなしテレビからはゴールデンタイムのジジババ向けのくだらない番組が流れている。

 今日の内容は遺産を相続する際に起こりうるトラブルらしい。

 笑えてしまう、俺は自己の発した言葉や感情の深淵に深く考えを巡らしているつもりでいたがその実、雑音に過ぎないテレビの内容さえも理解できてしまうほどに集中していなかったのだ。

 そんな状況で出した結論など、間違っているに決まっている。

 俺が音羽の恋を素直に応援できる程できた人間であるならば音羽の相談を切り上げ立ち去る理由が無い。

 仕方ないななどと大人びたセリフを吐いて音羽の恋愛相談に話を切り替え、毒にも薬にもならないアドバイスを垂れ流せばいいだけの話だ。


 ならば音羽が嘘をついていたという事実にムカついたという線はどうだ?

 こちらが真面目に話を聞いているのにその前提から嘘をつかれていたから、その事実にどうしようもない裏切りを感じてそれに対する反応としてやる背の無い怒りがイライラとなって〝やってられねぇ〟の言葉を引き出したのでは?


「違うな」


 少し考えた後、俺はそう呟いた。

 そう、違う。

 そんな理由で俺はイラついたんじゃない。

 そもそも怒りやイライラといった感情はカウンターで生まれてくるものだ。

 頑張ったのに裏切られた、その頑張りに使った労力のむなしさがそのまま怒りの数値に変わる。怒りとはそういうものだ。

 今回の事になぞらえるなら俺が心底真面目に音羽の相談に乗っていたならそう言った感情も生まれてくるだろうが、実際のところ俺は全然真面目じゃなかった。

 音羽の内面に触れたくない一心で関わることを拒否し続けたし、結局推理のようなものをして見せた車についての件だって知識や経験として知っている事を開示しただけだ。

 つまり今回の件で俺は何の労力も使っていない。そんな俺のどこから怒りのエネルギーが生まれてくるだろうか。

 実際音羽の嘘など俺の精神に大した揺らめきを与えてはいない。


 では何なのだ、俺の精神を揺らし、怒りの感情を奮起させ、ムカつきとなって声帯を揺らし〝やってられねぇ〟の一言を吐き出させた理由は一体なんだ?


 多分俺はその理由に気づいている。

 その理由は極めて自己中心的で醜く、認めてしまえばもう後戻りできない性質のものだから必死に逃げている、逃避している。

 全て理解した上で全力で目をそらしながら何か自分を慰めるように適当なそれっぽい理由を探してはなお隠せない自分の本心から否定されるという自己憐憫にまみれた自慰行為の繰り返し、これが今ベッドの上で俺がやっていることの全てだ。

 全く救えない。

 しかし所詮そんな逃避は袋小路で鬼ごっこをしているようなものでいつか逃げきれなくなってしまう。


 俺が逃げきれなくなってとうとうその理由と向き合ったのは深夜、あれだけうるさい雑音を垂れ流していたテレビが気づかないうちに沈黙するような時間になってからだった。


「結局俺は、東雲音羽を好きなんだ」


 口に出して言うと羞恥心と劣等感で吐き気がした。


 出会った時からどこかぶっ飛んでいて快活で、機知に富み、ユーモアもある最高の話し相手。

 そんな音羽を好きにならないほうがどうかしている。

 しかし、だからこそ俺は音羽を好きになりたくなかった。

 音羽の目に映る俺は不真面目で頭の回転が早く斜に構えたかっこいい先輩でありたかった。

 決して入学したての年の離れた可愛い女子に浮ついて恋をして狂う情けない人間になりたくなかった。

 だって俺には何もない。

 大学制度に取り残されて足踏みを続けるしかない能無し。

 そんな俺がどの面を下げて未来溢れる音羽の事が好きだと宣える?


 だから俺は音羽とプライベートの話をすることを避けてきた。

 東雲音羽という女性を詳しく知ることを放棄してこれ以上好きにならないようにしてきた。

 その結果、大石とかいうよくわからない奴に横からかっさらわれる結果になった。


 〝やってられない〟


 何のことはない。ただの失恋の捨て台詞だったわけだ。

 ようやくたどり着いた自分の姿、それは肥大化したプライドと人並み以上の劣等感でトンビに油揚げをさらわれた、情けないただの男だった。


 俺はのそのそとベッドから起き上がるとキッチンの換気扇の下に行き、煙草に火をつけた。

 数時間ぶりに吸う煙の味は自己嫌悪の味がした。

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