例えば君の鳩尾に思い切り頭突きしながら
さほどこだわりある生活をしていたわけではない。あるものを適当に使い、なくなったら適当に補充し、特に執着も主義もなく、値段と量をほんの少し考えながら消耗品を揃える。そんな生活をしていたからこそ自分が生活するのに何が必要だったかは意外と思い付かないのだなと、片付けの下手な人間が一時の誤魔化しに荷物を詰めたような商品棚を眺めながら工藤は思う。この店の商品棚は並んでいる品のジャンルが揃っているようでいまいち規則性が読み切れない。歯磨き粉のチューブの横に薬用リップクリームがごろごろと積まれ、その周辺にはハンドクリームが並んでいたかと思うと正気を取り戻したように透明感のある毒々しい色合いのボトルに入ったマウスウォッシュ製品がずらりと並ぶ。
エンは工藤から少し離れたあたりの棚をじっと眺めては何やら神妙に品を選ぶような動作を続けているが、果たしてそれが工藤に対してのものなのか、おつかいの駄賃がわりのものとしての品定めなのかは分からない。あの不良の人間性がいまいち工藤には把握しきれておらず、親切なのかただ買い物が好きなだけなのか判断が付けづらいのだ。
封筒から札を抜き取ったきり帰って来ないカガのことを少しだけ考えて、戻ってきたときにこちらの用事が済んでいなかったら機嫌を損ねるのではないかということを想像して工藤は今更慌て始める。とりあえず最低限の生活必需品だけでもカゴに突っ込んでおこうと、棚の品を注意深く見る。
見慣れないデザインの歯磨き粉のチューブに向かい伸ばした手を無造作に掴まれて、工藤は息を呑む。
ごつごつとしたした武骨な掌。浅黒い甲は傷痕まみれの厚い皮膚に覆われ、血管は蚯蚓腫れのように盛大に浮き上がって、びくびくと脈打っている。明らかにエンの手ではない。
工藤は恐る恐る手の主を見上げる。
店舗の照明を背負って真っ黒に影に塗り潰された顔には白目がぬらりと光り、僅かに歪んだ様子から笑んでいるのか睨んでいるのかは定かではない。異形だ。そしてその双眸より眩く、振り上げられた刃物の切っ先がぎらぎらと工藤の目を射た。
背後からだんと地を蹴る音がして、何か喧しい色彩のものが工藤の横をすり抜けて異形に激突した。異形のものはそれにまともにぶち当たったせいで、僅かによろめき工藤の手首を掴む力が一瞬緩む。慌てて倒れるように腕ごと身体を引き抜けば、反動で倒れ込んだ棚からざらざらと雪崩れのように音を立てて商品が落ちる。マウスケア製品の散乱するなかに座り込んで、工藤は異形のものから距離を取ろうと座ったまま後退ろうとする。
「カシラの客分に何してやがるテメエ!」
がらがらとした割れ声を張り上げて、衝撃に身体を九の字に折り曲げた異形に組み付いたエンが勢いよく頭突きを入れる。がんと鈍い音に混ざって離れた頭がぐらりと揺れて、逃げようとしていた工藤の腹の上にすっぽりと落ち込む。驚いた表情の生首とまともに目が合って、工藤は猫に狩られた鳥の断末魔のような声を上げる。
「畜生布ガムテだぞ俺どうなってんだクドー!」
「首が取れてます! 体は――」
とっさに工藤は首を掲げて、異形の胴体に組み付いたままのエンの体の方に向ける。異形も相手に頭突かれたと思ったらその首がもげた上に胴体が組み合ったまま離れようとしない状況が理解できなかったのだろう。掲げられた頭と胴体と工藤とを戸惑うように眺めて、刃物を振り翳したままうろたえている。
「こいつだぞクドー俺の頭もいだのぶっ殺すぞ辻斬り!」
ゴキゲンに刃物見せびらかしてんじゃねえよと抱えられたままの頭が吠えて、そのまま力任せに胴体が異形――辻斬りを棚へと押し付ける。辻斬りも困惑から段々正気を取り戻したのか抵抗するように組み付き返し、エンの勢いを逃がすように後退する。構わずにエンは相手を商品棚に押し付けるように突進を続け、がらがらと盛大な音を立てて商品は床に叩き落されていく。
「クドー見えねえ追え、見せろ!」
「見せ――追うんですかあれを?」
頭をカメラのように抱えた工藤が棚に追い縋りながら立ち上がるとほぼ同時に、ぶんと振り払われるように辻斬りがエンを引き剥がして棚に叩きつけた。揺れ崩れた棚が商品を勢いよく吐き落とし、崩れ落ちた胴体はすぐさま体勢を立て直して飛び掛かろうとする。だが牽制のように振られる刃に寸前で気付いてしゃがみ込んだまま距離を取る。
「やり辛いな畜生」
「当たり前じゃないですか首取れてんですよ!」
逃げた方がいいんじゃないですかと裏返りかけた声で工藤が言うと、抱えられたままのエンの頭が目を丸くした。同時にしゃがんでいた胴体が立ち上がって駆け寄って来たので、工藤はあまりの光景に息を呑んだ。
「そうだな逃げてもいいもんな頭いいなお前!」
「何固まってんだクドー逃げんぞ!」
頭をちゃんと向けろと意図を一瞬掴みかねることを言われて、工藤は慌てて胴体の後を追う。生首の向きと体の向きが揃った途端に胴体は工藤の腰に腕を引っ掛けて、半ば引きずるようにして狭い通路を走り始める。背後から引っ切りなしに薙ぎ墜とされたものが床に振り落ちる音がして、足音も声もないのにあのバケモノが工藤たちを追って来ているというのが分かった。攣りそうになる足を無理矢理に動かしながら、馬鹿の癖に人並みには重たい頭を抱えたままで、工藤は呼吸の合間に問いをぶつける。
「これどこに逃げるんです追って来てますよ!」
「言われなくても聞こえてんだよそんくらいは! いいから走れタコ!」
ここで首落としたかねえだろとエンが吠えれば、背後から嘲うように盛大な落下音が鳴り渡った。
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